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【No.9】奥尻島で経験したキセキの10日間

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9日目 (最終日)

朝、4時40分起床。睡眠時間は約2時間…そんな中、別れの朝を迎える。

目を擦りながら、荷物をまとめて帰りの準備をする。
出発直前、imacocoの看板の裏側に、仲間たちがひとりずつ名前を書いていく。これで全員の名前が記された唯一の制作物がようやく完成。たしか出発の15分くらい前、本当にギリギリだった。
慌てすぎて写真に収めることすら忘れてしまったので、次行ったときに撮ろうと思う。そのままの形で残っていることを願う…

昨晩、作り置きをしておいたおにぎりを手に、フェリー乗り場へと向かう車に乗り込む。お世話になったimacocoの皆さんと、飛行機で帰る3人の仲間たちとはここでお別れ。
最後にかけられた言葉は、"いってらっしゃい!"。
ここから新しいスタートを切るためのエールと、いつでも帰りを待っているという愛を受け取り
、車は出発。

車内は島を周遊したときよりも静かだった。
おそらく眠かったわけではない。活動が終わってしまう現実を、受け止めきれない自分がいた。もう2度とこの景色をこの仲間たちと見られないんだと思うと…耐えられなかった。

フェリー乗り場に到着し乗船する直前、ゆうとさんと握手を交わす。このときの手の感触は、今でも残っている。
こぼれ落ちそうな涙を必死に堪え、最後に伝えたかった言葉を、一言だけ伝えた。

必ず帰って来ると心に決め、フェリーは出港。
"また来ます!"と叫び、ゆうとさんの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。徐々に小さくなっていく奥尻島を見ながら、10日間を振り返り、思いを馳せた。

沢山の宝物をありがとう!いってきます!

フェリーの中でも特別な場所に案内してもらい、最後の最後まで貴重な経験をした。
実は、2日前まで飛行機で帰る予定だった。急遽フェリーに変更したからこその体験と、新たな出逢いがあった。

ここまでが奥尻島での思い出。
その後、仲間たちと少しだけ江差港周辺を観光。家が立ち並び、車通りの多い街中を歩くだけでも不思議な感覚だった。
お店に入り"こんにちは"と何気なく挨拶をすると、店員さんに驚かれてしまう。そうだ、ここは奥尻島ではない…他人が他人である世界に戻って来てしまった気がした。

パン屋に立ち寄りベンチでピクニック。

仲間との別れは、港・バス停・駅・街中・宿泊先の前と様々だった。
自分は最後の最後まで誰かと一緒にいたこともあり、ホテルの部屋でひとりになった途端、喪失感に襲われたのを覚えている。
それでも、カメラロールに残った数々の写真やお礼の連絡の返信が、みんなと一緒にいた時間がたしかにあったことを教えてくれた。

10日間の出来事はこれでおしまい。

以下、奥尻島に滞在中「大切にしていたこと」、活動が終了し「気がついたこと」をまとめてみた。

大切にしていたこと

目標

自分が目標としたのは、誰よりも"ありがとう"を大切にすること。

日常的にあまり言わなくなっていたことに、どこか違和感があったからだ。なぜ違和感があったのか、目標に設定したときは自分でもあまりわかっていなかった。

後々、これまでの人生を振り返り、いかに感謝の言葉を大切してきたかが判明する。それは、ももちゃんと立ち話している際に聞かれた質問の回答を、自宅に戻ってから考え直したときだった。

自分が何を大切にして生きてきたかがわかったのは、とても大きな収穫だ。"ありがとう"という感謝の言葉、今後の人生を歩んでいく上でも大切にしていきたい。

会話

ひとりひとりと会話をすることも大切にした。

参加者の仲間、お世話になったimacocoの方、時間の長さや話題は違くても、一対一で話す場面を作り出すことを心がけた。
偶然にも出逢ったキセキを、人生の一瞬を共にしている時間を、無駄にはしたくなかったからだ。

会話をする中で、自分が抱える悩みや不安に寄り添うように、みんなが温かい言葉をかけてくれた。正解や答えのない疑問であっても、自分と向き合ってくれた時間が嬉しかった。

行動

自分ができることはなんでもやる習慣を奥尻島でも大切にした。

室内にいても外で手伝えそうなことを見つけたら、玄関から飛び出して行き、声をかけた。
また、いざというときのためにと、生活に必要な物や使えそうな物は一通り持って行った。そのため、一部の仲間からはなんでも持ってる人だと認識されていた。(笑)
代償として、荷物はとてつもなく重かったが、これも自分ができることに過ぎなかった。

習慣といえるほど、できることをやるのは、自分にとっては当たり前のことだと思っている。だが、それが目の前にいる人をちょっとだけ笑顔にできたりした。その笑顔が見たくて、できることはなんでもやる習慣がついているのかもしれないとも思った。

気がついたこと

出逢い

奥尻島での出逢いは偶然だったのかもしれない。
だが、全国から集まった仲間たちや、現地でお世話になった方々との出逢いは、これまで経験してきた出逢いとは少し違う感覚があった。
引き寄せられるように、出逢うべくして出逢った、"必然の出逢い"だったのではないかと、今振り返って思う。

そして、このタイミングでみんなに出逢ったのも、きっと意味があると思っている。
忘れかけていた大切なことを思い出し、あらためて自分と向き合う機会ができ、何より…ずっと探していた次の目標を見つけられた。
今の自分に必要だったことを、"ご縁があっての出逢い"が気づかせてくれた。

ご縁を大切にしようと思わせてくれた仲間たち。

関係

出発前は、たまたま同じプログラムに応募しただけの人たちで、10日も一緒にいれば友達になるだろうと思う程度だった。

それが、食事中無言でも違和感を感じなくなり、気づけば居間や台所に集まるようになり、みんなといる空間が心地よく感じるようになり、誰かといないとしっくりこないようになり…

年齢も、性別も、住んでいる場所も、生まれ育った環境も、何もかもバラバラの人たちに、たった数日間でこんなにも心を許し、ありのままの自分でいられたのは初めてだった。

友達や仲間という言葉で表せる関係ではなかったと思う。
一緒にいるのが当たり前の何か特別な関係…10日間で築き上げられたのは、"家族のような関係"だったと気づいた。

とある日の夕食作り。見守る担当(?)が出てくる。

人の思い

奥尻島にいると、人の温かみを感じられる瞬間が何度もあった。

誰が釣った魚で、誰が調理したものか目に見えてわかる料理からは優しさが感じられ、格段と美味しい。
大勢の人たちが協力し合って修復されたcocokaraからは、どこか包容感が感じられ、穏やかに安心して生活ができる。

誰かの手によって作られ、その人の思いが込められているとわかると、ひとつひとつの物事に感謝の気持ちを持つようになった。
そして、目の前にあるものがどのようにして出来上がったのか、過程を知る大切さを学んだ。

便利な世の中に慣れてしまい見えにくくなっていた、"人の思い"こそが心を動かすと、10日間で気がついた。

cocokaraを修復したECOFF参加者が玄関横に刻んだ日付。
自分が奥尻島に到着した日のちょうど1年前だった。

繋がり

SNSで簡単に繋がりを持てる今の時代、本当の繋がりとは何か考えることがあった。

さらに、コロナの影響で授業やサークル活動がオンラインに切り替わり、人と顔を合わせて何かをすることがほとんどなくなった。連絡を取る人は数えられるほどで、誰と繋がっているといえるのか、わからなかった。

そんな中、奥尻島での活動を終え、10日間を共にした仲間からメッセージが届く。
"何年も連絡取らなくなったとしても、ふと思い出したときに相談していいからね"
これを読んだとき、考えていた本当の繋がりとは、まさにこれだと思った。

遠く離れた場所にいても、どれほど時間が経ったとしても、安心できる・信頼できる人との繋がりが、本当の"繋がり"だと気づいた。

奥尻島で出逢った人たちとの"繋がり"は生涯大切にしたい。

幸せ

自分は奥尻島にいた10日間、これ以上ない幸せを感じていた。

高級食材を使った料理を食べていたわけでもなければ、高級ホテルに泊まっていたわけでもない。

みんなで料理をし、食卓を囲み、温泉に行き、ひとつ屋根の下で寝床に着く。1枚の写真で涙が出るほど大笑いし、突然歌い出す仲間につられて歌い、くだらないことに全力で取り組む。
いつも通りの毎日が、本当に幸せだった。

毎回違う席の食事も新鮮で楽しかった。

暗くなってから帰宅すると、既に明かりが灯っているのが見える。
いつからか、玄関に入ると"ただいま"と言うようになり、"おかえり"と返事がある。誰かが出かけて行くときは"いってらっしゃい"と声をかけ、"いってきます"と返事をする。
一人暮らしの生活にはないこのやり取りが、cocokaraではいつも通りだった。

当たり前のように思ってしまう"いつも通り"が、こんなにも幸せなことだったのかと、奥尻島での10日間に気づかされた。

幸せを感じる灯火。玄関の網戸を閉めるにはコツが必要。

最後に

参加決定・人との出逢い・島での体験・日常生活…奥尻島での活動に関わる全ての出来事が、キセキだったと感じている。

たった10日間だったが、いつでも帰れる故郷ができ、帰りを待つ家族のような人たちができた。
愛に溢れた人たちがいる場所、それが奥尻島の「神威脇」。間違いなく、他にはない自分にとっての特別な場所になった。

第2の故郷。そして、大切な家族。

大切だからもう一度。自分はみんなに出逢えて、本当に幸せだった。
一生忘れることのない宝物を、沢山の心のお守りをありがとう。
そして…"よろしくね ずっとこれからも"。

今回の活動で出逢ったすべての方々へ感謝を込めて。

P.S. 奥尻島に行って卒論のテーマを変えました。

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