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出産 ~子ども②~

臨月になった2007年12月、同居している私の妹がウィルス性胃腸炎になり、発熱と嘔吐・下痢で寝込んでいた。
出産予定日の5日前、もれなく私もウィルス性胃腸炎の症状が始まった。
解熱剤等を内服していいか市立総合病院に電話したところ
「発熱と吐き気って、HELLP(ヘルプ)症候群の可能性もあるから、
 すぐに入院準備をして来院してください!」

と、助産師の口調は物凄く慌てていた。
【絶対に胃腸炎だってば・・・】と思いながら、仕事へ行っている佳哉に連絡し、帰ってきてもらい病院へ。
子ども①は、胃腸炎から回復途中の妹に託した。

17:30に病院に到着し、そのまま産婦人科病棟へ。
検温すると38度台後半で、私はぐったりしていた。
すぐにベッドに横になるように言われ、病室ではいろいろなモニターに繋がれた。
自覚は無かったが規則的に張りがあると言われた。
またしても夕飯はカレーライス
吐き気がある状態だったので、食欲もなく、佳哉のお腹に収めてもらった。
そして21時ころの回診で、心窩部の痛みがあることを医師に伝えたところ、エコーをしてみようという事になった。
医師と助産師がエコーを持って来室した瞬間に、パーン!とすごい音がして、破水した。
エコーどころではなく、着替えもなしでLDRに車いすに乗せられて連れて行かれた。
発熱・嘔気・微弱陣痛でウトウトするものの、熟睡できないため体力が消耗していっているのがよく分かった。
翌朝、別の産婦人科医師が来て、子宮口もかなり開いてきているけど、私の体力が無いせいか赤ちゃんが降りてこれていないので、促進剤を使用すると知らせに来た。
私は「帝王切開にしてください」と泣き言を言っていたが、助産師が
「準備に2時間くらいかかるの!
 その間に産まれてくるから、もう少し頑張って!」

今回、初めての立ち合い出産なのに、全く戦力にならない佳哉にイライラをぶつけては、「もう切腹して~」と泣きわめく私。
後日、隣のLDRに居たママさんと新生児室でご一緒になった時に「ものすごく頑張ってたよね」と言われて恥ずかしかった。

2007年12月のある日曜日のお昼前に、予想より大きな女の子が産まれた。
子ども②は、髪の毛がふさふさで、手の指も長くて細い美人だった。
佳哉にビデオ撮影を依頼していたのだが、娘の足の方から撮影していたので陰部が丸見え!
子ども②本人が小学生になってビデオを見返したときに、父親に対してデリカシーが無いとキレたのは言うまでもない。

出産の2日後は、子ども①の5歳の誕生日。
市立総合病院では母子同室だったので、子ども①のケーキを持ち込んでみんなでお誕生日をお祝いすることが出来た。
「お誕生日プレゼントさぁ、妹でいいんだよね?」
と私が言うと
「ウン!」と満面の笑みで返す子ども①。
しかし数秒後、
「ママ、誕生日のプレゼントは自転車の約束だったよ!」
と、ふくれっ面で可愛かったなぁ。

これは、2007年12月のエピソード。
産後1ヶ月は車の運転禁止と言われていましたが、2週間しか我慢できませんでした。
子ども②は母乳っ子で、いつも胸を出しっ放しだった私。
まぁ、食物アレルギーがあったから仕方ないんですけどね。
トップの写真は、子ども②の生後2日の手です。


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