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年をとるほど「美人」扱いされる謎

気付けば、このnoteを書き始めてから3年半。
当時は、
「いつまで『きれい』だの『美人』だの言ってもらえるんだろう」
「あと2~3年もしたら、パッタリ言われなくなるんだろうな」
「今のうちに、目いっぱい満喫しておこう!」
と、わりと冷静に考えていたつもり。

ところが、まったくそんなことないんです。
相変わらずの美人扱い。高嶺の花扱い。
面と向かうと、照れたような笑みを浮かべる人。嬉しそうに笑う人。
初めて私の姿を見た人が、
「あのきれいな人、誰?」
と噂していたなどという話も、まだまだ聞こえてきます。

だけど、最近気付いたんです。
極端に体型が変わったり、身だしなみの手を抜かない限り、多分ずっと美人扱いしてもらえるのだということに。

なぜなら、自分が年をとるのと同じように、まわりも年をとっていくから。
自分が所属するコミュニティってありますよね。仕事であったり、趣味関係であったり、子どもの学校関係であったり。
自分が年をとると、関わる相手も自然と似たような年代になっていきます。
どんなにきれいにしていても20代の中に入ればオバチャンですが、同年代に混ざれば、身ぎれいにしているだけで「きれいな人」といわれるのです。
むしろ、若いときは可愛い子、きれいな子なんていくらでもいましたが、この年になると体型や服装がおばちゃんっぽくなっていく女性が多いので、ちょっと小ぎれいにしているだけで一人勝ち状態。

ただし、忘れてはいけないのが、どれだけ「きれいだ」「美人だ」といわれようが、あくまでも「年のわりには」であること。
「年のわりには」といってしまうとアレですが、よくいえば「その年代ならではの美しさがある」ということです。

つまり、まわりから注目される40代の美人になるために必要なのは「品性」。
顔より、スタイルより、最終的に人を惹きつけるのは「品のある立ち居振る舞い」です。もちろん、そこには装いも含まれます。

「きれいといわれるから大丈夫」
「スタイルいいから大丈夫」

と、体のラインが出る服や丈の短いスカートをはいている中年女性からは、品性は感じられませんよね。
むしろ、どんなに美しい女性でも、とたんに清潔感を失ってしまいます。
私も、足にはまだそこそこ自信がありますが、自分の品位を下げたくないので、もう膝上のスカートははきません。
いくら足がきれいでも、顔を見てぎょっとされたくないんです。

以前勤めていた会社に、50代前半のとても足のきれいな上司がいました。
膝上のスカートがとてもよく似合っていましたが、初めて見たときは正直ぎょっとしましたね。足がきれいなだけに、年相応の顔がかえって悪目立ちしていたのです。
毎日見ているうちに慣れてしまって、なんとも感じなくなりましたが。
あの初対面のときに受けたインパクトは、自分への戒めのため、心の中に大切にしまっています。

服装だけではありません。メイクもそうですよね。
20代、30代はギャルメイクでも「可愛い」といわれますが、40代になっても同じメイクでは、さすがにまわりの反応は同じとはいえません。
年をとるにつれてメイクが濃くなっていく人もいますが、濃いメイクはかえって中年女性の美しさを奪います。

若い頃、散々チヤホヤされてきた女性の中には、中年になっても20代の女の子と同じ土俵に乗ろうと必死になっている人がいます。
なぜ、20代の女の子と戦えると思うのでしょうか?
必死になるほど、品性を失っていることに気付いてますか?

目指すべきは、年相応の美しさ。
すれ違いざま、振り向かれるほどの美貌なんてなくてもいいんです。
20代の男の子から見惚れられる必要はありません。
ただ、同年代の人たちから「きれいな人」と言ってもらえて、子どもの同級生から「あなたのお母さん、かっこいいね」と言ってもらえる。
それで十分では?

私は最近、70歳とか80歳くらいのおばあちゃんに目がいくんです。
ときどき、すごくおしゃれなおばあちゃんがいるんですよね。もちろん、年相応のおしゃれ。もう、素直に「かっこいいな」と思います。
今の、私の目標です。

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