コンテンポラリー・アート茶飲み話

記事を書かないまま、日が開いてしまったけど、

また、ただ書いていこうと思ったら、ノートが重たくて、固まってやっかいだったりしてパソコンまで調子が出ない様子をするのはどうなのか。

それでも気を取り直し再起動で出直す…

仕上がっていない下書きなども多少抱えているが、少しは新鮮な気分で書きたいので、下書きは無視して新しく書き出してみている。

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昨夜なんとなく美術手帖のバックナンバーを見ていてグレゴール・シュナイダーのインタビュー記事を見つけ、グレゴール・シュナイダーについて書こうかと一瞬思ったのだが、その記事を読んだら一気にしんどくなった。

しかし未練たらしく検索にかけた情報などを適当に流し見していたら、秋にグレゴール・シュナイダーとやなぎみわの参加による新アート・プロジェクトが神戸で開催されるようだ。 じつに興味深いが、なんだか今この二人について書いてみようという気概が、…しんどすぎて起きない。

グレゴール・シュナイダーの作品は、一部しか見たことがないが、長く記憶に残る作品であり、とても面白いと感じるのだが…。しかしその面白さがいったいどういうことなのか、それを書くのはかなり難儀に感じられ、知識のメモみたいなことしか書けない。

たぶん、インタビューからしてグレゴール・シュナイダーの言ってることが、シリアスかつもっともすぎるのである。もっともすぎることは、実は、破壊的なところが大いにあり、というのも、無意識に染みついてさえいるような「お約束」といったものがいっさい通用しないからで、「ああ、そこからかい…」

と果てしなく思ってしまう。それは同時に、非常に面白いことでもあるんだけど、ま、いろいろしんどい。

少しずつやろう、そういう時は。

私はいろいろ知らないことがたくさんあるので、その美手帖のインタビューで初めて、アプタイベルク美術館という「良すぎそう」な美術館を知った。

シュナイダーいわく、「美術館は今日も、コンテンポラリー・アートの空間として正しく機能していないように感じる」けれども例外があり、そのひとつがアプタイベルク美術館だという。ま、いわれてみりゃもっともな話かもしれなくて、作品にもよるが、美術館に設置されていることがどこか場違いな印象だったり、無理にその空間に押し込められているように

見える現代アート作品というのは少なくない気がする。

アプタイベルク美術館は「最初から恒久展示のために設計されており、個々の作品と建築が密接に関係している」そうだ。メンヒェン・グラードバッハという申し訳ないが聞いたことのない町?にあるようだがたどりつくのもそれなりにやっかいな様子だ。常にアート巡礼者志願な人間には引きがありますね。

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