見出し画像

原則11「誤りを指摘しない」|人を動かす

さて、今回もサクッとわかりやすく紹介していきます!


人に他人の間違いを指摘する資格はあるのか?

私たちは普段よく、誰かに対して「それは間違っている!」と間違いを指摘します。「その考えは甘い」「馬鹿らしい」「無茶だ」などなど...。

でも、そもそも人ってそんなに正しいか間違ってるかの判断ってできるのでしょうか?

20世紀の偉人 セオドア・ルーズヴェルトは、「自分の考えることが、100のうち75まで正しければ、自分としては、それが望み得る最高だ」と言っています。
自分の考えることが55%正しければ、ウォール街で一日に1億円儲けることができます。

一体、わたしたちは何%正しいのでしょうか?


正しかったとしても、指摘はしない

例えば「1+1=3だ!」と明らかに相手が間違ったことを言っていても、間違いを指摘することはよろしくない、とカーネギーは言います。

次の言葉は、ベンジャミン・フランクリンがまだ青年の頃、議論で論破をすることが大好きだった頃に、ある友人から説教された言葉です。

「ベン、君は駄目だよ。意見の違う相手に対しては、まるで平手打ちを食らわせるような議論をする。それが嫌さに、君の意見を聞く者が誰もいなくなったではないか。君がそばにいないほうが、君の友人たちにとってはよほど楽しいのだ。君は自分が一番物知りだと思っている。だから、誰も君には物が言えなくなる。事実、君と話せば不愉快になるばかりだから、今後は相手にすまいと皆がそう思っているんだよ。だから、君の知識は、いつまでたっても、今以上に増える見込みはない ー 今の取るに足らない知識以上にはね」

あああ耳が痛い...耳が痛いです。前回の原則10「議論を避ける」にもあるように、議論に勝っても相手の自尊心を傷つけているだけに終わっていることは多々あると思います。

では、相手に誤りがあった場合には、どうすればいいのでしょうか?


誤りは相手自身に気づかせる

それは、誤りを相手に気づかせることだとカーネギーは言い、本書では以下の2つの手法を紹介しています。

・「おそらく私の間違いでしょう。私はよく間違います。」と始める
・(企画を持ち込む場合などは)相手に問題点や改善案を質問して考えさせ、その後に提案する

どちらも、自分が正しいという雰囲気は一切出さず、相手自身が間違い・問題点に気づくように振る舞うことが共通していますね。

なぜ、相手自身が気づくようにすることがポイントなのかは、人間の心理に基づいています。

我々は、自分の非を自分で認めることはよくある。また、それを他人から指摘された場合、相手の出方が優しくて巧妙だと、あっさり非を認め、むしろ自分の率直さや腹の太さに誇りを感じることさえある。しかし、相手がそれを無理やりに押しつけてくると、そうはいかない。

先に自分の自尊心を満たし、相手の自尊心を傷つけて関係を悪化させるか、
相手の自尊心を傷つけずに関係を良くすることで、自分の自尊心を満たすか、

どちらがいいですか?ってことですね。本当毎回耳が痛い...。


今回も読んでくださり、ありがとうございました!!

「人に物を教えることはできない。自ら気づく手助けができるだけだ」
ー ガリレオ・ガリレイ ー

原則11:相手の意見に敬意を払い、誤りを指摘しない。

頂いたサポートは仕事のおとも、スターバックスラテに使わせていただきます。 また、下のツイートボタンから感想をシェアしてくださったら、RTで紹介させていただきます!