米国の欧州安全保障政策・北極海からの視点

今回は、今まで主にバルト海地域から観察していた北欧地域の、さらには欧州全体の安全保障を、北極海地域の安全保障という視座からとらえなおしてみるとともに、北極海という視点から米国のNATO離脱はありえるかという問題について検討してみたいと思います。

1.バルト海地域の安全保障と北極海地域のそれとは別文脈である
2・ロシアの北極海における拡張主義、中国の進出
3.米国のNATO離脱は北極海から見ると考えにくい。中国の進出も念頭


1.バルト海地域の安全保障と北極海のそれとは別文脈である

ノルウェーのWebニュースサイト・バレンツオブサーバーによれば、2月11日にノルウェー情報局のモッテン・ハガ・ルンデ局長が年次報告を行い、その中で2018年2月14日にロシアのコラ半島より飛来したロシア軍のSu-24(11機)がノルウェーと露との国境に近いヴァルド―(Vardø)にあるレーダーサイトに疑似攻撃を行ったことについて言及した。これは2017年3月24日のロシア軍機の同様の行動より規模が大きいもので、こうしたことから「2019年において西側・露関係が改善する兆候はない」と述べた。さらに、中国の北極海進出についても言及し、「長期的に、我々は隣接地域において中国の明白なプレゼンスに備えねばならなくなる」と述べた。ちなみに記事ではロシアが今年計画している、北極海のノヴァヤゼムリャ島、ノヴォシビルスク島を含む海域で行われる大規模演習ツェントル19に中国が参加するかは公にはされていないとしている。

今まで筆者は、北欧地域の安全保障は露のバルト三国奪取を念頭におき、バルト海地域を中心に観察してきた。しかし、こうした露(そして中)の北極海進出と軍事的な動きを見て、ノルウェーとその領海の安全保障についてはロシアの北極海での地政戦略というコンテキストの中でとらえるべきであり、この地域はバルト三国での有事とは切り離して、北極海安全保障の文脈で検討することも必要ではないかという思いを抱いたのである。


2・ロシアの北極海における拡張主義

北極海はロシアがNATO加盟諸国と対峙する、もう一つの「前線」である。そこには米国本体だけでなくカナダ、ノルウェー、デンマーク、アイスランドといった加盟国の領土と領海が存在し、その南には米にとって重要な同盟国である英国の領土・領海がある。特に、ノルウェーのスバールバル諸島はロシアにもっとも接近しているところであるが、ここはスバールバル条約締結国の国籍を持つものならば誰でも経済活動を行ってよいとする特殊な地域であり、この条約締結国であるロシアの国籍を持つ住民も多数居住する。ここでは、2014年のウクライナ戦争勃発後、ここを軍事利用することは禁じられているにもかかわらず、チェチェンに向かうロシア軍部隊がここの空港を経由した件が両国間で問題になるなどロシアからの気になるアクションが散発的に行われており、ノルウェー当局もここの防衛に注力せざるを得ない状況となっている。

上に述べたように筆者は北欧、特にスカンディナヴィアの安全保障をおもにバルト三国有事を念頭に観察してきた。2017年の、バルト三国とその周辺地域を念頭に行われたと思われるロシア軍の大規模演習Zapad2017では、ロシア陸海空軍の主な活動地域は主にこの地域であり、バレンツ海から北海にかけては空軍機がデンマーク付近まで南下した。この観点から、ロシアがバルト三国奪取に動いた場合、北極海から北海にかけてはバルト海沿岸地域に向かうNATO軍の増援部隊を空から阻止する助攻を行う程度と筆者は見ていたのである。

こうした見方は、筆者がロシアの地政戦略は2014年以降もその本質は防勢であると見なしていたことで強化されていた。実際ロシアがその国土以外で軍事行動を行う場合それは以前からの勢力圏の維持という性格が強く、ロシアが新たな勢力圏拡大を求めて拡大主義に傾斜するとは想定しがたいと考えていたのである。だが、経済制裁下にあるロシアにとって経済のアジア太平洋地域へのシフトは急務であること、そのために北極海航路の開拓は優先事項であること、そして比較的最近注目されだした北極海はフロンティアの性格が強く、ロシアがここにおいて米国をはじめとするNATO加盟諸国と対峙するにはここに新たな勢力圏を構築する行動に出ることが必要であることを考えると、少なくとも北極海という地域に限定すれば、ロシアが拡張主義的な行動に出ることは十分に考えうることであろう。上で述べた北極海での大規模演習ツェントル19は、そうした文脈から、どのような演習が行われるか注意深く見守る必要がある。

3.米国のNATO離脱は北極海から見ると考えにくい。中国の進出も念頭

こうした観点から米国の欧州安全保障政策について考えてみると、NATO加盟国が北極海周囲に存在しそれら諸国の協力が米国独自の北極海における防衛行動に不可欠であることを考えると、米国のNATO離脱は考えにくいのではないかと推測されるのである。米国がNATOから離脱してロシアが欧州の北極海沿岸諸国の領土そのものに手を出した場合、北極海から北海・大西洋に出る出口を制されてしまうことになる。そしてNATOから離脱したとしても北米大陸防衛のために米国はカナダとともに軍事行動を行うであろうが、カナダ領防衛のためにもそのすぐ横にあるグリーンランドなど欧州諸国の北極海の領土を「こちら側」として確保しておくことは米国にとって必要であろう。

さらに、昨今貿易戦争(その実は安全保障問題をめぐる争いなのであるが)で対立状況が著しい米中関係を見ると、中国が北極海への軍事プレゼンスを、米国の裏側にあり、その北米大陸の沿岸地域は米国に比べてはるかに弱体なカナダ領であるという米国にとっての「弱点」とみなして、その増大を加速させることも十分考えられる。この点でもツェントル19に中国が参加するか否かは非常に重要な問題である。仮に参加することになれば米国は北極海において中国の脅威を明白に感じることになるだろう。そうなれば米国はNATOからの離脱という選択肢を取ることはさらに難しくなるはずである。

この記事を書いている現在米国のポンペオ国務長官はハンガリー、スロバキアといった東欧諸国を歴訪しているが、ハンガリーにおいて米国は東欧地域へのコミットを強化しなければならないと述べた。こうしたことからも米国のNATO離脱は今のところ考えにくいと思われる。ちなみにポンペオ長官はロシアと並んで中国の脅威も強調しており、米国のこうした動きは新たに始まった中国との対立的な外交政策の一環と見ることもできるかもしれない。本稿で述べた北極海における各勢力の地政学的角逐を見るうえで、中国が今後強力にこの地域に進出してくれば、欧州安全保障そのものの観察もより複雑化してくると思われる。欧州安全保障ウォッチャーとして、筆者も気を引き締めて観察を続けなければなるまい。ちなみに、本稿を書く発端となった記事を提供したノルウェーのバレンツオブサーバーだが、中国の北極海における「経済的」進出により中国語による配信を開始することになった。中国の硬軟(陰陽とも言っていい)が不分離の戦略・戦術に欧州側が上手く対応することを期待したい。

執筆依頼などは jorufaegir2002@gmail.com  にお願いいたします。

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