映画キャッツのこと

自分の頭の中を文章なりにまとめてアウトプットする場所を作らねばと、ここ2年くらい思い続けていたので、とうとうnoteに登録してみた。自分の好きなことや大切なこと、今夢中なことや考えていることにについてぽつぽつと書いていきたいと思う。

今考えていることはもう昨日見た映画「キャッツ」のことばっかりである。日本公開前から海外メディアによる生き生きとした酷評が届いていたし、予告編の映像もちょっと不安になるビジュアルだったため、ミュージカルファンとしては不安で仕方なかったが、爆死してるなら骨を拾いにいかねばという無意味な責任感で映画館まで見に行った。

結果、ものすごい違和感があったり理屈が通らなかったりというツッコミどころは無数にあったのだけども、ある程度覚悟を決めていったおかげか、思ったよりは楽しめた。

 映画では、特に何のストーリーもない作品に芯をとおすべく、ヴィクトリアという猫に新たに捨て猫という設定を付与した上で、この子の目線で色々な猫たちを紹介していく。一度家族から拒絶されたヴィクトリアが、仲間に出会い、同じく周りから拒絶され孤独になった娼婦猫グリザベラと出会って彼女に共感し、救済し、この一連の出来事を通して自分の居場所を見つける、というストーリーになっている。

この改変はすごく良かったとは思わないが、映画化する上でできうる限り最前のアイディアだったように思う。

ただ、まあ、そのメッセージも、あー言いたいことはわかるんだけどねーーー!という程度で、感動につながることはなかった。もともとの作品がもつ、人生の一瞬のきらめき、自分の得意なこと好きなこと誇れることがある喜び、輝いていた過去を想う切なさ、といったようなひとつひとつの感動要素が軽視されていたんじゃないか、と思う。楽しくエンターテイニングなダンスやセットや猫たちのビジュアルもたしかにキャッツの魅力のうち大きな割合を占めるけど、良質なドラマを世に出してきたトム・フーパー監督でならばそちらに重きを置かずとも良い映画キャッツが撮れたんじゃないか。

まあでも俳優さんのパフォーマンスにはステキなものもあったしやっぱり音楽は最高にいい(すごいダサいアレンジされてるところもあったけど)。舞台では男性が演じるオールドデュトロノミーを演じる大女優ジュディ・デンチの存在感が抜群で、この爺→婆という改変が今回一番いい改変だったかもしれない。日本語字幕付きで原詩を楽しめるのもよかった。

ただ舞台キャッツを観たことない人には、全然おすすめしないし、できれば下手に映画版をみてキャッツのことを嫌いにならないでくだたい!と思う。



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