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読書感想文と、繊細な人と。

同僚から勧められて植本一子さんの著書を読みました。会計などのビジネス本・実用書以外ではひさしぶりの読書でした。

 

「いささか身勝手すぎやしないか」という意見もありますが、先日BSで見た映画『次郎物語』とも共通して、身近に理解者がいることは幸運です。理解者がいることは本当に素晴らしいことです。

私はもともと本が好きで、進級すると新しい国語の教科書はその日のうちに読み切ってしまうような子でした。お気に入りの本がいくつかありましたが、人間的に未熟な主人公の物語が多かったようにも思います。

中学生の頃に何度も読んだのは『路傍の石』、さらには小3で初めて手を付けた『人間の条件』もそう。夏目漱石の『坊ちゃん』も好きでした。

※次郎物語は小1の夏休みに母から「映画館で見てきなさい」と言われて、兄と2人で近所の新所沢パルコに行ったんです。今思うととても進歩的な母でした。路傍の石を気に入る原点かもしれません。

バランスの大切さ

人付き合いに関する言葉に「智に働けば角が立つ 情に棹させば流される」というのがあります。これまた夏目漱石の『草枕』です。理屈と感情は相容れないものであり、バランス良くやらなければなりません。

ここで挙げた作品は多くが感情故の失敗や生きづらさに関係します。高3のときに受験勉強から逃避して耽溺した武者小路実篤『友情』などもそうでした。思い込みが過ぎた未熟な人間性に共感性羞恥を覚えつつ、石膏像を叩き割れ!


ここから先は、それらの本とは直接の関係はありません。もちろん誰か特定の人を指して書いているわけでもありません。ここ数年ずっと思っていることを書きます。

子供な大人

精神的に幼いまま歩みを進めると極めて自分勝手な人間が出来上がります。自己中心的な思考回路で知らず知らず周囲の人を傷つけて回ります。

その一方で繊細なところがあって、場合によっては一人で暴走して一人で勝手に傷付いていたりします。アルバイトを含めてこれまで経験したどの職場にもいらっしゃいました。

でも私はそういった人たちを責める気は全くありません。ここまでキツい書き方をしましたが、このスタイルはご自分守るために仕方なく取ってしまう行動、特質なんだとも思います。内面に優しさを感じる時もあります。

だから周りがいくらか気を遣ってあげる必要があるでしょう。コロナ禍を経て「心理的安全性」という言葉が一般的になりましたね。あれです。これは繊細な人がいようがいまいが関係なく、人付き合いにおいてとても大切な概念だと考えています。

私の歴代の上司の方々はこれが格段に素晴らしかったです。こういう気遣いに優れた人たちが集まると本当に働きやすいんですよ。マルハラ?なにそれ?という感じになります。

心理的安全性

私も特に意識しています。これがあると無いとで、関係者の生産性が全く違ってきます。例えば、数字の改善を図る時はあくまで「数字の改善」が目的であり、個人を責める気はまったくないことを最初に伝えます。

ミーティングの入り(いり)にその一言を伝えるだけで、その後の議論が驚くほど活性化します。これはミーティングに限らず、会社で過ごす全ての時間で意識しています。
※娘とのコミュニケーションでも同じです。

子供な大人が大人になるには

気遣いに気付く

ここでも責める気は全くなくて、中身が子供のまま大人になってしまった人は、ぜひとも周りが配慮してくれていること、その優しさに気が付けるといいですね。
※気付ける人は十分に大人なんですけどね。

環境も大事

そのためには周りに優しい人たちがいる環境で過ごすことが重要です。世の中はボランティア精神に溢れる人ばかりではありません。むしろ意地悪な人のほうが多いこともあります。

意地悪な人を相手にしなくていい

その場合、意地悪な人間たちに付き合う必要はありません。限りある人生です、時間がもったいない。さっさと逃げましょう。我慢する必要はありませんし、必要以上に自分を責めることもありません。環境を変えましょう。

疑心暗鬼を減らす

学生時代の恋愛に似ているかもしれません。若者、特に人生経験が浅い学生の恋愛。募る想いのせいで普段とは違った態度を取ったり、心にも無いことを口にしてしまったり。

その結果、自己嫌悪で煩悶した経験は多くの人がお待ちのことでしょう。かつては私もそうでした。

でも仕方ないじゃないですか。人間だもの。やらかしたかもしれない、でもきっとその後が大事なのでしょう。ほとんどの失敗は人生に影響ありません。そのへんの蟻が小石に躓いた程度の、本当に些細なことでしかありません。

泰然自若、明鏡止水

自信過剰になることもなく、ただ泰然自若、明鏡止水の心持ちです。禍福はあざなえる縄の如し。悪い(と思った)ことは良いことと表裏一体です。やらかしたと考えすぎても辛いだけですから反省は程々に、もう少し気楽にやったらいいかもしれません。

私は、ともすると無神経な人間かもしれません。このキャラクターがゆえに、議論において誰もが言いづらいことを私から切り出してほしい・言ってほしいという空気を感じることもあります。まあ、それはそれ。

大事なのはそれまでの信頼関係とこれから先の関係構築の機運なんでしょうね。そして相手のことを慮りつつ自分は自分であり、自分の気持ちは大切にしています。

無理にやらなくてもい

この話を考えるとき、私はいつもプリキュアを思い出します。

娘はヒーリングっど♥プリキュア世代なんですが、最後の方で窮地に陥った悪者が主人公に犠牲と献身を伴う救いを求めるんです。

そこで一瞬だけ逡巡した上できっぱり拒絶するところが素晴らしかったんです。プリキュアとして救いを求める存在に手を差し伸べなければならない、でも自分を犠牲にしてまでして義務感に駆られる必要はないのです。

当時4歳だった娘はこのシーンを繰り返し見ていましたので、やはり何か感じるものがあったんでしょうね。あのシーンは大人が見ても本当に良かったです。

何事もバランスです。バランスを欠くような時は休むのが一番です。

3分間カモンを連打されたり、残念な味方に絶望したのか回線を切断されてしまったりしたら離れましょう。それにしても、この私がワイコラで6連敗とかありえない。。。

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