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ありんす(2722文字)

noteを始めて間もない頃、

あるnoterさん――だなんて隠す必要ないよな――まゆ♪さん

の記事を、

いちばん最初の投稿記事にまで遡って、

日に10とか20記事くらいのペースで読ませていただき、

「読ませていただいたよー♪」

ってお伝えするために、

読んだ記事すべてに、

順番に、

「スキ」を付けさせていただいたことがある。

当時のまゆ♪さん、

noteを始めて1年くらいだったのかな、

半年くらいだったのかな、

毎日更新されておられたわりには

まあ記事の全体量がそう莫大でもなかったから

いちにまで遡って読ませていただくことができたのであって、

2年も3年も前から執筆をされておられる方のnoteには

ちょっとなかなかそんなふうにはできなかったりするのだけど――。

――noteを始めたばかりで、

まだ右も左もわからなかった僕のnoteに、

まゆ♪さんは早いうちにいらしてくださり、

当時の記事に貼り付けていた販売告知経由で

拙作を、

ウクレレ小説であるから――との

おそらくは同好のモチベーションに導かれ

惜しげもなくお買い上げしてくださり、

なので僕は感激し、

小説を購入してくださったまゆ♪さんってどんな方なのだろうo(゚∀゚)o

と興味を持ち、

まゆ♪さんのnoteを訪ねた――ら、

すごいヴァイオリニストにして

軽やかなウクレレテクニシャンで、

こちらも始めたばかりのウクレレに霧中に、いや夢中になってた頃だったから――、

おまえのーすべてをーみーたいー♪(©沢田研二)とばかりに、

冒頭で書かせていただいたように、

最初の記事にまで遡って

拝読し、

「スキ」を連打させていただいちゃった次第。

まゆ♪さんも

そのことを

たぶんだけど

別に不快には思われなかったようで、

だからその後も仲良くさせていただきながら今に至るのだけれど――、

先日、

あるnoterさんの記事を拝読し、

『いちまで遡って一気読みをかまし、もって「スキ」をいちどにたくさん付けること』はマナー違反なんじゃないか!

――と思う方もいるらしきことを知って

( ̄▽ ̄;)ガンギンゴーンとなった!

こんな僕なんかの、

今じゃ無駄に本数があるnoteにおいても、

たまあにだけど、

いちまで遡って読んでくださっている方の「スキ」の連打に遭遇することがある。

僕は嬉しいo(゚∀゚)o

だけれども、

いちまで遡って読まれたりすることを

ストーカーされているように感じたり、

スキをいちどにたくさん付けられることを

嫌がらせのように感じたりする人もいるんだ!

――と知り、

むーむむ

となったのである。

最近、

仲良くさせていただいているnoterさんの、

なんと4人!

にものぼる方々が、

読み手の不快感情にやられて

記事を上げづらくなっている――

そんな場面を偶然、

目撃してしまった……。

なんのシンクロにして、なんのシティだっ??

お星さまの角度がいま

なんかそんなあんばいなのかいな??

――だなんて、

最近星占いに凝っている僕なんかは思っちゃったのだが、

理由はどうあれ、

そういう事態が頻発しているように

僕にはうかがえてしまい、

だから余計なことのようだけど、

えいやっ

と今日は

こんな記事を書いていたりするのである。

思うに、

悪気なく書かれた文章なり――に対する不快感情は、

その感情の持ち主のものであって、

感情の原因となった

表現者の表現に起因するものでたとえあろうとも、

表現者に一切の帰責性はない――!

と僕なんかにはそう思えるのである。

だって、

すべての読み手の感情にいちいち配慮してたら

表現なんてできなくなっちゃう。

表現の自由を制約できるのは

「公共の福祉」に反するときのみである――

って憲法の授業で習った。

誰かの個人的な感情は「公共の福祉」ではない。

だから、

記事の投稿も、

コメントも、

スキ付けも、

悪意がないなら

自由になされてぜーんぜん問題ないはずだ――!

ってこれまた僕なんかは思っちゃう。

記事の内容や文体だってそうだよ?

――自分の描いた漫画が誰かを不快にさせるかもしれない……、

だなーんて考えたら漫画家は漫画を描けなくなっちゃう。

だから編集者は漫画家さんに言うのだ。

「世界中が否定しても、僕は君の漫画を肯定するっ!」

って。

肯定してくれる誰かが

たった一人でもいる限り、

表現は

表現される価値がある。

誰かを意図的に傷付けてやろうだとか

やり込めてやろうだとか

そんな悪意の表現なら別だけど、

善意の表現に対して

悪意のヘイトをかます権利なんて

誰にもないはずだ。

ヘイト表現は、

程度によるけど

これ、

「公共の福祉」を害している気がするし、

なにより、

ホーリツがどーこーじゃなくて、

意図的に、

狙い打ちで相手の気持ちを傷付けるという点で、

保護されるべき表現とは、

んー、

わりと難しい線引きだけど、

言えないんじゃないかな?

――ってやはり僕なんかは思ってしまう。

noteには、

規約こそあれ、

こと細かくツールの使い方が示されているわけじゃない。

たとえば、

「スキ」。

これには、

僕が知る限りでルールはない。

だから各自の解釈に任されているんだと思う。

「面白かったっす!」って「スキ」もあるだろう。

「この記事読みましたよ!」って既読を伝える「スキ」もあると思う。

タイムラインに流れてきたなじみのnoterさんのアイコンに対して、

「存在を確認しましたよ!」って伝達する「スキ」もあるんじゃないか?

あいあむひあ、であり、

ゆーあーひあ、である、

そんな「スキ」があってもいい。

生存確認、みたいな「スキ」。

誰かが自分の存在を肯定してくれている――

って感じさせてくれる「スキ」。

僕も

そんな「スキ」を

付けていただいている気がする。

いろんな「スキ」があっていいし、

いろんな「記事」や、

いろんな「コメント」があっていい、

と、そう思う。

僕なんかの記事で、

もしかしたら誰かが傷ついているかもしれない。

僕なんかにコメントされて、

不快に感じている人もいるかもしれない。

いや、「スキ」を付けられただけでぞっとしている人だっているかもしれない。

でもそれでもやはりなお、

傷付いちゃった人には、

ご愁傷さまだけど、

悪意はないんで、

僕は記事を上げ続けちゃうし、

書きたかったらおずおずとであってもコメントも書く。

「スキ」だって付けちゃう。

不快感情は、

重ねて書くけど――、

その感情の持ち主のものであって、

僕にどうこうできる類のものではないから。

ひとさまの不快感情に

傷付いてしまっているnoterさんを応援したくて、

今回はこんなもんを上げさせていただいた。

不快に思った方がいらしたら、

ごめんなさい。

でも、

その感情は自身でなんとかしてください。

表現者は互いに、

自立し、

かつ自律してゆきたいもんでありんす。

ってなんで締めが「ありんす」やねん!

ごめんなすってで、

ありんす。


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