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思考停止がめんどくさい

台湾楽しかったなあ。っていう写真です。

案の定ノート続けて3日で投稿しなくなり、気づけば1ヶ月経ってました。わろた。本当に持続しないし、何か有益な情報を与えないといけないというよく分からん見栄があったぽいです。

もう少しだけ自分に寄り添った自分による自分のための文章にしたいですね。文末変えようかな、まあ違和感感じたら変えよ。

てことは今日は自分への整理にしよう〜

本題に行きますね

思考停止ってしばしば現れるものなんですよね。私はポジティブな思考停止とネガティブな思考停止があると考えています。

ネガティブな思考停止というのは当たり前に縛られたり、『〜するべき』とか『習慣が、伝統が〜』って理由だけで思考停止してみたり。

思考と選択の連続の中である程度休みが欲しくて、自身の中に決まりを作りあえて選んで思考停止するのはポジティブなものだと考えています。毎朝思考するのが大変だから曜日で服を決めたり、『今を生きる』と決めて将来のことを考えず精一杯今目の前にあることに取り組んでみたり。

私が問題意識を持っているのは前者、ネガティブな思考停止です。
自身が選ばす気付かずで思考停止をする、決断もできずに思考停止すると何が起きるか。

言葉が難しいのですが、まず自身で決断ができていない道を歩かされますね。つまり誰かの都合のいい人生を送らされる。思考停止をすると自由ではなくなる。本当にそのルールが正しいのか、全てを疑う必要はありませんが自身の道を阻むものに対して思考停止をさせられていないか考える余地はありそうです。

なぜ思考停止の話をしたかというと思考停止を沖縄県特に感じるからです。あらゆる場面で思考を止めてる人たちを見かけるからです。

全ての問題とされるものの答えは思考の先にあると思います。だからこそ日常生活の全てにおいて思考を巡らせて欲しいなあと思うのです。

沖縄の教育問題にも通じてくる話にもなっていくのかなと感じます。
思考を続けられる、選択肢をより持てる教育を今目指せていけているのだろうか。

思考と選択肢、その2つをテーマにした何か行動を起こそうを考えてこの辺で終わらせておきます。