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御匣殿騒動 その三 2年前の出来事

行成はなぜあそこまで繁子を避けたのか。
纏頭自体は通常の儀礼だったはずだから、行成が避けたかったのは纏頭そのものではなく「繁子」の方だったんだろう。
その後しつこく自宅にまで押しかけたのは明らかに繁子のやりすぎだけど、どちらも恩ある道兼の由縁者なのに正妻(未亡人)&その娘と繁子&その娘(尊子)に対する行成の態度があまりに違うのには驚く。
行成の態度からは有形無形に関わらず、繁子からは一切何も貰いたくないといった断固とした拒絶反応があるように思える。

話は2年前(長徳4年)に遡る。
行成の繁子に対するスタンス(と行成という人について)がよくわかる出来事があったのだ。

この(黄色)時期の話

長徳4年正月の除目で位記(位階を授けるとき,本人に与える証明書)が別人に回るということあった。被害者(藤原文利)の愁訴により、詐欺発覚。ところが取り調べの間に首謀者 藤原輔遠が大流行中の赤もがさで卒去(7月には大赦もあり)。しかしいくら当事者が死亡してるとはいえさすがに位記略取は放置できない。明法家に先例を調べさせた上で位記を返上させるべきということになった。
(「権記」長徳4年11月19日条)
12月、院別当行忠が上記位記を行成邸に持参。道長の許に参上し報告。
「本物の文利に与えよ」との命が下る。やっと決着。
(「権記」長徳4年12月24日条)

ここには、蔵人頭として政務の枢軸を実質的に握るこの人の、単に能吏とのみいい切れぬ、公平厳正な一面をかいまみることが可能のようだ。判断の正確、犀利、執行方法の精緻等々の原動力となっているのは、明らかに不正を憎む心情である。

「枕草子周辺論」下玉利 百合子 (1986年、笠間書院)

正月の出来事の決着に12月までかかったのは、この年の夏、行成自身も赤もがさに罹患し、ひと月以上仕事から遠ざかっていたせいもある。ただ、決着したとはいえ、このような不正が起こったこと自体に、行成は相当憤っていたのではないか。自分があのまま赤もがさで死んでたら正義はなされたのか?

ひと通り報告を終えたところで、道長は次の話題を持ち出した。
伊勢大宮司公忠の後任として大中臣千枝おおなかとみのちえだを補する趣の宣旨が下った由を告げ、最後にこう告げた。
「任符が出来したら、前典侍(繁子)に下付せよ」(繁子登場!)
(※任符=新任された者に与えられる任命書。身分証明)
これが行成の(いったん収まった)不正への憤りに再び火をつけることになった。
行成は断固「甚不当之由」を主張する。

行成、道長に「甚不当之由」を主張
  • そもそもこの件は「故二条関白」(道兼)が生前申請、宣下の手続き等についても予約をとりつけて置かれたもの

  • そのルートに従い、公忠の辞書(辞表?)を受け取った未亡人が千枝の補任方を奏請、宣下の運びとなったもの

  • なので任符は、奏を執った未亡人にくだし給わるのが筋である

  • なのに繁子の愁訴によって未亡人に下付されないのは「甚だ以て不当の極み」である

行成が道兼に恩顧があったのは前に述べた。
その道兼が生前関わっていた人事なのだから、亡き今、未亡人が受け取り、千枝に授けるのが筋であろう、それを繁子が横からかすめ取るのを許すなど言語道断!
しかもまさに今、位記詐欺が無事決着し、不正は許せんという話をしたばかりではないか!

そもそも「任符」を自分の手から授けることにどんなメリットがあって繁子が割り込んできたのか?
後年(この2年後)の話になるが、千枝は行成に「黄牛」を贈っている。
その年の秋の除目直前の時期なので「『叙位』の事前運動」(下玉利先生)だった可能性が高い(実際、申文が通って叙位されたようだ)。
きっと千枝は日頃からこのような“工作”で有名な人物だったのだろう。
(繁子と同じタイプ?)
繁子は千枝が抜け目のない、たぶん財力もある男だということを以前から知っていたのでそういう男に「自らの手で『任符』を授け恩を売っておくことの見返りの大きさを繁子が計算しなかったはずはない」(同)。
実際は直接関わってないのに、最後の一番目立つ「授ける」ところをやって自分が骨を折ってやったアピールしたかったということか。

しかし、行成の抗議も虚しくその後この命が撤回、変更された様子はない。
行成もそうなることはわかっていながら「言うべきことは言っておかねば」気が済まなかったのかもしれない。
道長・詮子はこの叔母と親しく、繁子>亡兄の正妻だったんだろう。
(ちなみに長保2年2月の彰子立后儀で繁子は理髪を務めている)
道長がこの時の行成の抗議を繁子に伝えたかはわからない。
だが、2年後に繁子が行成の纏頭拒否の一件を訴えて来た時、道長は間違いなく「行成、またかよ…」と思ったに違いない。
もっとも、繁子が他から顰蹙を買うような出来事はこの2年間(に限らず)もっと起こっていた可能性もある。
道長が思ったのは「叔母上、またですか…」の方かもしれない?


まだ少し続きます。
次回はまとめみたいなもの。

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