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論文まとめ309回目 Nature ヒトの海馬ニューロンにおけるシータ-ガンマ位相振幅カップリングが作業記憶の制御に関与する!?など

科学・社会論文を雑多/大量に調査する為、定期的に、さっくり表面がわかる形で網羅的に配信します。今回もマニアックなNatureです。

さらっと眺めると、事業・研究のヒントにつながるかも。
世界の先端はこんな研究してるのかと認識するだけでも、
ついつい狭くなる視野を広げてくれます。


一口コメント

Stepwise activation of a metabotropic glutamate receptor
代謝型グルタミン酸受容体の段階的な活性化
「脳の重要な受容体であるmGlu5は、グルタミン酸というシグナル物質と結合すると立体構造が大きく変化し、細胞内にシグナルを伝えます。本研究は、mGlu5の構造変化を段階的に捉えることに成功し、不活性状態から完全な活性状態に至る過程を原子レベルで明らかにしました。さらに、1分子イメージングにより、アロステリック調節因子やGタンパク質の結合が、mGlu5の構造や動きに及ぼす影響も解明。この成果は、mGlu5を標的とする新薬の開発に役立つと期待されます。」

Methane emission from a cool brown dwarf
低温褐色矮星からのメタン輝線放射
「褐色矮星は星にはなれなかった天体で、ガス惑星に似ています。今回、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡で、約480Kという低温の褐色矮星W1935を観測したところ、3.326マイクロメートルでメタンの輝線放射を検出しました。この放射は、約300Kもの大気温度の逆転層が原因と考えられますが、母星からの加熱がないため驚きの発見です。木星型惑星で見られるオーロラ加熱の可能性があり、太陽系外天体の研究に新たな示唆を与えます。」

Hybrid speciation driven by multilocus introgression of ecological traits
生態的形質の複数遺伝子座からの導入によって駆動される雑種種形成
「この研究では、ヘリコニウス蝶の一種が、2つの近縁種の交雑から生まれた「ハイブリッド種」であることを発見しました。この新種は、色彩パターンや翅の形、寄主植物の選好性など、生存に重要な生態的形質を片親から受け継いでいました。これらの形質は、ゲノム上の複数の領域に散在しており、種分化を促進したと考えられます。本研究は、遺伝子の導入が新種の誕生を導くメカニズムを明らかにした画期的な成果です。」

DNA glycosylases provide antiviral defence in prokaryotes
DNAグリコシラーゼは原核生物においてウイルスに対する防御機能を提供する
「バクテリアは、ファージと呼ばれるウイルスに対して多様な防御システムを進化させてきました。本研究では、土壌から採取したDNAライブラリーを用いて、ファージ感染に耐性を示すクローンを探索しました。その結果、Brig1というDNAグリコシラーゼが発見されました。Brig1は、ファージT4のゲノムから特定の修飾塩基を切り出すことで、ウイルスの複製を阻害します。この発見は、未知の防御システムが自然界に数多く存在することを示唆しています。」

Control of working memory by phase–amplitude coupling of human hippocampal neurons
ヒトの海馬ニューロンにおける位相振幅カップリングによる作業記憶の制御
「作業記憶とは、短時間の情報保持と操作を可能にする認知機能です。本研究は、ヒトの脳において作業記憶がどのように制御されるのかを明らかにしました。海馬の神経細胞活動を記録・解析した結果、シータ波とガンマ波の特殊な同期現象(位相振幅カップリング)が、記憶する情報量に応じて変化することが分かりました。さらに、このカップリングを示す神経細胞は、前頭葉からの制御信号と同期し、記憶の正確さを高めるために他の神経細胞と協調していました。本研究は、脳領域間の複雑な相互作用が作業記憶を支える仕組みの一端を明らかにしたと言えるでしょう。」


要約

代謝型グルタミン酸受容体mGlu5の段階的な活性化メカニズムを明らかにした

本研究は、代謝型グルタミン酸受容体サブタイプ5(mGlu5)の活性化メカニズムを、一連の構造解析と1分子蛍光イメージングにより解明しました。mGlu5は二量体を形成し、細胞外の大きなリガンド結合ドメインがシステインリッチドメインを介して7回膜貫通ドメインにつながっています。活性化に伴い、リガンド結合シグナルをGタンパク質共役型7回膜貫通ドメインに伝達するために大規模な構造変化が起こります。本研究では、不活性状態から完全な活性状態に至るまでの、リガンド結合による中間状態を含む一連の構造をナノディスク中で捉えました。さらに、アロステリック調節因子やGタンパク質の結合が、mGlu5の構造と動態に及ぼす影響を明らかにしました。これらの知見は、mGlu5の段階的で多段階の活性化メカニズムを示唆しています。

事前情報

  • mGlu5は二量体を形成する代謝型グルタミン酸受容体である。

  • 細胞外の大きなリガンド結合ドメインがシステインリッチドメインを介して7回膜貫通ドメインにつながっている。

  • 活性化に伴い大規模な構造変化が起こり、リガンド結合シグナルをGタンパク質共役型7回膜貫通ドメインに伝達する。

行ったこと

  • mGlu5のナノディスク中での一連の構造を、不活性状態から完全な活性状態まで、クライオ電子顕微鏡で解析した。

  • アゴニスト結合による中間状態の構造も決定した。

  • バルク蛍光と1分子蛍光イメージングにより、アロステリック調節因子やGタンパク質の結合が引き起こす構造変化を調べた。

検証方法

  • クライオ電子顕微鏡による構造解析

  • バルク蛍光測定

  • 1分子蛍光共鳴エネルギー移動(smFRET)イメージング

  • 分子動力学シミュレーション

分かったこと

  • mGlu5は不活性状態から完全な活性状態に至るまでに、複数の中間状態をとる。

  • アゴニストの結合は、リガンド結合ドメインの構造変化を引き起こし、膜貫通ドメインへと伝播する。

  • アロステリック調節因子とGタンパク質の結合は、それぞれ特徴的な構造変化を誘起する。

  • mGlu5の活性化は段階的で多段階のプロセスである。

この研究の面白く独創的なところ

  • mGlu5の活性化過程を、不活性状態から完全な活性状態まで段階的に捉えた点が画期的。

  • アゴニスト結合による中間状態の構造を初めて明らかにした。

  • 1分子イメージングにより、アロステリック調節因子やGタンパク質結合の効果を動的に解明した点が独創的。

  • 多角的アプローチにより、mGlu5の活性化メカニズムを統合的に理解することに成功した。

この研究のアプリケーション

  • mGlu5は神経疾患などの重要な創薬ターゲットであり、活性化メカニズムの理解は新薬開発に役立つ。

  • アロステリック調節因子の作用様式の解明は、副作用の少ない薬剤設計につながる可能性がある。

  • 本研究で確立された構造解析と1分子イメージングの統合的アプローチは、他のGPCRの研究にも応用できる。

著者と所属
Kaavya Krishna Kumar, Haoqing Wang, Chris Habrian, Naomi R. Latorraca, Jun Xu, Evan S. O'Brien, Chensong Zhang, Elizabeth Montabana, Antoine Koehl, Susan Marqusee, Ehud Y. Isacoff & Brian K. Kobilka (Department of Molecular and Cellular Physiology, Stanford University School of Medicine; Sarafan ChEM-H, Stanford University; Department of Molecular and Cell Biology, University of California, Berkeley; Division of CryoEM and Bioimaging, Stanford Synchrotron Radiation Lightsource, SLAC National Accelerator Laboratory; Electrical Engineering and Computer Sciences, University of California, Berkeley; QB3 Institute for Quantitative Biosciences, University of California, Berkeley; Department of Chemistry, University of California, Berkeley; Helen Wills Neuroscience Institute, University of California, Berkeley)

詳しい解説
代謝型グルタミン酸受容体(mGlu)は、グルタミン酸という神経伝達物質を受容するGタンパク質共役型受容体(GPCR)です。その中でもmGlu5は、神経疾患や精神疾患など様々な病態に関わることから、重要な創薬ターゲットとして注目されています。しかし、mGlu5の活性化メカニズムには不明な点が多く残されていました。
本研究では、mGlu5の活性化過程を構造生物学と1分子生物物理学の手法を駆使して解明しました。まず、mGlu5をナノディスクという人工膜上に再構成し、クライオ電子顕微鏡による構造解析を行いました。その結果、不活性状態から完全な活性状態に至るまでの一連の構造を、アゴニスト結合による中間状態も含めて決定することに成功しました。
mGlu5は二量体を形成しており、細胞外の大きなリガンド結合ドメイン(VFT)がシステインリッチドメイン(CRD)を介して、7回膜貫通ドメイン(TMD)につながっています。アゴニストであるキスカル酸の結合により、VFTが閉じた構造をとり、それがCRDとTMDの構造変化を引き起こすことが明らかになりました。TMDでは、アゴニスト結合に伴い、二量体間のインターフェースがTM6-TM6から広がり、Gタンパク質との共役に適した構造へと変化していきました。
さらに本研究では、アロステリック調節因子であるCDPPBの結合が、mGlu5の構造と活性化に及ぼす影響も調べました。CDPPBは、TMDのアロステリックサイトに結合し、TM6の構造を変化させることで、mGlu5の活性化を促進することが示唆されました。一方、ネガティブアロステリック調節因子は、TMDの構造を不活性状態に固定することで、mGlu5のシグナル伝達を阻害すると考えられます。
1分子蛍光イメージングの結果からは、mGlu5が複数の構造状態間を遷移しながら活性化していく様子が浮かび上がってきました。アゴニスト結合により、mGlu5は不活性状態から中間状態へと移行し、さらにアロステリック調節因子やGタンパク質の結合によって、より活性の高い状態へとシフトしていくことが明らかになりました。
本研究は、mGlu5の活性化が段階的で多段階のプロセスであることを示しました。この知見は、mGlu5の機能理解を深めるだけでなく、アロステリック調節因子など新しいタイプの薬剤開発にも役立つと期待されます。また、本研究で開発された構造解析と1分子イメージングを組み合わせたアプローチは、他のGPCRの活性化メカニズム解明にも応用可能だと考えられます。
今後は、mGlu5の活性化をより時間的・空間的に詳細に解析することで、シグナル伝達の動的な側面が明らかになるでしょう。また、疾患に関連する変異体の構造や機能の解明も重要な課題です。本研究で得られた知見を基盤として、mGlu5を標的とするより効果的で安全性の高い治療薬の開発が加速されることが期待されます。


非常に低温の褐色矮星から予想外のメタン輝線放射を検出

本研究では、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡を用いて、約482Kの低温褐色矮星W1935から、3.326マイクロメートルにおける強いメタンの輝線放射を検出しました。大気モデリングの結果、1-10mbar付近に約300Kの温度逆転層が存在すれば、この輝線が再現できることがわかりました。母星からの加熱がない天体で、木星型大気にこのような大きな温度逆転が見られたのは初めてのことです。オーロラ加熱などの可能性が考えられますが、内部や外部の力学過程の寄与も排除できません。最良のモデルでは、太陽系の巨大惑星で顕著なH3+輝線の寄与は否定されましたが、これはW1935の放射が高圧領域から来ていて、そこではH3+が急速に破壊されるためと整合的です。

事前情報

  • 褐色矮星は温度が約3000Kから250Kの天体で、スペクトル型はL、T、Yに分類される。

  • Y型矮星は最近発見された最も冷たい天体で、星形成過程で生まれたと考えられている。

  • 太陽系外でのオーロラは、孤立した褐色矮星の電波観測から示唆されていた。

行ったこと

  • 約482KのY型褐色矮星W1935を、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡のNIRSpecおよびMIRIで観測した。

  • 比較のため、よく似た褐色矮星W2220も同様に観測した。

  • 3.326マイクロメートルでのメタンの輝線放射の起源を、大気モデリングで調べた。

  • H3+輝線の寄与も検討した。

検証方法

  • NIRSpecのG395H分光データとMIRIの測光データを用いたSED解析

  • Brewsterと呼ばれる大気モデリングコードを用いた、温度-圧力プロファイルと組成の推定

  • 温度逆転の有無や、H3+の寄与を検討するためのモデル比較

分かったこと

  • W1935から、3.326マイクロメートルでの強いメタンの輝線放射を検出した。

  • 大気モデリングから、1-10mbar付近に約300Kの温度逆転層があれば、この輝線が説明できる。

  • よく似た褐色矮星W2220では、このような輝線は見られなかった。

  • 最良のモデルでは、H3+輝線の寄与は否定された。

この研究の面白く独創的なところ

  • 母星からの加熱がない低温褐色矮星で、大気の温度逆転を示唆した点が画期的。

  • メタンの輝線という新しい観測的証拠から、温度逆転の存在を突き止めた点が独創的。

  • 太陽系の木星型惑星との類似性と相違点を議論している点が興味深い。

  • オーロラ加熱など、太陽系外天体への新しい示唆を与えている点が重要。

この研究のアプリケーション

  • 褐色矮星や巨大惑星の大気構造と進化の理解に役立つ。

  • 太陽系外天体におけるオーロラ現象の探査に新たな指針を与える。

  • 系外惑星の大気観測にも示唆を与え、ハビタブル惑星の検出に役立つ可能性がある。

  • 大気モデリングや観測手法の発展にも貢献すると期待される。

著者と所属
Jacqueline K. Faherty, Ben Burningham, Jonathan Gagné, Genaro Suárez, Johanna M. Vos, Sherelyn Alejandro Merchan, Caroline V. Morley, Melanie Rowland, Brianna Lacy, Rocio Kiman, Dan Caselden, J. Davy Kirkpatrick, Aaron Meisner, Adam C. Schneider, Marc Jason Kuchner, Daniella Carolina Bardalez Gagliuffi, Charles Beichman, Peter Eisenhardt, Christopher R. Gelino, Ehsan Gharib-Nezhad, Eileen Gonzales, Federico Marocco, Austin James Rothermich & Niall Whiteford
(Department of Astrophysics, American Museum of Natural History, New York, NY, USA; Department of Physics, The Graduate Center City University of New York, New York, NY, USA; Department of Physics, Astronomy and Mathematics, University of Hertfordshire, Hatfield, UK; Planétarium Rio Tinto Alcan, Montreal, Quebec, Canada; Département de Physique, Université de Montréal, Montreal, Quebec, Canada; School of Physics, Trinity College Dublin, The University of Dublin, Dublin, Ireland; Department of Physics & Astronomy, Hunter College, New York, NY, USA; Department of Astronomy, University of Texas at Austin, Austin, TX, USA; Department of Astronomy, California Institute of Technology, Pasadena, CA, USA; IPAC, Caltech, Pasadena, CA, USA; NSF's National Optical-Infrared Astronomy Research Laboratory, Tucson, AZ, USA; United States Naval Observatory, Flagstaff, AZ, USA; Exoplanets and Stellar Astrophysics Laboratory, NASA Goddard Space Flight Center, Greenbelt, MD, USA; Department of Physics & Astronomy, Amherst College, Amherst, MA, USA; Jet Propulsion Laboratory, California Institute of Technology, Pasadena, CA, USA; NASA Ames Research Center, Mountain View, CA, USA; Department of Physics, San Francisco State University, San Francisco, CA, USA; Department of Astronomy and Carl Sagan Institute, Cornell University, Ithaca, NY, USA)

詳しい解説
本研究は、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST)を用いて、約480Kという非常に低温の褐色矮星から予想外のメタンの輝線放射を検出した、大変興味深い成果です。 褐色矮星は、質量が小さすぎて主系列星になれなかった天体で、低温のものはガス惑星に似た特徴を持っています。今回観測されたW1935は、表面温度が約480Kと推定され、最も冷たい褐色矮星の一つです。
研究チームは、W1935とよく似た性質を持つW2220という褐色矮星も同時に観測し、比較を行いました。JWSTの分光器NIRSpecと撮像装置MIRIを用いて、近赤外から中間赤外までの波長域で高精度のデータを取得しました。その結果、W1935からは3.326マイクロメートルにおいて強いメタンの輝線放射が検出されましたが、W2220ではそのようなシグナルは見られませんでした。
この輝線放射の起源を探るため、研究チームはBrewsterと呼ばれる大気モデリングのコードを用いて解析を行いました。その結果、W1935の大気中の1-10mbar付近に、約300Kもの温度逆転層が存在すれば、観測されたメタンの輝線を説明できることがわかりました。一方、W2220では温度逆転を考慮する必要はなく、モデルと観測がよく一致しました。
母星からの加熱がない孤立した天体で、このように大きな大気の温度逆転が見つかったのは初めてのことです。類似の現象は太陽系の木星型惑星でも知られていますが、そこでは太陽からの加熱に加えて、衛星からの潮汐加熱やオーロラ加熱などが寄与していると考えられています。W1935の場合、オーロラ加熱が有力な候補の一つですが、内部からのエネルギー輸送など他の可能性も排除はできません。
また研究チームは、太陽系の巨大惑星で顕著に見られるH3+イオンの輝線が、W1935でも検出されるかどうかを調べました。しかし、最良のモデルではH3+の寄与は必要なく、これは観測された放射が比較的高圧の領域から来ていることと整合的だと考えられます。なぜなら、そのような高密度の環境ではH3+イオンが速やかに破壊されてしまうためです。
本研究は、褐色矮星という太陽系外の極低温天体の大気に、予想外の構造と現象が存在することを明らかにした点で重要な成果だと言えます。特に、系外惑星に似た温度域で大気の温度逆転が起きていることは、系外惑星の大気観測を行う上でも示唆に富んでいます。 今後、このようなメタン輝線が他の褐色矮星でも見つかるのか、また温度逆転の原因が何なのかを解明することが課題です。JWSTをはじめとする新しい観測施設により、褐色矮星や系外惑星の研究が大きく進展することが期待されます。
太陽系外の天体には、まだまだ未知の現象が隠れているに違いありません。地球外生命の兆候を探る上でも、系外惑星の大気を理解することは欠かせません。本研究は、褐色矮星という最も惑星に近い天体の観測から、系外惑星大気科学の新たな一歩を切り開いたと言えるでしょう。


生態的形質の複数遺伝子座からの導入によって駆動される種間雑種形成

雑種形成は、適応形質の系統間での共有を可能にし、新種の進化のきっかけとなり得ます。しかし、染色体数が変化しない同倍数体雑種種形成の確かな例は、雑種形成が生殖的隔離の成立に重要であったことを示すのが難しいため、稀です。本研究では、集団ゲノム解析と種特異的形質のQTLマッピングを組み合わせて、ヘリコニウス蝶における雑種種形成の事例を調べました。Heliconius elevatusは、両親と同所的に生息する雑種種であり、少なくとも18万年間、独立に進化する系統として存在してきました。これは、一方の親であるHeliconius pardalinusとの広範な遺伝子流動にもかかわらず、99%のゲノムが均一化されているにもかかわらずです。残りの1%は、もう一方の親であるHeliconius melpomeneから導入されたもので、H. elevatusゲノム上のH. pardalinusとは分岐した「島」に広く散在しています。これらの「島」には、色彩パターン、翅の形、寄主植物の選好性、性フェロモン、配偶者選択など、分断的選択を受ける複数の形質が含まれています。これらの形質が集まることで、H. elevatusは独自の適応的ピークに位置し、両親との共存を可能にしています。本研究の結果は、種分化が生態的形質の導入によって駆動されたこと、また遺伝子流動下での種分化が複数遺伝子座の遺伝的構築によって可能であることを示しています。

事前情報

  • 生物多様性の起源を理解することは進化生物学の根本的な問題である。

  • 雑種形成は、新しい対立遺伝子の組み合わせを作り出すことで、遺伝子流動に対する障壁の確立に重要な役割を果たす可能性がある。

  • ゲノム研究により、多くの種間で遺伝子浸透の証拠が示されているが、同倍数体雑種種形成の説得力ある例はまれである。

行ったこと

  • 3種のヘリコニウス蝶92個体のゲノム配列を解析した。

  • H. elevatusとH. pardalinusの交雑個体を作出し、色彩パターン、性フェロモン、配偶者選択、翅の形、飛翔、寄主植物選好性などの種特異的形質のQTLマッピングを行った。

  • 種間の遺伝的分化や系統関係、遺伝子浸透の程度をゲノムワイドに調べた。

  • 集団ゲノムデータと表現型データを統合して、雑種種形成のプロセスを推定した。

検証方法

  • ゲノムワイドなSNPデータを用いた系統ネットワーク解析と集団遺伝学的解析

  • 多種コアレセント法による種分岐と遺伝子浸透の時期の推定

  • 交雑マッピング家系を用いた種特異的形質のQTL解析

  • 遺伝的分化の「島」と遺伝子浸透領域、表現型QTLの位置関係の解析

分かったこと

  • H. elevatusは、H. pardalinusとH. melpomeneの雑種に由来する約18万年前に成立した雑種種である。

  • H. pardalinusとは広範な遺伝子流動があり、99%のゲノムが均一化されているが、独立した系統として存続してきた。

  • H. melpomeneに由来する1%のゲノムは「遺伝的分化の島」を形成しており、色彩パターンや寄主選好性など、種分化に関わる形質のQTLを含む。

  • これらのQTLは互いにクラスタリングする傾向があり、連鎖不平衡を維持するのに役立っている。

  • 雑種種形成は、H. melpomeneからH. pardalinus様祖先集団への形質の導入によって引き起こされた。

この研究の面白く独創的なところ

  • ゲノムと表現型の大規模データを統合し、自然集団における雑種種形成の包括的な実証研究を行った点が画期的。

  • 異種間の遺伝子浸透が種分化の引き金になり得ることを示した点が独創的。

  • 種分化が単一の形質や遺伝子座ではなく、ゲノム全体に散在する複数の適応形質に支えられていることを明らかにした。

  • 長期間にわたる遺伝子流動と種の共存を可能にする遺伝的メカニズムに迫った。

この研究のアプリケーション

  • 生物多様性の成因と維持機構の理解に貢献する。

  • 種分化の初期プロセスや、適応形質の獲得における雑種形成の役割の解明につながる。

  • 複数形質の遺伝的基盤や種間相互作用の研究に新たな視点を提供する。

  • 雑種の特性を利用した育種や、外来種の侵入リスク評価など応用面での示唆も期待される。

著者と所属
Neil Rosser, Fernando Seixas, Lucie M. Queste, Bruna Cama, Ronald Mori-Pezo, Dmytro Kryvokhyzha, Michaela Nelson, Rachel Waite-Hudson, Matt Goringe, Mauro Costa, Marianne Elias, Clarisse Mendes Eleres de Figueiredo, André Victor Lucci Freitas, Mathieu Joron, Krzysztof Kozak, Gerardo Lamas, Ananda R. P. Martins, W. Owen McMillan, Jonathan Ready, Nicol Rueda-Muñoz, Camilo Salazar, Patricio Salazar, Stefan Schulz, Leila T. Shirai, …Kanchon K. Dasmahapatra
(Department of Organismic and Evolutionary Biology, Harvard University; Department of Biology, University of York; URKU Estudios Amazónicos; Universidad Nacional Autónoma de Alto Amazona; Department of Clinical Sciences, Lund University Diabetes Centre; Residencial Las Cumbres; Institut Systématique, Evolution, Biodiversité, UMR 7205 MNHN-CNRS-EPHE-UPMC Sorbonne Universités, Muséum National d'Histoire Naturelle; Smithsonian Tropical Research Institute; Institute for Biological Sciences, Federal University of Pará; Centre for Advanced Studies of Biodiversity; Departamento de Biologia Animal and Museu de Diversidade Biológica, Instituto de Biologia, Universidade Estadual de Campinas; Centre d'Ecologie Fonctionnelle et Evolutive, UMR 5175 CNRS, Université de Montpellier–Université Paul Valéry Montpellier–EPHE; Museo de Historia Natural, Universidad Nacional Mayor de San Marcos; Redpath Museum, McGill University; Biology Program, Faculty of Natural Sciences, Universidad del Rosario; Ecology and Evolutionary Biology, School of Biosciences, University of Sheffield; Institut für Organische Chemie, Technische Universität Braunschweig; Leibniz Institute for the Analysis of Biodiversity Change, Museum de Natur Hamburg Zoology; Leverhulme Centre for Anthropocene Biodiversity, Department of Biology, University of York)

詳しい解説
本研究は、ヘリコニウス属のチョウにおいて、種間雑種形成が新種の成立を導くプロセスを、ゲノムと表現型の大規模データを用いて実証的に解明しました。雑種形成は生物多様性の重要な源泉の一つと考えられていますが、染色体数が変化しない同倍数体雑種種形成の確かな例は少なく、その成立メカニズムには不明な点が多く残されていました。
研究グループは、まず92個体のゲノム配列を用いて、ヘリコニウス属の3種、H. elevatus、H. pardalinus、H. melpomeneの集団ゲノム解析を行いました。系統関係の解析から、H. elevatusがH. pardalinusとH. melpomeneの交雑に由来する雑種種であることが示唆されました。コアレセント解析により、H. elevatusは約18万年前に成立し、それ以来独立した系統として存続してきたことが分かりました。興味深いことに、H. elevatusは同所的に生息するH. pardalinusとは広範な遺伝子流動があり、ゲノムの99%が均一化されているにもかかわらず、種としての独立性を維持しています。
次に、H. elevatusとH. pardalinusの交雑実験を行い、色彩パターン、翅の形、寄主植物の選好性、性フェロモン、配偶者選択など、生態的重要性の高い種特異的形質の遺伝的基盤を調べました。QTL解析の結果、これらの形質はゲノム上の複数領域に散在する63のQTLによって支配されていることが明らかになりました。これらのQTLの多くは、H. melpomeneに由来する「遺伝的分化の島」に位置しており、近縁種間の遺伝子浸透が適応形質の獲得に重要な役割を果たしたことを示唆しています。また、QTLは互いに近接して存在する傾向があり、連鎖不平衡を介して複数形質間の関連を維持するのに役立っていると考えられます。
これらの結果から、研究グループは以下のようなシナリオを提唱しました。H. elevatusの祖先集団は、もともとH. pardalinus様の表現型を持っていましたが、H. melpomeneとの交雑を通じて色彩パターンや寄主選好性などの適応形質を獲得しました。これにより、H. elevatusは両親種とは異なる生態的地位を占めるようになり、独自の適応的ピークへと移行していったのです。導入された形質は、分断的選択を受けて集団中に維持され、やがて種分化の障壁として機能するようになったと考えられます。同所的な両親種との遺伝子流動が続く中でも、ゲノムの特定領域に種の独自性が保持され、長期的な種の共存を可能にしてきたのでしょう。
本研究は、ゲノムワイドな解像度で適応形質の自然集団中での動態を捉えた点で画期的であり、生物多様性の成因と維持機構の理解に大きく貢献するものです。種分化の初期段階における雑種形成の役割や、遺伝子流動下での種の形成プロセスの解明は、進化生物学の根本的な問題に迫る成果といえるでしょう。また、複数形質の遺伝的基盤や種間相互作用のダイナミクスに関する知見は、育種学や保全生物学など応用面でも重要な示唆を与えてくれます。
今後は、ヘリコニウス属以外の生物群でも同様の研究が進められ、雑種種形成の普遍性と多様性が明らかになっていくことが期待されます。ゲノム情報と表現型情報を統合した解析は、生物の適応と種分化の謎に迫る強力なアプローチとなるでしょう。生物多様性の理解を深める上で、本研究の成果は大きな一歩となったと言えます。


土壌のメタゲノムDNAライブラリーから、ファージに対する新しい防御機構としてDNAグリコシラーゼを同定

本研究は、土壌のメタゲノムDNAライブラリーを用いて、ファージT4感染に対する新しい防御機構を探索しました。その結果、未知の生物由来のDNAグリコシラーゼであるBrig1を発見しました。Brig1は、ファージT4ゲノム中のα-グルコシル-ヒドロキシメチルシトシンをアバシック部位に変換することで、ウイルス複製を阻害します。Brig1のホモログは、様々なバクテリアのファージ防御遺伝子座に存在していました。本研究は、未配列のDNAをスクリーニングすることの有用性を示すとともに、原核生物のDNAグリコシラーゼが、バクテリアとファージの軍拡競争において重要な役割を果たしていることを明らかにしました。
バクテリアは、ファージの捕食に適応するため、多様な防御システムを進化させてきました。新規の防御遺伝子は、バイオインフォマティクスツールを用いて同定できますが、その発見は利用可能な原核生物の配列データに限定されます。この限界を克服するため、本研究では、大腸菌に導入した土壌由来のメタゲノムDNAライブラリーにファージT4を感染させ、防御遺伝子を含む耐性クローンを単離しました。
この手法により、Brig1と名付けられたDNAグリコシラーゼが発見されました。Brig1は、ファージT4ゲノム中のα-グルコシル-ヒドロキシメチルシトシンを切り出してアバシック部位を生成し、ウイルス複製を阻害します。Brig1ホモログは、T偶数ファージに対する免疫を提供し、様々なバクテリア門に属する種のファージ防御遺伝子座に存在していました。
本研究は、未配列のDNAをスクリーニングすることの利点を示すとともに、原核生物のDNAグリコシラーゼが、バクテリアとファージの軍拡競争において重要な役割を果たしていることを明らかにしました。

事前情報

  • バクテリアは多様なファージ防御システムを進化させてきた

  • バイオインフォマティクスによる防御遺伝子の発見は配列データに依存する

  • 未配列のDNAには未知の遺伝子経路が数多く存在すると考えられる

行ったこと

  • 土壌メタゲノムDNAライブラリーをファージT4でスクリーニング

  • T4感染耐性クローンからBrig1 DNAグリコシラーゼを同定

  • Brig1の生化学的特性と抗ファージ活性を解析

検証方法

  • 大腸菌におけるファージT4感染実験

  • 変異ファージを用いたBrig1の標的同定

  • Brig1の精製タンパク質を用いた生化学アッセイ

  • 比較ゲノム解析によるBrig1ホモログの探索

分かったこと

  • Brig1はファージT4ゲノム中のα-グルコシル-ヒドロキシメチルシトシンを切り出す

  • Brig1はアバシック部位を生成することでウイルス複製を阻害する

  • Brig1ホモログは様々なバクテリアのファージ防御遺伝子座に存在する

  • 未配列DNAのスクリーニングは新規防御システムの発見に有効である

この研究の面白く独創的なところ

  • 土壌メタゲノムDNAという未開拓の配列空間から新規防御システムを発見した点

  • 原核生物のDNAグリコシラーゼが抗ウイルス防御に関与することを示した点

  • ファージゲノムの修飾塩基を標的とする新しい防御機構を明らかにした点

  • バクテリアとファージの軍拡競争の新たな側面を浮き彫りにした点

この研究のアプリケーション

  • 新規のファージ防御システムの探索と同定

  • バクテリアとファージの相互作用と共進化の理解

  • バイオテクノロジーへの応用(ファージ耐性菌の開発など)

  • 抗ウイルス薬のターゲット探索への示唆

著者と所属
Amer A. Hossain, Christian F. Baca, Luciano A. Marraffini: Laboratory of Bacteriology, The Rockefeller University, New York, NY, USA
Ying Z. Pigli, Alexis Thomas, Phoebe A. Rice: Department of Biochemistry and Molecular Biology, University of Chicago, Chicago, IL, USA
Søren Heissel: Proteomics Resource Center, The Rockefeller University, New York, NY, USA
Vincent K. Libis, Ján Burian, Sean F. Brady: Laboratory of Genetically Encoded Small Molecules, The Rockefeller University, New York, NY, USA
Joshua S. Chappie: Department of Molecular Medicine, Cornell University, Ithaca, NY, USA
Luciano A. Marraffini: Howard Hughes Medical Institute, The Rockefeller University, New York, NY, USA

詳しい解説
本研究は、土壌のメタゲノムDNAライブラリーを用いて、ファージT4感染に対する新しい防御機構を探索し、未知の生物由来のDNAグリコシラーゼであるBrig1を発見しました。DNAグリコシラーゼは、損傷や不適切な塩基を認識し、DNAから切り出す酵素として知られていますが、ファージに対する防御における役割は明らかになっていませんでした。
研究グループは、土壌から抽出したDNA断片を大腸菌に導入し、ファージT4に対する耐性を示すクローンを単離しました。その結果、Brig1と名付けられた新規のDNAグリコシラーゼが同定されました。生化学的解析により、Brig1はファージT4ゲノム中のα-グルコシル-ヒドロキシメチルシトシンを特異的に認識し、切り出すことが明らかになりました。これにより、アバシック部位が生成され、ウイルスの複製が阻害されます。
興味深いことに、Brig1のホモログが様々なバクテリア門に属する種のファージ防御遺伝子座に存在していました。これらのホモログは、T偶数ファージに対する免疫を提供することが示されました。これらの結果は、DNAグリコシラーゼがバクテリアとファージの軍拡競争において重要な役割を果たしていることを示唆しています。
本研究は、バイオインフォマティクス解析だけでなく、機能的スクリーニングによって新規防御システムを発見した点で革新的です。土壌メタゲノムDNAという未開拓の配列空間を探索することで、従来のアプローチでは見落とされていた防御機構が明らかになりました。また、ファージゲノムの修飾塩基を標的とするという新しい防御戦略を示した点でも意義深いと言えます。
今後、Brig1を始めとするDNAグリコシラーゼが、他のファージに対してどのような活性を示すのか、さらなる研究が期待されます。また、本研究で確立された機能的スクリーニングの手法は、他の未知の防御システムの発見にも応用可能であると考えられます。これらの知見は、バクテリアとファージの共進化の理解を深めるとともに、ファージ耐性菌の開発などのバイオテクノロジーにも貢献すると期待されます。


ヒトの海馬ニューロンにおけるシータ-ガンマ位相振幅カップリングが作業記憶の制御に関与する

本研究は、ヒトの脳における作業記憶の制御メカニズムを、海馬の神経細胞活動に着目して解明しました。被験者が1つまたは3つの画像を記憶している間の神経活動を解析した結果、シータ波とガンマ波の位相振幅カップリング(PAC)が記憶負荷に応じて変化することが明らかになりました。PACを示す神経細胞(PAC細胞)は、前頭葉のシータ波と同期し、記憶負荷が高い時により強く結合していました。またPAC細胞は、記憶内容を表現する他の神経細胞とノイズ相関を介して協調し、記憶表現の正確さを高めていました。本研究は、作業記憶が脳領域間の多様な相互作用によって制御されていることを示唆しており、認知制御の神経メカニズム解明に重要な知見を提供しています。

事前情報

  • 作業記憶は認知制御を必要とする能動的な情報保持プロセスである

  • 作業記憶の神経基盤として、前頭葉の持続的活動と感覚野の記憶表現の相互作用が示唆されている

  • シータガンマ位相振幅カップリング(TG-PAC)が認知制御に関与すると考えられているが、作業記憶における役割は不明だった

行ったこと

  • てんかん患者36名を対象に、海馬・扁桃体・前頭葉の単一ニューロン活動とLFPを記録

  • 1枚または3枚の画像を記憶する作業記憶課題を実施

  • TG-PACの強さと記憶負荷の関係を解析

  • PACを示すニューロン(PAC細胞)の同定と特性の解析

  • PAC細胞と前頭葉LFPの位相同期の解析

  • PAC細胞と記憶表現ニューロンのノイズ相関の解析

検証方法

  • 位相振幅カップリング(PAC)の推定にはモジュレーション指標を使用

  • PAC細胞の同定にはポアソン一般化線形モデルを使用

  • ニューロン間のノイズ相関は、試行間の発火率の共変動から推定

  • スパイク場所コヒーレンス(SFC)により、スパイクタイミングとLFP位相の同期を定量化

  • 記憶内容のデコーディングには線形サポートベクターマシンを使用

分かったこと

  • 海馬のTG-PACは記憶負荷に応じて変化し、反応時間と相関した

  • PAC細胞は記憶内容そのものは表現せず、前頭葉シータ波と同期して認知制御に関与した

  • PAC細胞は記憶表現ニューロンとノイズ相関を示し、集団レベルでの記憶表現の正確さを高めた

  • ノイズ相関はPAC細胞に特異的で、速い反応時間の試行でより強かった

  • PAC細胞は記憶負荷や正答率と相関する活動を示した

この研究の面白く独創的なところ

  • ヒトの脳における作業記憶の神経メカニズムを、脳領域間の多様な相互作用の観点から解明した

  • シータガンマPACを介した海馬ニューロンの新しい機能的役割を見出した

  • PAC細胞が認知制御に関与し、記憶表現ニューロンと協調して記憶の正確さを高めることを示した

  • ノイズ相関が情報量を高めるという新しい知見を見出した

  • 認知制御が感覚情報処理を制御する一般的なメカニズムの可能性を示唆した

この研究のアプリケーション

  • 作業記憶の個人差や加齢変化の神経基盤の解明

  • 作業記憶が障害される精神・神経疾患の病態解明

  • 作業記憶の能力を高める認知トレーニングや脳刺激療法の開発

  • 脳領域間相互作用に着目した新しい認知機能の解明アプローチ

  • 認知制御と感覚情報処理の関係性の理解に基づく脳型AIの開発

著者と所属
Jonathan Daume, Jan Kamiński, Andrea G. P. Schjetnan, Yousef Salimpour, Umais Khan, Michael Kyzar, Chrystal M. Reed, William S. Anderson, Taufik A. Valiante, Adam N. Mamelak & Ueli Rutishauser
(セダーズ・サイナイ医療センター、ネンツキ実験生物学研究所、トロント大学、ジョンズホプキンス大学、カリフォルニア工科大学)

詳しい解説
本研究は、ヒトの脳における作業記憶の制御メカニズムを、海馬の神経細胞活動に着目して解明しました。
作業記憶とは、情報を一時的に保持し操作する認知機能です。電話番号を覚えておいてダイヤルする時などに働きます。作業記憶は前頭葉の認知制御と、感覚野における記憶表現の相互作用によって実現されると考えられてきました。しかし、それらの脳領域間をつなぐメカニズムは明らかではありませんでした。
本研究では、てんかん治療のために電極を留置した患者36名を対象に、記憶課題遂行中の脳活動を記録しました。課題は1枚または3枚の画像を数秒間覚えておくというものです。海馬・扁桃体・前頭葉から、単一ニューロンの活動と局所フィールド電位(LFP)を同時計測しました。
まず海馬のLFPを解析したところ、シータ波(3-7Hz)とガンマ波(30-140Hz)の間に特徴的な位相振幅カップリング(PAC)が見られました。PACの強さは、1枚より3枚の画像を記憶している時の方が弱くなっていました。またPACが強いほど、反応時間が速くなる傾向がありました。このことから、海馬のPACが記憶負荷や行動成績と関連することが示唆されました。
次に、PACを示すニューロン(PAC細胞)に着目しました。PAC細胞は画像の内容そのものは表現していませんでしたが、前頭葉のシータ波と同期して発火していました。この同期の強さは、3枚の画像を覚えている時の方が強くなっていました。このことから、PAC細胞は前頭葉からの制御信号を受けて、認知制御に関与していると考えられます。
さらに興味深いことに、PAC細胞は記憶内容を表現する他のニューロンとノイズ相関を示していました。ノイズ相関とは、試行ごとのゆらぎが似ていることを意味します。通常、ノイズ相関は情報を減らすと考えられています。しかし本研究では、PAC細胞が介在するノイズ相関が、集団レベルでの記憶表現の正確さを高めていることが分かりました。ノイズ相関の強さは、PAC細胞に特異的で、速い反応の試行でより強くなっていました。
これらの結果は、作業記憶が脳領域間の多様な相互作用によって制御されていることを示しています。海馬のPACは、前頭葉からの制御信号を感覚情報処理に伝える役割を担っていると考えられます。またPAC細胞は、記憶表現ニューロンと協調しながら、記憶の正確さを高めているのでしょう。本研究は、作業記憶のメカニズム解明に重要な知見を提供したと言えます。
また本研究は、シータガンマPACを介したニューロンの新しい機能的役割を見出した点でも意義深いと言えるでしょう。PACは脳波レベルでは広く観察されている現象ですが、細胞レベルでの役割はよく分かっていませんでした。PAC細胞が認知制御に関わることを示した本研究は、PACの機能的意義の理解を大きく前進させたと言えます。
さらに本研究は、ノイズ相関が情報量を高めうるという新しい可能性を示しました。一般にノイズ相関は情報を減らすと考えられてきましたが、本研究は状況次第では逆の効果を持ちうることを示唆しています。ノイズ相関のポジティブな役割は、今後さらなる研究が期待される領域だと言えるでしょう。
本研究の知見は、作業記憶の個人差や加齢変化、さらには精神・神経疾患の病態解明にも役立つと期待されます。また脳領域間の相互作用という視点は、他の認知機能の解明にも有用かもしれません。作業記憶は日常生活や学習において非常に重要な機能です。その基盤となる脳内メカニズムの解明は、私たちの心の働きを理解する上で欠かせない課題だと言えるでしょう。



最後に
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