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第7章 人国記♪「信濃の国」の文化と経済(note7)

~目次~
第1章 県歌「信濃の国」秘話
第2章 文化圏と美術館
第3章 2022年の大遭遇~伝統の祭り
第4章 個性的な企業群
第5章 地場産業
第6章 食と農
第7章 人国記~「信濃の国」では★
第8章 教育県とは
第9章 長野県人会の活動
最終章 あとがきにかえて~名古屋と長野県との一体感

 いずれの都道府県にも郷土を代表する人がいます。ここでは長野県の県歌「信濃の国」5番の歌詞に登場する4人を紹介します。長野県のホームページ「シンボル&県歌について」を参考にしています。歌詞に「文武の誉(ほまれ)たぐいなく」とあるように、武将2人と学者2人です。しかも、長野県の各エリアに配慮して四つの地域から選ばれています。作詞の浅井洌(きよし)先生の配慮でしょうか。
■「旭将軍義仲」
 平安時代に征夷大将軍となった源義仲です。木曽で育ったため、木曽義仲の方が通りが良いかもしれません。
■「仁科の五郎信盛」
 戦国時代、武田信玄の五男として生まれ、大町・北安曇地方を納めた武将です。
■「象山佐久間先生」
 佐久間象山は江戸時代、いまの長野市松代町に生まれた儒学と蘭学の先生です。
■「春台太宰先生」
 江戸時代、飯田市に生まれ、江戸の荻生徂徠の下で儒学を学びました。太宰春台が正式な名前です。長野県飯田駅から歩ける所に「太宰楼」という料亭がありました。そこには、春台手植えと伝わる「太宰の松」が残っています。
 「文化と経済」のタイトルなので、この先人についてはひとことふれておきます。
 春台は政治論も含む経済書である「経済録」で知られています。「太宰春台」(吉川弘文館)を本箱から引っ張り出してみました。著者の武部善人さんは当時、大阪府立大名誉教授。武部さんは「日本の儒者たちによって多くの経済関係の書物が刊行されているが、『経済録』や『経済録拾遺』などのように、『経世済民』の専門書として、『経済』という書名で刊行されたのは、春台がはじめてである」としています。それまでの重農主義的経済思想から重商主義的経済思想への転換を評価しています。

▲写真は飯田市中央通りにある太宰春台邸址の説明文
 ちなみに、飯田下伊那の学校で歌われている「下伊那の歌」(鎌倉太郎作詞、松本民之助作曲)の3番にも「春草の 落ち葉の秋よ 春台の松の緑よ」と歌われています。「春草」というのは日本画家の菱田春草のことで、代表作に「落ち葉」があります。

▲写真は「春台の松の緑よ」と歌われた松。大火で焼失し、今は2代目
 そういえば、子ども時代は「春台の松の緑」の意味を知らずに歌っていました。※表紙写真は、日本のチロルといわれる信州・遠山郷の下栗の里
(2021年7月16日)
 このリポートは、長野県の文化や経済について人からたずねられたときに、関心を持ってもらえるようにと、個人的にまとめたものです。タイトルにある「信濃の国」は、1900年に発表された県民の唱歌で、のちに県歌に制定されました。多くの長野県民によって今も歌い継がれています。この歌詞を話の軸にして、信州の文化と経済を考えてみようと思います。少しでもご参考になれば幸いです。

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