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東北に中古機械を送れ!会議所の一石~震災10年に思う(上)

 東日本大震災が起こった2011年3月11日。名古屋市内でも震度4の揺れがあり、三陸沖が震源地だと聞いて、さらに驚きました。
 震源域から揺れが伝わったのとは逆に、名古屋が投げた一石が東北支援の輪を広げていった話を記録しておきます。
 名古屋商工会議所(名商)は、中小企業を中心に1万7000社が加入しています。震災当時の会頭は、港湾運送事業の名港海運の高橋治朗会長でした。発災後、仙台商工会議所に名商職員を派遣します。現地に着いた職員からは、みな被災して商工会議所に来る時間もないほど大変な状況だ、と報告が飛び込んできました。高橋会頭は「ならば自分から現場へ行くように」と指示しています。しばらくして、現場を回った職員から「名古屋に余っている機械があったら送ってほしい」と連絡が入ってきたのです。
 沿岸部の宮城、福島、岩手の3県にある中小企業は津波の被害を受け、工場内の機械が流されたり、泥をかぶったりして使い物にならなくなりました。人命第一のうえで、次は生産の再開が急がれるときです。高橋会頭は即座に「名商の会員企業に遊休機械や中古機械があれば、東北に送ろう!」と指示しました。これが、のちに日本商工会議所(日商)が全国514商工会議所に呼びかけた「遊休機械無償マッチング支援プロジェクト」のきっかけでした。
 仙台商工会議所の震災アーカイブスのなかで、「4月11日、全国商工会議所から経営指導員派遣受け入れ。以降、合計4回36人を受け入れ、このときの派遣指導員の事業所巡回が、後の支援プロジェクトのきっかけに」と記録されています。
 当時、事務局を担当していた仙台商工会議所職員によると、被災した中小企業にとっては、機械が古くてもすぐに稼働できる旋盤やプレス機などがとても役立ったそうです。当時を知る鎌田宏会頭は、「一日も早い復興を果たすことが、一番の恩返しと決意を新たにしたことが思い起こされます」と述懐しています。
 きっかけをつくった高橋さんは、2019年に出版した回顧録のなかで、日商が東京で開いている全国の会頭会議を、震災後は仙台市で開催したことを紹介しています。「各エリアの会頭が集まる会合だけに周囲からの注目も高まり、地元の方々も活気づく。こうした光景を見ると、経済も行政も生きた人間が動かしていることを強く実感する」と振り返っています。
 名商は今年3月28日に開設140周年を迎えます。コロナ禍で目立った行事は控えていますが、10年前に支援の口火を切ったことは、今も実績として語り継がれています。東海地方は南海トラフ巨大地震への備えも必要です。東日本大震災で培った中小企業支援のノウハウを生かして、震災からの速やかな経済活動の復旧につなげていく。そのためにも、この「一石」の経験を次の10年で風化させてはいけないと痛感しています。
(2021年3月11日午後2時46分)
※表紙写真は、仙台商工会議所提供

震災10年に思う(中)「サンマを支えたカタールと希望の烽火」(2021年3月12日)、(下)「ディーゼル機関車DD51形引退」(2021年3月13日)も合わせてお読みいただければうれしいです。

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