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30年先が読めなかった~「石炭の日」に思う

 「わしの眼は十年先が見える 大原孫三郎の生涯」(城山三郎)。岡山県倉敷市の大原美術館を設立するなど、先見の明のある実業家の物語です。孫三郎の眼には30年先も見えたのでしょうか?
 そう感じたのは、30年ほど前に書いた「9月5日は『石炭の日』 クリーン、重要性をアピール」という記事を思い出したからです。
 通産省(現・経済産業省)・資源エネルギー庁が、石炭のイメージアップを図るため、「クリーン・コール・デー」(石炭の日)を制定すると発表したのは、1992年8月17日でした。
 30年前は原子力発電所の新規立地が進まないうえ、石油火力発電所の建設も環境への配慮からストップしていました。通産・エネ庁は、コストの安い石炭火力発電所の増設やクリーン・コール技術の国際協力を掲げることで、「黒煙を上げる石炭」の旧来のイメージを一新させたいという思いがあったようです。
 「石炭の日」制定を記事にしたときに、30年後の社会変化、エネルギー事情を見通せなかった不明を恥じるばかりです。
 今年の「石炭の日」を前にした9月4日朝刊紙面に、経済評論家の内橋克人さんの訃報が載っていました。「匠の時代」など経済の現場に立脚した評論に定評があります。最近までNHKラジオの朝の番組「マイ!Biz経済展望」に出演しており、聴くのが楽しみでした。
 内橋さんは市場原理主義ではなく、人と人とが共生する経済への転換を訴えてきました。食料(Foods)、エネルギー(Energy)、医療などのケア(Care)をできるだけ地域内で自給する「FEC自給圏」もそのひとつです。
 数年前、愛知県碧南市にあるJERA碧南火力発電所を見学しました。ナゴヤドーム40個分の敷地に発電所が林立し、運搬船から下ろされた石炭が小山をなす貯炭場の規模に驚かされました。
 見学しながら、化石燃料はいずれ枯渇するといわれつつ、いまだに頼りにしていることに気づきました。東京都心の電力を福島県など東北地方に依存するのではなく、エネルギー自給圏に見合った人口規模の都市づくりが求められてくるはずです。
 「石油の日」の9月5日は、「クリーン」を9に、「コール」を5に引っかけた語呂合わせでした。「脱炭素社会」が叫ばれている今、石炭を再評価しようとした頃とは、状況が様替りしています。
 30年後の脱炭素社会へ、いまから準備しておかないといけないでしょう。これからは、9を「Q」、すなわち「クエスチョン」と読み替えてみたらどうでしょう。化石燃料から恩恵を受けてきた生活様式に疑問を投げかける日です。
 せめて、30年といわず、10年先が見える「眼力」を養いたいものです。
(2021年9月5日) 

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