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第8章 教育県とは(上)~児童文学♪「信濃の国」の文化と経済(note8)

~目次~
第1章 県歌「信濃の国」秘話
第2章 文化圏と美術館
第3章 2022年の大遭遇~伝統の祭り
第4章 個性的な企業群
第5章 地場産業
第6章 食と農
第7章 人国記~「信濃の国」では
第8章 教育県とは(上)~児童文学★
第9章 長野県人会の活動
最終章 あとがきにかえて~名古屋と長野県との一体感

■なぜ長野は教育県だったのか
 私が1974年に東京の大学に進学したとき、学友から「長野は教育県だね」と言われたことを覚えています。
 教育熱心な土地柄を反映して、明治時代初期には小学校の就学率が高く、1886年(明治19年)には信濃教育会が結成され、独自の教育を支えてきました。
 教育県は当たり前と思っていた大学生時代ですが、考えてみると大学進学率は都道府県の中では中位です。よくあるランキングで、東大合格者数をみても超進学校には到底およびません。どうやら長野県の「教育県」のブランドは、別の指標で評価されてきたようです。
■児童文学の宝庫
 ここからは私の体験談です。
 小学校4~6年の担任の先生は、信州児童文学会第4代会長を務めた宮下和男先生(1930~2017年)でした。
 先生の国語の時間になると、教科書を開く前に、みんなで「先生、おはなしをしてください」とお願いすることがりました。伊那谷の山里で繰り広げられる人間模様を楽しく、時にひやひやさせながら話してくれるからです。子どもたちにとって、話の内容が具体的だったので、聞いていくうちについ、その世界にのめりこんでいったのです。
 でも、授業の終わるころに先生が「という話でした」と締めくくると、ようやく我に返って、「あ、創作だった」と気づくことがしばしばでした。おかげで物語を聞いたり、書いたりすることが好きになり、毎日先生に提出する日誌の裏に小さな字で空想小説を書いて提出していました。宮下先生はあるとき、私の席に来て、「ものを書くんだったら、たくさん本を読まんといかんよ」と言ってくれたのです。
 2017年に亡くなった宮下先生をしのぶ雑誌が発行されていました。別冊「とうげの旗」です。この巻頭言で信州児童文学会の和田登会長が宮下先生の作風について書いていました。
 「宮下さんは、西洋に学んだファンタジーよりも、自分が生まれ育った伊那谷の風土、風俗、人間模様に固執した題材にこだわりをみせていました。自分の手ざわり、肌ざわりから実感できる世界に重きをおいたのです」
 1968年には伊那谷の祭りに題材をとった「きょうまんさまのよる」(福音館書店)で日本児童文学者協会新人賞を受賞しました。国重要無形民俗文化財の阿南町新野の雪祭りに登場する「競馬」(きょうまん)をめぐる物語です。その後も「しかうちまつり」など郷土に根付いたテーマが続きます。不登校などの問題を抱えて都会から山村の中学校に来た子どもたちがスポーツ大会やキャンプで変わっていく姿を描いた「落ちてきた星たち」は、現職の先生として教育に取り組む姿勢が現れている作品です。その姿勢は、遺稿となった「湯かぶり仁太」まで一貫していたように思います。
■信州児童文学会
 信州児童文学会は1956年に信州大学教育学部の学生を中心に「とうげの旗」同人社が結成され、児童文学誌「とうげの旗」の創刊からはじまりました。創刊宣言には「われわれは都会主義に甘んじることなく、真に地方の児童にも、十分に訴えることができる、新しい児童文学創造の使命を痛感し、ここに『とうげの旗』を創刊する」です。ある意味、児童教育の新しい運動といえます。
 「とうげの旗」を通じて児童文学作家を次々と輩出し、出版活動を通じて地域の児童文学の普及に貢献してきました。1984年にはサントリー地域文化賞を受賞しました。信州の中にとどまらず、「全国的な規模で児童文化の発展に寄与した」という受賞理由も意義深いものです。
■師から師へ
 表紙の石碑の写真は、伊那谷の児童文学作家の椋鳩十(1905~87年)の言葉を刻んだ記念碑です。生まれ故郷の長野県喬木村にある「椋鳩十記念館」の庭に建っています。 
 「活字の林をさまよい 思考の泉のほとりにたたずむ」
 読売新聞日曜版(2017年8月6日)では、「日本のシートン」と紹介されていました。今も小学校の教科書に載っている「大造じいさんとがん」(1941年)は代表作のひとつです。椋家の飼い犬を描いた「マヤの一生」(1970年)などで第1回赤い鳥文学賞を受賞しています。25歳で鹿児島にいた姉を頼り、種子島で代用教員になって鹿児島県に永住しました。加治木高等女学校教員、県立図書館館長を歴任しています。
 恩師の宮下和男先生は、よく椋先生の話をされました。「少年・椋鳩十物語」(理論社)も出版しています。師から師へ、そして子どもたちへ。信州の自然や動物、お祭りを描いた児童文学が、これからも生まれてくることを期待しています。
(2021年7月19日) 
 このリポートは、長野県の文化や経済について人からたずねられたときに、関心を持ってもらえるようにと、個人的にまとめたものです。タイトルにある「信濃の国」は、1900年に発表された県民の唱歌で、のちに県歌に制定されました。多くの長野県民によって今も歌い継がれています。この歌詞を話の軸にして、信州の文化と経済を考えてみようと思います。少しでもご参考になれば幸いです。

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