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【墨田区】東武鉄道のシンボル、スカイツリー

2020年2月。ちょうど中国でコロナが爆発的に蔓延している時、スカイツリーに行ってきました。

我々はマスクはつけているものの、家族単位の外国人観光客もちらほらいて「体の丈夫さが違うから全く気にしていないんだな」と思ったりしましたね。

今は12月末ですが街中で半袖短パンの外国人さんを見るとやっぱり体の丈夫さは違うんだと思います。大抵身体も大きいのでベルクマンの法則(哺乳動物は寒い地域の方が身体が大きくなる)は当てはまるのかな。


東京タワー方面を望んで。

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もはや東京タワーはずば抜けて高い塔でもないということが分かります。右端の上はドコモタワーと初台のオペラシティですね。やっぱり海抜は高く見える気がします。(海抜40m)

先日東京タワーに登った時に居合わせた親子連れが「パパはここより高いところで働いているんだぞ」と言っていました。ご苦労様です高い所は常時揺れるので体に良くないらしいです。

僕も高い所は好きです。このバッと写った狭い空間の中にも、いろんな人の生活があるわけで。

テレビでもネットでもない、これが現実の世界なんだと教えてくれる気がします。

写真は手前の隅田川と奥の荒川。

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古地図で見るとあの位置に荒川ができたのは明治の終わりから大正にかけてなんですね。

関東大震災直前の地図では荒川放水路とありますが、明治の終わりにはそれがありません。人造の川だったという衝撃的発見。(もちろん僕が気がついたというだけで、周知の事実なのですが)

それにしても見応えがあります。東京スカイツリーありがとう!

明治後期の写真 1906〜1909年 明治39年〜42年(110年前)

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どうやら田んぼがある湿地帯で、線路の終点、貨物積載所だったようです。

戦後の高度成長前夜1955〜1960年(65年前)

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東武鉄道本社とあります。

スカイツリーは東武鉄道グループのものだったんだ!と(今更ですが)スカイツリーは東武鉄道グループ会社の傘下で運営されているようです。

東武鉄道は1897年(明治30年)に創立していますので、明治期の線路は東武鉄道ですね。


周辺地区である下町には工場がたくさんあり、東武鉄道本社にもセメント工場があり、東武鉄道は物流でその規模を強固なものにしていったと、地図上から読み取りましたがどうでしょうか。

路面電車など単純に市民の足としての利用だとかなり浮き沈みが激しく、明治以降、都内でも多くの鉄道が消えていきましたが、明治期より生き残っていることを考えると物流を押さえているのが非常に強みになっていると思いますね。

補足で現代の地図

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