旅の記録(6)「富山・石川(中編)」(2024/04/10〜04/12)


はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回は旅の記録です。
前回の続きで、二日目の記録です。

↓一日目の記録

イタイイタイ病資料館

まずは富山駅近くからバスに乗ってイタイイタイ病資料館へ。

めちゃめちゃ大きい「とやま健康パーク」
の一部がイタイイタイ病資料館でした


イタイイタイ病については、小学校か中学校で四大公害病の一つとして学びましたが、ほとんど知識がありませんでした。富山の観光地等を調べていた時に見つけて、そういえば富山だったのか、と思い出したくらいです。
こういうのは現地で学べば記憶に残りやすいと思ったので、行くことにしました。

詳細は改めて「博物館・美術館の記録」にまとめるつもりですが、イタイイタイ病の概要や腎臓の簡単な仕組みなどがわかりやすく解説されていました。
糸球体とか、昔生物の授業で習ったなぁと懐かしかったです。こういうのも、教科横断的な教育ができるようになるといいですね。
後半のパネル展示で、富山県民の健康寿命が全国平均と比べて10年前後短いということを知りました。
メタボリックシンドロームの人が多いそうです。
また、睡眠習慣要改善者が全国ワースト1位だそうなので、富山県民に会ったらポケモンスリープをオススメしようと思いました。

ますのすしミュージアム

15分ほど歩いて、ますのすしミュージアムへ。

外観はこんな感じ

〈学んだこと〉
・ヤマメの稚魚が川で1年半、その後海で1年半過ごして川を遡ってきたものがサクラマス(メス)
・だからヤマメは山女だけどほぼオス
・サクラマスの由来は桜の季節に川に帰ってくる説と桜色の身の色説がある
・八代将軍吉宗が越中の鮎寿司と鱒寿司を絶賛したらしい
・鱒寿司を包む笹は6〜7月の若葉を収穫し、冷凍保存することによって緑色かつ殺菌力も保持(かつては乾燥保存して水で戻していたが、保湿性や殺菌性の効果が弱くなるし、茶色に変色してしまう)
・桜鱒は神通川の漁獲量が激減したので、アイスランド中心に北海道産のものなども使っている

パッケージの絵は中川一政という
有名な画伯が描いたらしい(字も)
文化勲章受章者らしいです
中はこんな感じ、美味しかったです
鱒の厚さは7mmくらいでしょうか?
もっと分厚い贅沢版があったら食べてみたい

ほたるいかミュージアム

近くにあった石碑
「網曵くや一瞬光るほたるいか」
近くからの海の眺め

ということで、ほたるいかミュージアムへ。
初めにホタルイカの発光ショーがありました。小規模ですが、思わず「お〜」と声が出ました。綺麗でした。

ほたるいかと触れ合うコーナー
触りました
ダイオウグソクムシがいました
ヒカリキンメダイはこんな感じで光る
バクテリアを使った発光らしい
ホタルイカ

〈ホタルイカについて学んだこと〉
・オスよりメスのほうがでかい
・2本だけ長い触腕(敵を捕獲する)、2本の第四腕は発光器官付き
・腕に鉤がついていて獲物をキャッチできて、口はカラストンビと呼ばれる尖った形
・色の変化は色細胞を筋肉で拡張したり緩めたりする
・イカは神経が太くて、神経の伝達速度は無脊椎動物の中でもトップクラス
・オスの精子をメスの精きょうという袋に入れて、これを開けて受精する
・卵は約二万個、一晩で二千個産卵
・富山湾の定置網で上がるのは99%メス、オスは生殖の時に深海で力尽きる
・メスは産卵の時に垂直運動する、5℃以上じゃないと孵化しないため
・ホタルイカのスミは固まったダミー型で、敵がそこに気を取られている間にロケット運動で逃げる(煙幕型のスミを吐くイカもいる)
・時々団子みたいに丸まる(アンモナイト回帰?)
・触ると身体を膨らませて硬直する
・ホタルイカの身投げ=月明かりのない春の夜、大量のホタルイカが浜辺に打ち上げられる→発光した幻想的な景色
・発光物質ホタルイカルシフェリンと発光酵素ホタルイカルシフェラーゼの反応で発光、仕組みはホタルと同じやけど、物質は違う(ヒカリキンメダイはバクテリアの発光)
・肝臓で作られたルシフェリンはルシフェラーゼの触媒作用で酸素を取り込んで炭酸ガスを出しながら発光、オキシルシフェリン(燃えカス)は再び肝臓に戻ってルシフェリンに再生されてリサイクル発光する
・熱を発しない光なので冷光と呼ばれる
・ホタルイカの漁獲は兵庫も多い→兵庫は底引網なので、産卵前の成熟しきっていない小ぶりなホタルイカが多いし、鮮度が落ちやすい、らしい
・『二大奇観』(大正時代に町が作った観光冊子)→創作されたホタルイカの歴史(戦国時代からホタルイカ漁が始まった、加賀藩のお殿様がホタルイカ料理を食べて絶賛した、江戸時代から滑川名物だった)→実際は明治にやっと食用として流通、元々は肥料とか餌として使われていた
・ホタルイカそのものではなく、ホタルイカがやってくる海面が天然記念物指定→だから食べてもオーケー
・ホタルイカミュージアム→1998年に作られた
・滑川では毎年7/31にネブタ流し(国重要無形民俗文化財)→ネブタ(でかい藁束3メートルくらい?を海の上で燃やす)

そして、ホタルイカについて学び、ホタルイカについてふれあい……

ホタルイカを食べました
美味しかったです

ガラス美術館(展示は見ず)

その後、富山駅に戻ってガラス美術館を訪れました。

外観
内観

展示も見ようと思ったのですが、せっかくなら富山の歴史について学びたいなぁと思ったので、近くにある郷土資料館を優先して、中には入りませんでした。
ちなみにこの建物は隈研吾氏の設計だそうです。

富山城址公園・富山市郷土博物館

ということで、富山城址公園へ。

外観はこんな感じ
右側の石垣は丸っこくて可愛らしい
中の庭(広場?)はこんな感じ
お庭の池、良い感じ
別の角度から
別の角度から
二代目富山藩主の前田正甫(まさとし)
富山売薬(反魂旦)の布教に貢献したらしい
烏ニ告グ
ココデ餌ヲ
食フベカラズ
(ユーモアがあっていいですね)
郷土博物館の石垣
結構雑に積んでありますが、
角は算木積になっていました
中の解説によると、
近くの川から取ってきた安山岩や花崗岩を
切ったものを使っていたそうです
展望台からの眺めは正直イマイチでした笑

〈学んだこと〉
①富山城主の変遷とか
神保長職(じんぼながもと)は神通川を越えた所に富山城を築き、東へ進出。椎名氏との天文の大乱に勝利し勢力を拡大した。しかしさらに東にいた上杉謙信に富山城を攻略されて西へ追われる。
その後、武田信玄は一向一揆方(加賀の方)と手を結び、椎名氏を味方につけたけど、椎名氏はそのせいで松倉城を攻められる→一揆勢は富山城を奪って拠点化を進めるが、謙信が富山城を包囲して一揆勢を追い払う→謙信が越中全域を支配→謙信はさらに能登畠山氏を滅ぼし、加賀へと進んで織田勢を破る→上杉謙信没
謙信の死後、織田信長の勢力が伸びてきて、織田方の神保長住(長職の子)が富山城に入る。その支援として佐々成政が入り、越中一国を与えられる→しかし神保氏の有力家臣小島職鎮らが上杉方と結び、富山城を奪う→織田方がすぐに奪い返して長住を追放→成政が富山城主になる
佐々成政は本能寺の変の後も秀吉に越中支配を認められるが、翌年に家康・織田信雄に味方して秀吉と対立→秀吉の征討を受けて降伏し、富山城も破却された→肥後一国を与えられて熊本に移ったけど、失政を理由に切腹

②佐々成政の黒百合伝説
佐々成政は小百合という女性を妾にしていたが、嘘の告げ口に騙されて、無実の小百合の命を奪ってしまう。小百合は死ぬ前に「立山の黒百合が咲いたら、佐々家は滅びるであろう」と予言した。その後、佐々成政は秀吉と対立して肥後に流され、失政を理由に切腹させられる

③その他
・銀鯰尾形兜→めちゃめちゃ縦長で刃みたいになってる、前田利長(加賀藩の二代藩主、富山売薬の布教した人?→違ったこれは二代富山藩主、豊臣秀吉に富山城を与えられた前田利家(加賀前田家、初代加賀藩主)の嫡男、隠居してたけど火事によって焼失、高岡城を築いて移った)が用いた
・富山城の石積技法→花崗岩と安山岩の大きな河原石を割って使用
・鏡石=通常の石材よりもはるかに大きな石、6ヶ所ある(大阪城にも鏡石がある)
・十村(とむら)は藩と村の架け橋の役職

晩ご飯(地酒とホタルイカと寿司と氷見うどんと)

富山駅に戻って、晩ご飯は「とやま方舟」さんでいただきました。

地酒は立山酒造さんの吟醸
大半が富山県内で消費されるとのことで、
富山ならではのお酒をいただきました
とても飲みやすくて美味しかったです
お通しのホタルイカも美味しかった
もう一つはシラスのお寿司的な?
餅米だったと思います
左からフクラギ、スズキ、サワラ、ヒラメ
メニューには「寿司四貫」とだけあり、
店員さんに訊くと「来てからのお楽しみ」
と言われました笑
でも美味しかったので良かったです
最後は氷見うどんで締めました
ここも美味しかったので、
やはり氷見うどんは美味しい
という結論に至りました。

おわりに

この後、電車で金沢に移動して二日目は終了です。
既に宿のベッドの上ですが、安い割に良い感じの所なので機会があればまた利用したいなと思いました。
明日はついに最終日。
金沢を観光してから、電車で家に帰る予定です。
精一杯楽しもうと思います。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。

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