勝てそうな範囲内でだけ勝負してしまうこと

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。
今回は思考の整理です。というか、思考の垂れ流し?
グダグダになる方です。

〈先に結論〉
・自分は厳しい勝負から逃げがちなダサいやつ
・逆に考えれば、自分が勝負してみようと思えることは大体勝てる
・難しい目標でも、自分が目標にしているということは、多分そのうち達成できるから頑張って続けよう

本論

今回はタイトルの通り、「勝てそうな範囲内でのみ勝負をしてしまうこと」について考えてみます。
これは、自分ってこういうとこあるよなぁ、というものです。

私は結構負けず嫌いで、何でもやるからには負けたくないと思います。
例えば、中高生の頃はテストで一番(或いは満点)を取りたかったし、競技かるたでは格上にも勝ちたかったです。
しかし、中高生の頃にテストで校内一位を取った後、全国一位を取ることはできませんでしたし、競技かるたではB級で入賞できてもA級に上がることはできませんでした。
どちらも実力不足なのですが、実力不足なのは勉強や練習に全力で取り組まなかったことが原因です。
では、仮に全力で取り組むことができていれば、私は全国で一番になれていたでしょうか、A級になれていたでしょうか。
正直に言うと、多分無理だったんじゃないかなぁと思います。
つまり、勉強や練習に全力に取り組んでも取り組まなくても、私は目標を達成できなかったと思います。
だから、私は勉強や練習に全力で取り組むことができなかったのかもしれません。これはかなりダサいことで、要するに「どうせ頑張っても結果が出ないから、頑張らなくていいや」と思ってしまったということです。
その選択が良かったのか悪かったのかはわかりません。それらを頑張らなかった分、別のことに時間を使うことができました。
もしどのみち目標が達成していないのなら、別のことをした方が有意義だったと言えるかもしれません。
自分で言うのもなんですが、私はこの見極めが結構得意なような気がします。
自分に無理なことでは勝負せず、勝てそうな所で勝負する、という習性が身についている気がします。

これはネガティブなようで、実はポジティブに考えることができます。
なぜなら、逆に考えれば、今やろうとしていることは達成する見込みがあるということだからです。
私は無理だと思うことはさっさと諦めます。でもいけそうだな、と思ったら結構粘り強く取り組みます。
高校生の頃に学校で一番になれたのも、中一の頃から始まって高二で達成するまで5年間、目指し続けました。
かるたでB級に上がるまでは割と早かったですが、どうすればより強くなれるのかを考え続けていました。
しかし、テストで学校で一番になった後、本気で全国一位を目指そうと思えなかったし、かるたでもA級になるために足りないものを探して克服していこうという意識はほとんど無かったように思います。
他にも例はありますが、これらから考えると、私はいけると思ったことは大抵達成できるし、無理そうだなと思うことはさっさと手を引けるのだと思います。
だから、私が今頑張りたいと思っていることは、長期的にはきっと達成できるのだろうと思います。勿論、達成するために行動するのですが。

長期的には達成できる、というこの漠然とした自信があるから、私は今人生を楽しく生きられているのだろうなと思います。
安全圏で冒険するのはちょっとダサい気もしますが、ひとまずはこの冒険を楽しみたいです。
これを続ければきっとそのうち安全圏を飛び出して、本当の冒険に出られるような気がします。
その時は楽しさより不安の方が強いかもしれませんが、もしそういう人生を自分が選ぶのなら、それも悪くないのかなと思ったりもします。

おわりに

今回はグダグダな上に大したことを書けていない気がします。
でもまあそういう日もあるよね。
形に残しておけば、何かしら役に立つこともあるかもしれないと思って、こんなnoteも残しておきます。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。

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