見出し画像

【韓国】慶州芬皇寺模塼石塔

場所:慶尚北道慶州市九黄洞
時代:634年

芬皇寺三層模塼石塔

芬皇寺は朝鮮三国時代の新羅第27代善徳王(在位632~647年)によって、当時の都金城(現在の慶州)に創建された仏教寺院。善徳王は新羅で初めての女王となった人物で、仏教を積極的に推進し、多くの寺院を建立した。かつて新羅最大の規模を誇る寺院であった皇龍寺(現在は伽藍址のみ)の北側にあり、現在の小規模な寺域からは想像できないほど大規模で、かつ重要な寺であった。

左:八角井戸、右:和諍国師碑趺

この寺のシンボルである三層模塼石塔以外にも、新羅時代の八角井戸(三龍変魚井)や、新羅時代の高僧を称えて高麗時代に作られた和諍国師碑趺などがある。

模塼石塔

現存する新羅の石塔で最古のものとされ、塔の建立年代も芬皇寺創建当初の634年と考えられており、この寺院の象徴的存在で韓国の国宝に指定されている。「塼」というのはレンガのことで、中国の塼塔を模範として建設したので模塼石塔と呼ばれている。ただしこの石塔はレンガではなく、レンガのように成形した安山岩を用いている。
現存する塔は、高さ9.3mで基壇一辺は13m、塔の構成は三層となっているが、本来は五層、七層、または九層(皇龍寺九層塔との混同か)であったともいわれており、元の層数は不明である。その後13世紀の蒙古による高麗侵攻と、1592年の文禄の役(壬辰倭乱)において破壊され荒廃した。釜山から上陸して慶州あたりを攻略したのは加藤清正なので、この石塔も清正の軍勢によって破壊されたのだろうか。余談だが、清正の軍勢に加わっていた沙也可(朝鮮名:金忠善)なる武将が敵国朝鮮軍に寝返り、その後倭軍を駆逐するのに大いに貢献したという話があるのは最近になって知った。この人物の子孫が暮らす村も健在らしい。

塔入口の金剛力士像

さて荒廃した塔は、その後本格的に修復されることはなかったが、1915年に朝鮮総督府によって修築されることになる。その際にいろいろな仏教の宝物や銅銭が発見されており、高麗時代に改築されたことが窺える。第一層の4面には内部への出入口があり、両脇にはそれぞれ金剛力士像が彫られている。また塔の基壇部の四隅には、獅子像が置かれている。

芬皇寺の位置 (慶州市)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?