不可解再感想殴り書き(日記)

不可解再、人生で迎える二度目の不可解。あの日にあの場所で得た感動以上のものはもう出会えないだろうとさえ思っていた。それほど不可解は人生で大きいものだった。その不可解が今回再び行われた。去年恵比寿の地で直接見た花譜を今回は画面越しに見ることになった。

17時50分、MVの一斉公開が始まった。普段音源で聞いていることが多い自分にライブ前の特別な時間に花譜のMVを見るという行為はあまりに刺激が強かった。何故か自分が緊張してきて、緊張のあまりお腹を下した。トイレの中でtwitterをやりながら自分はいったい何をしてるんだ?なんで家のトイレなんかにいるんだ?なぜ自分はZeppにいないんだ?その思いを抱えていた。バーチャルアーティストのライブをリアルでやりながら現地で見ることはかなわない。そんな世の不条理を恨んだ。トイレの中で。

始まる10分ほど前、ようやくトイレから配信を見る環境の整えられた机に戻ってくることができた。準備は万端。あとは配信開始を待つだけ。美しいピアノの音色に体を任せて静かに始まる瞬間を待っていると聞き覚えのある声が聞こえてきた。ヰ世界情緒、何らかの形で神椿のアーティストがかかわってくるとは思っていたがいきなり来るとは。ヰ世界情緒がここできて理芽が来ないはず無いな、心の準備をしておこう。そう思っていたら始まりの音楽が流れ始めた。あの日あの時あの場所で、そのあとも何回も聞いた音楽が。泣いた。あのときあれだけの感動を得られた体験がすべてフラッシュバックしてきた。あの時は目の前に花譜が実在する、そのことに涙したが今回は不可解が、何回も見た不可解がもう一度再構築された姿で見れる、その事実にただ涙した。

一度あふれた涙は止まらなかった。糸、忘れてしまえ、雛鳥、心臓と絡繰。アレンジこそあれどうしようもなくあの日を意識させて来る。当然だ、これは不可解なのだから。あの日と同様に涙することしかできなかった。直接だろうと画面越しであろうと、自分が泣いてしまうことに変わりはなかった。あれだけいっぱい呟くぞなんてほざいていたのに画面から目が離れなかった。そしたらあの日初めて聞いたエリカが今日は違う服を纏ってやってきた。神椿のデザイナーたちは本当に素晴らしい。同じ楽曲であるはずなのに全く違う色を見せる。未確認少女進行形、よりFuture Bassっぽい色を見せるようになった。かわいらしさを前面に押し出すのではなく、少し成長した姿で少女を写す。このころには涙も引いていて不可解再を不可解再として見ることができるようになっていた。そしてここから花譜の進化をまざまざと見せつけられることになった。

わたしがすきなうたをうたうよ。そういった花譜が歌い始めた姿はどれも知らない花譜だった。綺麗、愛の才能、美しい棘。進化した花譜だった。初期のころのわたしがすきなうたをうたうよ、は大人な曲をあどけなさの濃い少女が歌うことによって生まれる妖しい魅力と自身の声とマッチする表現によって作り上げていた。不可解の時の花譜によるわたしがすきなうたをうたうよ、はさらに磨きのかかった圧倒的な感情を声に乗せた表現によって撃ち抜かれるようなものだった。今回の花譜は大人な花譜だった。歌に歌わされるのでもなく自分が歌を染め上げるのでもなく、原曲と自分の持つ良さを合わせながら一つの作品として作り上げる能力が格段にあがっている。そう感じた。

祭壇、最近この曲を知らないといっていた観測者の人がいたことは少し、いやかなりショックだった。当然その人に非があるわけではない。ライブ映像を持っていない人では普段聞くことは叶わない。不可解よりも後に花譜を知った人はこの曲を知らない人のほうが多いのかもしれない。祭壇は、Vtuberシーンに対しての曲。普段他のVtuber達とのかかわりの薄い花譜がこの曲で感謝と激励を示す。その事実に文脈オタクである自分は目頭が熱くなった。そして、魔女。この曲も思い入れが深い曲で、いろいろとこみあげてくるものがあった。息をのんだ。春猿火。バーチャルの世界へ向けた曲のさなかに同じバーチャルな存在として同じ事務所からデビューした春猿火がともに歌う。花譜が一人で魔女の名を背負うのではなく新しくできた仲間がともに背負ってくれる。そんな、今から振り返るとよくわからないことを考えた。

夜が降りやむ前に、quizと美しい曲が続く。これらの曲はカンザキイオリと花譜の割合が大体半分くらいの曲と勝手に思っている。でも今日その印象が覆された。花譜が、より曲を乗りこなしている。引っ張られるのではなくむしろ花譜が先行する。そんな印象すら受けた。花譜の進化に耳を奪われ聞きほれていると最高にロックでロックな曲が聞こえてきた。この曲を聞いてロックでロックという言葉しか出てこないのはだいぶ不可解にまだ影響されていると思う。そしてそのまま過去を喰らうへ。このつなぎはずるい。泣き叫びながら画面を凝視した。CDではありえないつなぎ。普段は聞けないこういった場でしか聞くことのできない特別なもの。襲い掛かってくる特別の暴力にボコボコにされていた。

サンドバック状態が終わるとバンドメンバー紹介が始まった。ここで疑問に思ったのはそこから何につなげるんだ?というものだ。不可解ではこの流れから過去を喰らうだったけれども今日はもう過去を喰らってる。どうすんだこれと思った矢先、Re:HEROINESが流れ始めた。息が止まった。流れないと思ってた曲が流れた。この曲のMV先行公開だけを目当てに行ったTGS周辺の記憶がよみがえり何もできなくなった。意識が飛んでいたかもしれない。不可解再は不可解再なんだとわからせられた。ただの再公演では無い。春猿火の登場から脳裏によみがえっていたこの言葉が強く刻み付けられた。

御伽噺。女優花譜の進化を見た。今日は花譜の進化を見てばっかだ。花譜が動きながら語る。画面の前の自分はこの時花譜の言う君になっていた。花譜が持つ世界観の圧力。これは何度くらっても押しつぶされそうになる。そこから神様へ。あとから思えばカンザキさんの作ってない曲で不可解から続いて歌ったのはこの曲だけかもしれない。それだけこの曲が花譜の世界観を語るうえで重要な何かを含んでいるのかな、などと思ったりする。

命に嫌われている。カンザキイオリの代表曲でVtuberシーンにおいても重要なところで何度も顔を表す名曲中の名曲。samayuzameさんによる伴奏で奏でられたこの曲は、化け物みたいな表現力と形容された花譜を見せつけるには十分すぎた。花譜でもこの曲でも何度泣いたかわからない。何度も泣いたこの曲を、何度も泣いた花譜が歌う。自分には泣く以外にできる行動がないかのように泣いた。

不可解が流れると、何度目かわからない呼吸困難になった。あれだけの衝撃を受けた不可解。それを進化した花譜がこの社会情勢の中で紡ぐ。自分にはもう耐えられなかった。プロデューサーが全編無料でも見せたかったといったこのライブでお金をとらなければいけない。音楽を金儲けの手段にしなくてはいけないことに対する思い。そういった花譜チームの思いがにじみ出るかのようなこの曲。一介のファンに過ぎない自分ですらコロナに対して何もできない力のなさに悔しい思いをしている。花譜は、どれだけの思いを込めてこの曲を歌い上げたのか。自分程度では推し量ることはできない、何も。

そして花になる。花譜が、花譜を歌う。この曲はまさにそれ。等身大の花譜。偶像としての花譜でも巫女としての花譜でもないただの一人の少女としての花譜を歌った曲。何回も見た不可解という幸せな時間の終焉を知らせる曲でもある。幸せな時間だったと思う一方この時が終わらないで一生続いてくれとも思う。これを聞けば体が自然と終わりに向かう。ああ、もうおしまいか。今日のライブも最高だったな。不可解はやっぱり最高だ。

今日は不可解再の日だった。終わりの先にもう一曲宣戦があった。それも理芽と。今日のライブ直前に理芽が来る覚悟をしておこうとか言っておいてライブ中にすぐ忘れていた自分は曲の前に理芽が出てきたところから動きを止めた。しかも途中で不可解ではなく不可解再なんだと思い知らされてるはずなのにまだ不可解気分でいた。この曲についていっぱい書こうと思ったいたけれどまったく言葉も記憶も出てこない。ただただ感情が最高だったと言っている。人間高まりすぎると記憶がすぐに飛ぶ。これは不可解でも不可解再でも変わりませんでしたね。花譜は進化してるのに自分は何にも進化してないな。だめじゃん。

エンディング、CFの支援者の名前が流れてきたところでまたしても息が止まる。自分は今日のイベントを不可解ではなく不可解再なんだと、違うイベントなんだという思いでけりをつけたつもりが向こうがあくまでも不可解の再構成なんだと、不可解なんだといってきた。彼ら自身の力だけで作り上げたものではなく、不可解の時に支援してくれた人たちがいるからこそ今回のイベントがあるんだと。本当に神椿は憎いことをする。こんなこと言われたらもっと好きになるしこれからも応援したくなるじゃんか。

神椿の人たち、がんばれ、応援してる。

花譜、好きだ。これからも好きでいさせてね。

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