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言葉しりとり『演劇』→『育児サークル』#3

第一子妊娠中、転勤で生まれ育った土地を離れました。
両親どころか友達もいない土地です。
飛行機か新幹線じゃないと行けないくらい離れたところでした。

医師の許可ギリギリの飛行機で実家に戻り里帰り出産でした。
出産後1ヶ月でまた飛行機で戻りました(今思えばちょっと怖い…首も座っていないのに)。
出産後も夫は出張続きで、まだ寝ているだけの子どもと2人っきりだったので
1日の中で人間と会話をしたのは市役所・銀行くらいだった、と言う事も多い日々でした。
スーパーとかって人はいっぱいいるけど会話はないんだって痛感しました。

ある時、近所の育児サークルを知りました。
月に1回程度の集まりだったけれど 人間と会話できる事が嬉しくてたまりませんでした。
まだ子ども同士が遊べるような月齢ではなかったけれど インターネットも当たり前ではなかった当時、雑誌や書籍から育児のあれこれを知るしかなかったので
生で悩み相談をしたり質問したり自慢話を聞いたり(笑)できる事が たまらなく楽しかったのです。

2歳になる頃 夫が仕事を辞めたので(‼︎)地元に戻る事になりました。

幼稚園、小学校、中学校と通った土地に戻ってきて 両親も親戚も知り合いもそばにいて 児童館の場所も公園の場所も知り尽くしていたので
「これからはここで育児をするんだ」
と安堵感でいっぱいでした。

ところが、です。

午前中の公園に子供がいないのです。
転勤先では午前10時ともなればママと子供たちが大勢集まって来ていました。
お昼に一旦家に帰るけれど午後にまた集まって来ました。お昼寝で一回帰って夕方また集まって来ていました。
なのに、いるのはたま〜に おばぁちゃんと孫 と言う状態。
多くのママが働いて保育園に預けていたようでした。
夕方になると流石に子供が増えて来ますが、幼稚園児とママがメインでその輪に入る話題もなく端っこで結局子どもと2人で遊ぶような感じでした。

あるとき、

「自分で育児サークル作ったらいいってことなのかも」

そう思ってしまいました。そう思ってしまったらそうしないと気が済まなくなりました。

始めは私を入れて3人(とその子ども)だけでした。我が子より年下のお子さん連れの方でした。
私がそうであったように ママたちはこう言う場を探していて お喋りしたい事や相談したい事が山ほどありました。

さて私はリーダーです。リーダーですから いろいろ決めなければなりません。
次はいつどこで集まるのか。何をするのか。
新しくサークルに入りたい人とのやり取り、場所取り、連絡事項の伝達。

子育て広場のようなところで集まったり お弁当を持ち寄ってピクニックをしたり ママも楽しめる子連れOKの施設(美術館やイベント)の計画を立てたり
大変な事も多いけれど 私にとっても充実感いっぱいの場となりました。

少しずつ輪が広がっていきました。
15人くらいになると 場を押さえるのも 駅で待ち合わせをするのも 出欠管理をするのも大変になっていきましたが
それでも皆んなが“リーダー”について来てくれました。
その場で話しきれない事もたくさんあって 発言できないママもいたりして 
そこで好評だったのは『◯◯の会(サークル名)ノート』でした。
人見知りで人前で仕切っていくなんて 小中学生の頃には想像もできなかった事です。
ママは強し です。

数年が経ち、下の子を妊娠し、同時に上の子の入園準備に忙しくなりました。
メンバーは30人を超えていました。
私は新しいリーダーに託し引退しました。
数年経った頃に 下の子の幼稚園のお母さんから「もしかしてリーダーされてた◯◯さんですか?まだノート回ってるんですよ」と聞いて驚きました。

時代は変わって今はLINEなどのSNSが主流だけれど、そんなアナログなツールも残しておきたいなぁと昭和生まれの私は思うのです。

今思い出しました。育児サークルで交換ノートを始めたきっかけ。
転勤先の土地で 子育て初心者の私を支えてくれたママ友達と『交換日記』をしていました。
あと、初孫を楽しみにしてくれていた両家に『◯◯(子どもの名)新聞』を毎月書いて転勤先から郵送していました。

次回は『新聞』について書こうと思います。

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