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Ghost of a smileについてふと思った事

はじめに

ふと上記のような疑問を以前に抱いたので、少しだけ考えてみようというのがこの記事の趣旨です。ただ、私は『ハーモニー』の円盤は買ってないですし、パンフレットと漫画すら持っていないのでかなり的外れになるとは思いますが、それでもよろしければ読んで頂けると嬉しいです。

前提の話

本題に入る前に『ハーモニー』とはどんな話だったのかを整理していきたい。

以下、映画版のあらすじ。

「大災禍」と呼ばれる世界規模の混沌から復興した世界。かつて起きた「大災禍」の反動で、世界は極端な健康志向と社会の調和を重んじた、超高度医療社会へと移行していた。そんな優しさと慈愛に満ちたまがい物の世界に、立ち向かう術を日々考えている少女がいた。

少女の名前は御冷ミァハ。世界への抵抗を示すため、彼女は、自らのカリスマ性に惹かれた二人の少女とともに、ある日自殺を果たす。

13年後、霧慧トァンは優しすぎる日本社会を嫌い、戦場の平和維持活動の最前線にいた。霧慧トァンは、かつての自殺事件で生き残った少女。

平和に慣れ過ぎた世界に対して、ある犯行グループが数千人規模の命を奪う事件を起こす。犯行グループからの世界に向けて出された「宣言」によって、世界は再び恐怖へと叩き落される。霧慧トァンは、その宣言から、死んだはずの御冷ミァハの息遣いを感じ取る。トァンは、かつてともに死のうとしたミァハの存在を確かめるため立ち上がる。

https://project-itoh.com/harmony/  より引用

物語の立ち上がりでは原作と映画版に大きな違いはありません。しかし、物語が進む毎に映画版では人間ドラマにより焦点が置かれて行き、特にトァンのミァハに対する想いが原作とは全く違い、それがミァハ殺害の動機の差に繋がりました。

映画版では明らかにトァンとミァハは恋愛関係にあり、特にトァンは妄信的な目を彼女に向けていました。それ故に、自殺未遂以降はトァンは”記憶の中のミァハ”に捕らわれ続け、最終的には思い出の中のミァハを生かす為に、現実のミァハを殺害するという行動を起こします。

対して、原作では自殺未遂以前は憧れの友人というニュアンスであり、特別な仲ではあっても、恋仲と呼べるほど強い繋がりはありませんでした。それ故に、キアンと父の復讐=ミァハに意識の消失した世界は与えないという方式から、ミァハを殺害しました。

ここで重要なのは小説においては自らの選択の結果としての殺害なのに対して、映画版ではある種の自暴自棄からの行動だった事です。これは大きな違いで、作品の根幹を何処に置いているのかが明確に異なります。

実際に、監督であるなかむらたかしさんは以下の様に述べています。

――伊藤計劃さんの原作を読んで、どんな感想を抱きましたか?

なかむらたかし監督「SFとしてのお話とそこに描かれている未来システムがあり、それとは別に霧慧トァンと御冷ミァハの2人の関係性も濃く描かれています。これをいかにアニメーションの物語にしていこうか、と正直悩みました。トァンとミァハの関係性をきちんと捉えて一つの筋を通したものが物語にできるんじゃないか、まずはここがズレないようにしようと思いました。」

https://animeanime.jp/article/2015/11/11/25644.html  より引用

また、他のインタビュー記事を見てもわかるように、監督は『ハーモニー』を映画化するに辺り、SF作品としてのテーマ(つまりは日本版のディストピア作品としての側面)よりも、人間ドラマを取っており、だからこそ、このような物語になりました。

何故、Ghost of a smileなのか

さて、ようやく曲の話に入ります。曲の歌詞に込められているのは去りゆく者(死者)が、残された者(生者)に伝えたいけど伝えられない想いです。

では、その両者は作中のどの人物に当たるのでしょうか。

ミァハは作中の描かれ方からして歌詞のような感性を持っていません。では、キアンはどうでしょうか。しかし、キアンは本人も述べている通り、バランサー=二人の間に立つ者であり、恋愛的な要素は含みません(キアンとトァンに恋愛の要素を見出した方はすいません)。そうなると、やはりトァンしか浮かんでこないです。

確かに、監督は別の記事で以下の様に答えていました。

「率直に言ってトァンとミァハは恋愛関係だと思っていました。男女間以上の強烈な関係性だっただろうと。ミァハというのは、とある理由があって、『肉体に対しての拒否反応』と同時に、『誰かを求めたいという気持ち』がないまぜになったキャラクターだろうと捉えたんです。彼女達の濃密な関係は可能な限り描きたいと思っていました。」

https://anime.eiga.com/news/101559/  より引用

それを踏まえると、やはり選択しとしてはトァンしかいない様に思えます。

ただ、歌詞の雰囲気はともかく、歌詞自体を考えると疑問が残ります。それはトァンが見送る側になるということです。それはおかしいです。本作ではトァンは徹底的に取り残された側のキャラクターとして描かれており、人類のハーモニクスが実現した後ではそもそ亡霊という概念が存在するとは思えません。

そうすると考えられる人物が全て消えてしみますが、対象を広げてみると実はある人物がいます。

わたしが十二歳のとき、隣に住んでた男の子が死んだ。

首を吊っていた。

この世界を憎んで、この世界に居場所がないって言って、その子は死んでいった。

映画『ハーモニー』、ミァハの台詞より引用

この台詞はかなり唐突なものです。それにも関わらず、原作と映画では台詞に些細な変化はみられるものの、映画のミァハを見ればこの出来事に強い思いを抱いている(怒りに近い感情)ことがわかります。

ミァハという人物は基本的に他者に関心がありません。彼女の中にあるのは自分だけで、キアンやミァハに対する執着がある程度です。そんな彼女が唐突に、かつ真剣な表情でトァンに語りかけなければいけない関係の人物とはどのようなものなのでしょうか。

ここの台詞で重要な点があります。それは男の子が自殺したのは12歳といところです。

ミァハの母親は、ミァハの変化について原作において以下の様に述べています。

最初はよかったんです。けれど、中学に入ってかたあの子は何かに取り憑かれたように自身を傷つけはじめました。

小説『ハーモニー〈新版〉』のp139のミァハの母の台詞より引用

この台詞を踏まえると、この自殺をした男の子こそがミァハの行動原理の原点であると考えられ、Ghost of a smile はこの自殺をした男の子のミァハに対する想いを描いたモノだと私は思います。

※他の方の記事でミァハとこの少年の関係性に関する考察を既に行われていたので、詳細はそちらの記事を読んで頂けると幸いです。私がこの記事を執筆最中に思った事とかなり似た内容ですし、より深い考察が行われています。

回想シーンではミァハは様々な知識を披露しますが、果たしてその知識はどこから来たのでしょうか。それは、ミァハの趣味である読書から得られた者であると考えるのが自然ですが、では、その本に対する趣味はどこから来たのでしょうか。

本を燃やす場面でミァハは次の台詞を述べています。

燃やすの、ぜんぶ。

燃やしてあげないと、この子達が私を地上に縛り付けて、向こう側に逝けないから。

映画『ハーモニー』のミァハの台詞より引用

この発言から、デッドメディアである本にかなりの執着があることが窺えます。確かに、彼女に知恵を与えたのは本ですが、そこまでの執着を持つには一押し足りません。

そこに本を教えたのがその男の子であり、ミァハが自殺した男の子に対して、トァンがミァハに向けていた感情と同じ物を持っていたと仮定するなら全てに納得がいきます。

ミァハの死後(実際には生きていたが)にトァンがミァハの亡霊に縛られた様に、ミァハは男の子の死後、同じように縛られたのではないでしょうか。

しかし、そう考えると何故主題歌で原作の中では全く描かれていない少年の想いを主題歌に込めなければいけないのでしょうか。

原作者である伊藤計劃さんはインタビューの中で以下のように述べられています。

人間の持っている感情とか思考とかっていうものが、生物としての進化の産物でしかないっていう認識までいったところから見えてくるもの。その次の言葉があるかどうか、っていうあたりを探っている。で、前回と今回はとりあえず「なかった」っていう結論なんですけども(笑)。

小説『ハーモニー〈新版〉』のp369より引用

次回作として世に出るはずであり、円城塔によって引き継がれ描かれた物語『屍者の帝国』は、魂を巡る物語でした。この作品は『ハーモニー』の物語と類似点を感じる要素が多かったですが、最終的に劇中では人類の意思はあるべきだと肯定しています。

プログラムじゃなく、魂で喜びを知りたい。
悲しみや苦しみが有るからこそ、喜びを感じるのでしょう?

映画『屍者の帝国』のハダリーの台詞より引用

もちろん、『屍者の帝国』のほぼ全ては円城塔が書いたので、伊藤計劃そのものの主張がダイレクトに作品に現れることはありません。しかし、伊藤計劃の友人である彼が意識、魂を肯定する物語を描いたのならば大枠は近いと考えるのが自然です。

ならば、Ghost of a smileは伊藤計劃が描けなかった、言葉に落とし込めなかった、魂の価値を歌詞に込められたのではないでしょうか。これは完全に根拠のない妄想ですが、もしかしたら、人類のハーモニクスは意識の消失=意識の死ではなく、意識の消失=意識の解放なのかもしれません。

これらの事を踏まえてみると、Ghost of a smileという名と誰かをただ純粋に想う気持ちを描いた歌詞は映画『ハーモニー』の主題歌としてこれ以上ないです。

彼が人生で描くことができなかった”その次の言葉”を、作中ではほとんど描かれる事無く終わった男の子のミァハに対する想いを重ねたのがGhost of a smile だったのだと私は思うのです。


最後に

もともとは歌詞の意味を考察する予定でしたが、色々考えた結果、歌詞そのものよりもこの歌詞全体が一つの意思のもと形作られたのでは?と思い、このような記事になりました。まあ、円盤も無ければパンフもない私にはこんな雑な想像を巡らせるしかないですが、それでも何かの足しになれば幸いです。


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