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【先読み】うみやまのあいだのひとしずく②

今明さみどり『ひとしずく』(幻冬舎、2023年2月発売)
noteに児童小説を書き続けていたら、本になりました|うみやまのあいだ、あめつちのからだ|note

その前身となった『うみやまのあいだのひとしずく』の冒頭数ページを三回に分けてご紹介します。
①はこちら→【先読み】うみやまのあいだのひとしずく①|うみやまのあいだ、あめつちのからだ|note


私たちのそば、どこにでもいる水滴の一粒〈ひとしずく〉が主人公の物語です。
はじまり、はじまり。

 そのひとしずくは、人間が滅多に入りこまない深い山奥で生まれました。滅多に、というのはどれくらいかというと、そこに三百年前から生きているナラノキいわく、最後に人間を見たのはおよそ百年前だとか。「あのときの人間は、ここらで一番の雄熊を追いかけてのっしのっしとこの辺りまで鉄砲を担いでやって来てね。私の根本で数日の間朝晩とその熊を待ち伏せしてたのサ。けれど私はこんなところで銃声なんか聞きたくなかったからね、こっちへ来るなこっちへ来るなと熊のあいつに教えてやっていたんだよ。」そうしてナラノキは、百年前だという紛れもない証拠はこれさ、と言って自分の年輪を見せてくれました。すると、ナラノキが指をさしてくれたあたり、外側から数えてちょうど百の輪っかに、樹液が滲みわたった跡がついており、それは、そのときの狩人が自分の寝床の目印につけた痕(きず)の名残だということでした。 人間にとって未開の森というのは、とても健やかに野蛮のままであります。すべての動植物、きのこ類や菌類、肉眼では見えない虫たち、あるいは土や鉱物にいたるまで皆思い思いに自らの生の保存に貪欲で、そのあふれ出る生気が彼らの美しさの源でした。そしてそれらすべての小さな命を支える大きなもの、それが先ほどのナラノキのような、長い年月にわたって生き続ける巨樹たちでした。この山奥の森には、こういった立派な巨樹がたいそうな存在感を以て百本も二百本も聳えていました。これらの樹々はこの森の中で一等陽当たりのいい場所を選んで生き抜いてきたという自信と自負がありましたので、そのぶん、だれにでも優しい強さをもっていました。春は彼らの樹皮のあたたかさに多くの生物たちが熱を得、夏には旺盛に茂った深緑の葉で多くの生物を養い富ませ、日陰などもつくってやり、秋には実りを、冬には来る春のための水分と栄養を自らの根にたくさん含ませてこの森を支えていました。 ところが何百年もの時間がもたらすものは、豊かさの多層性だけではありません。当たり前のことですが、その年月分をかけて、樹々もまた老いてゆきます。鳥や虫に食いつぶされて、あるいは何か病気になってしまって幹の内側から腐るものもいましたし、長年忍んできた雪の重さについに耐えられなくなって倒木してしまうものもありました。野分の強い風などに毎年毎年からだをぶたれ、枝という枝が落っこちてしまうものもいましたし、背が高いスギなどは、他の巨木に代わり天の真上から雷に打たれて、真っ黒こげになってしまうものもいました。こうして一本一本の命の衰えや終わりを見つめれば、別れの情緒など永遠に続くように止めどないですが、ひとつの広大な森にとって、それらの小さな終わりは決して悲しいものではありません。それどころかむしろおおらかに受け止められるべきもので、明るいものでさえあります。なぜなら、それらの大きな樹々が倒れたあとは、光を遮るものがなくなるために空がいっぱいに広がるからです。長らく巨大な陰の下で過ごしてきた若い草木や種たちは、太陽の光をひねもす一身に浴びることができる嬉しさで心がいっぱいになり、森中の空気までもが彼らの悦びにふれて鴇色に染まって見えるほどでした。彼らはもたらされた幸運と興奮のほてりを森林の澄んだ空気で自ら冷ましつつ、たえまなく呼吸をつづけます。鳥たちのさえずりに聞きほれながら陽の光を謳歌し、根の先から天へ、からだのすみずみまで幾度となく水をめぐらせます。そうしてある日、風が凪ぐおだやかな日和を待って、いっせいに生命(いのち)を放ち、芽吹くのです。何千種もの緑色が一度にこぼるるこの時を、何と表現すればいいのでしょう。それは、ただただ圧倒的に、生命の色彩というほかありません。これでもまだ、言葉が足りぬくらいです。ところが森たちは、こうした美しい悠久のすべてを決して人間には見せ尽くしてはくれません。自然だけが秘匿できるこの時空間こそ、今では彼らの矜持だからです。こういうとき、あの美しい瞬間を目の当たりにできる生物たち、鹿やモグラ、キツツキやゾウムシ、ヤスデなどがどれほど羨ましいか知れません。

©うみやまのあいだ、あめつちのからだ


改稿版・続きはこちらから。
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ひとひと
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©うみやまのあいだ、あめつちのからだ
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