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本屋に行くことが苦痛になった理由

最近は、不景気になったものですから、本を買う回数も減ったんでございます。

というのも、本を置くスペースがかなりいっぱいになってきて、かといって売るに売れない本ばかりになってきた(絶版とかもあるので、手戻したら買い戻せるかどうか保証が無い)というのもありますし、いい本は何度も読み返したくなるじゃないですか。

ただ、もう一つ本を買う理由が減ってきて、それは「本屋そのものにげんなりしてきた」というところです。

本屋のベストセラーの棚を見るだけでゲンナリしませんか?

どうして、本を買いに来たのに、このような思いをしないといけないんだ、と思ったことはありませんか?

せっかく、このひどい現状から打破をしようと、なにか買おうとしているのに、こんな目に合わないといけないのか、と思ったことはありませんか?

私は、しょっちゅうあります。

なので、本屋は「事前に注文をして、ピックアップをする場所」となっています。

お金や時間に余裕があったときは、なーんとなく回って、興味がありそうな本があったら「これは面白そう」と買っていたのですが、それもできなくなってしまいました。

だって、なーんとなく回った結果、【地雷】を踏んで嫌な気分になるんですよ?睾丸論者竹内の本が「進化論」のコーナーに置いてあったから、これは「新興宗教」のコーナーに置くべきだろうが、とその日ずーっと嫌な気分になっていたんだもの。

なので、安心できる、楽しかった、行くだけでワクワクしていたような本屋というのは、もはや少数になってしまった、と言い切れます。丸善ジュンク堂やくまざわ書店をなるべく利用するようにしているものの、そこでもアレな本を見かけてしまったときのダメージは大きいですからね。

確かに、個人の書店では安心はできますし、良心的な本屋がまだ存在することは承知しております。しかし、そういうところは理不尽な嫌がらせをうけたりですとか、この間も女性が店主をやっている本屋に男性編集者が理不尽なブチ切れ方をしていちゃもんをつけまくって営業妨害をした事件があったばかりじゃないですか。

つまり、「守る仕組み」というものがなかったりしますし(それを個人でやらないといけないよ、という意味合いです)、やはりいくら特定の個人がやったところで、上から腐ったところで、どうにかやったところでも、大手をどうにかしない限りは変わりようが無いのです。

「誰もが安心できる居場所にしろ」

これに尽きます。

「ヘイト本を置く自由を」とか抜かすやつは、「日本国記」の角を、頭部に叩き込みます!

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