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牛乳のことが気になっている

先日、放牧した乳牛のオスをソーセージにして出荷している会社を取材しました。ライターの仕事について考える機会になったので、感想を残しておきます。

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「放牧した乳牛のオスをソーセージにする」と、さらっと読める文ですが、一つ一つの言葉を解釈していくと、、、

◾️放牧
牧場、と聞いてイメージするのは、広々とした草原でのんびりと草を食べる牛、といったところでしょうか。ただ、実際にその風景の中で飼育される牛は全体の1割に満たず、多くの牛は、生まれてから一度も牛舎の外に出ずに過ごすそう。そのほうが生産効率がいいから。

◾️乳牛
牛のミルクは人間の母乳と同じ。つまり乳牛のメスは牛乳を生産するために常に妊娠と出産を繰り返している、ということ。牛はいつでもミルクが出る生き物だと思っていたけれど、そうではないという当たり前のことに気づく。牛の妊娠期間は人間と同じく10ヶ月。

◾️オス
乳牛のオス。母牛から生まれた赤ちゃんがメスなら、乳牛として重宝される。オスは食肉にするにも肉が固くて食べにくく、飼育代と生産性が見合わないのでほとんどは処分されてしまうらしい。

A社では、牛乳生産のために生まれたオス牛の命を無駄にできないと研究を重ね、食べやすく加工して出荷しているそうです。

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と、取材したことを記事にすれば、ライターとしてのお仕事は終わり。
で、「このあとわたしはどうするの?」というのが、引っかかる。

以前、取材したお寺で聞いた話を思い出す。
個人の事業と兼業でお寺の住職を務める男性は「住職の肩書は水戸黄門の印籠に似ている」と言っていた。新しい事業を始めるとき「お寺の住職です」と言えば周囲の理解が得やすいらしい。なるほど。

ライターも少し似ている気がして、「フリーのライターです」と言えば、記事にする、という前提で1時間くらい話を聞かせてもらえる。聞いた情報をどう処理するかはある程度こちらにゆだねられ、(常識の範囲内で)自分の中に蓄積することも許されると思う。

それで、「このあと(記事を入稿し終えた)わたしはどうするの?」と、なる。言葉で野を良くする、と掲げてみるけど、正直、言葉だけじゃ野は良くならない。「フリーのライターです」という向き合い方を続けても、あちら、と、こちらで、当事者にはなれないから。

動かねば、と思うわけです。
さあ、どこにどうやって舵を切る?🛶
そんなことを考えている今日このごろなのでした。

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