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それぞれのピリオド

夜中のとば口、まだ電車が走っている時間に、家へ帰るマホが、駅まで送ってほしいと珍しくねだってきた。
おれのアパートを出て、駅まで行く途中でファミレスに寄り、そこでおれはふられた。
「ヨダ君とだらだらして、時間を浪費したくないの。わたしたちの関係、これからもずっと変わらないよね?」
「ヨダ君とはもう会わない。駅で別れたら、そこでわたしたちは終わり。いいよね?」
マホには、愛どころか恋でもない、まあいいか、ぐらいの気持ちしかなかったので、そのうちこうなるだろうとは予測していた。
おれたちは店を出ると、駅の方へと足を向けた。

疾走してゆく自動車と擦れ違いながら、あちこちに電気の光が浮かぶ黒い毛布に包まれたような歩道を、真っ直ぐに進んだ。おれがよく立ち寄るラーメン屋の前を通り、がっしりとシャッターが閉まった、広い売り場が靴で溢れかえっている靴屋、筆写体で看板に屋号が書かれた、藍染め暖簾の居酒屋などを横目にし、交差点のコンビニの灯りに横顔を照らされ、緑色のLEDが光る横断歩道を渡った。マホが興味を示していたが一度も入らなかったカフェ、小洒落ているが狭苦しい花屋、牛丼屋、ファストフードのハンバーガーショップ……駅が近づくと、安いチェーン店が増える。吉野家、てんや、モスバーガー、ドトール等々。いつもマホはおれと手をつないできたが、彼女は手を放していた。

駅前のロータリーにさしかかると、ロータリーから出てきたタクシーの眩いヘッドライトが彼女を照らし出した。その刹那、突風が彼女の正面から煽るように吹きつけ、胸元まである髪が、掻き乱されながらぶわっと浮き上がった。閃光と濃い陰影のコントラストが作り出す、ドラマチックな相貌が露わになった。咄嗟のことに呆然と目を見張った、いやに生々しい表情だった。
おれは息を呑んだ。秘匿されていた事実が暴かれたかのようだった。
それほどそのマホはきれいだったのだ。彼女はおれから離れていこうとしているのに。砂山を削るように心が抉られた。

ひとけの絶えた駅構内でエスカレーターに乗り、改札口が近づくと、マホは足を止めた。
彼女はきゅっとした微笑を浮かべた。
「じゃあ、ここでさよならね。これで本当に終わり。楽しいときもあったけど、つぎはヨダ君自身が好きなひととつきあってね」
本当にそれでいいのかよ? そうおれは問い詰めたかった。この女はこんな風に笑うのかと、初めて知った。意志を持った罌粟の花のように、健気に、可憐に。愛でも恋でもなかったけど、堪えるものがあった。
「わたしがここで、ヨダ君を見送ってあげようか」
と、マホはからかった。
「いいよ」
おれは苦笑した。
「ヨダ君のことは、すぐ忘れるよ」
「わかったよ。そういうこと、わざわざ言うなよな」

マホがおれと同じことを感じて、考えていればいいのに。たとえば、こんなことを。また会いたくなったら、いつでも会えるから、と。
おれは遠い場所から自分たちを眺めているように感じた。たとえば、夜間飛行の旅客機から、遥かな地上の街の灯を俯瞰しているように。広大な土地のどこかの街のさらにどこかに、おれとマホは存在している。しかし、おれたちがどこにいるのか特定できない。
マホが本心ではなにを考えているかなんて、夜が暗くて遠すぎて、実際のところ、おれにはわからないことなのだ。



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