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【小説】推しグル解散するってよ①

 この物語には何も起こらない。
 大恋愛も、記憶喪失も、何の大事件も起こらない。
 起きるのはただ、一つのアイドルグループが解散する、ただそれだけ。
 それだけだ。
 
 
 
  2022年6月
米村千晶は三十歳の誕生日を目前に、人生最大の絶望に向き合っていた。
 
 勤め先のコールセンターの休憩室は狭い。物置と間違うほどの狭さのスペースに無理やりイスとテーブルを置いたような部屋。
 千晶は少し遅い午後二時からの昼休憩をその部屋で過ごしていた。節約のため、ランチはいつも手作り弁当。手作りといっても昨晩の夕飯の残りと冷凍食品のコロッケ、毎日同じ味の卵焼きと相場は決まっている。コールセンターは全員で一気に休憩に出ると、電話に出るスタッフがいなくなるため、時間をズラして休憩をとる。パート従業員の多いセンターの中で、契約社員の千晶は大体、遅い時間に一人で休憩に出ることが多い。
自作の弁当を食べながら、スマホに溜まったメールを読むこととSNSのチェック。時間が余れば机に突っ伏して寝る、それがランチタイムルーティンだった。学生時代にテレビで見たOLの、カワイイ制服姿で財布を小脇に抱え、お洒落なカフェで海外旅行の計画を立てるような華やかなランチタイムではない。それでもこの仕事を始めて10年、こんな生活にも慣れたし、気に入っていないこともなかった。
 今日も変わらずいつものようにスマホを覗き込むと、その文面は飛び込んできた。
 
『GAPからの大切なお知らせ』
 
 千晶が20年前から応援している老舗アイドルグループGAPからメールだった。
仰々しく、それとも静かに、「大切なお知らせ」とつづられている。
メールボックスの件名に並んだその文字列に千晶は心臓がきゅっと縮む感覚を覚えた。
通常なら夏のコンサートツアーのお知らせが来てもおかしくない時期だが、それならばこんな見出しではない。
これまで、メンバーの熱愛報道で一度こんなお知らせを見たことがあった。20年も活動しているグループなので、メンバーの年齢もいわゆるアラフォー、30代後半から一番年長者は40歳になる。熱愛や結婚は極力知りたくはないが、彼らと同じようにして歳を重ねている分、千晶もそういった知らせについては多少の覚悟があった。
 しかし今回のお知らせは、そんな覚悟ではかなわないレベルの大きな、嫌な予感が心に走った。
おそるおそる指でそのお知らせのリンクを押すと、唐突にメンバーの映った動画が開いた。スマホから急に大きな音で、「こんにちは!GAPです!」という声が休憩室に鳴り響いた。千晶は慌てて音量をミュートにし、それからワイヤレスイヤホンをスマホに繋いだ。
 映像の中のGAPは神妙な面持ちで佇んでいた。リーダーの堀内大二郎(ほりうちだいじろう)が一礼した。
「GAPPERSの皆さん、いつも応援ありがとうございます。僕たちは二十年という長い歳月を共に歩んできました。二十歳でデビューした僕ももう四十歳。当時初々しい高校生だったメンバーもみんなアラフォーです。」
少しはにかむ大二郎に他のメンバーも笑う。ちなみにGAPPERSとはGAPのファンの呼称だ。
唐突に始まる語りに戸惑ったが、そんな千晶を置いて行ったまま、画面の中の大二郎は続けた。
「二十年もあれば、楽しいことの中につらいことや苦しいこと、もう辞めてしまいたいという想いを抱いてしまうこともありました。」
何故今そんな話をするのか。
話は長くなりそうだった。
けれど、ただダラダラと喋っているわけではない、その“大切なお知らせ”を口に出すのを引き延ばそうとしているように感じて、千晶の心臓は自分でも聞こえるくらいにバクバクと鼓動を鳴らした。
「先日、これからのGAPについて話し合っている中でメンバーのリョウタから、実家の農家を継ぎたいとの申し出がありました。」
 千晶の頭の中の鐘がカーンと強く鳴った。
(その鐘は寺でつくデカいやつでもいいし、ボクシングのゴングを想像してもらってもいい)
それはそれは恐ろしいほど大きな音で、とんでもない頭痛を引き起こしそうになった。
「これまでリョウタはアイドルを続けながら時々実家の仕事を手伝っていました。それはファンのみんなも知ってる人もいるよね。」
千晶は画面越しのメンバーに伝えるようにスマホの前で頷いた。
それはファンなら周知の事実だった。
「この度、リョウタのご家族の健康状態などの事情もあり、これから先、実家の仕事をメインで働いていきたいと申し出がありました。芸能界は辞めませんが、正直今までよりも活動を抑えたいとのことです。」
千晶の頭の中の坊主が鐘を面白がって鳴らし続けているような、頭の中のレフェリーがゴングをバカみたいに鳴らし続けているような、とにかく何かしらの鐘を鳴らしていた。
ガーンガーンガーン、ゴーンゴーンゴーン・・・・・・。
「え、なに。どういうこと?」
千晶は休憩室で、人目もはばからず声を発してしまった。
画面の中の大二郎は続けた。
「先に言っておくと、僕たちはGAPが大好きです。ただその中でリョウタの申し出があり、僕たち自身のこれからの人生というものを全員で考えました。僕は俳優業、ユキトは司会業やバラエティ、トモヤはソロの歌手活動でも頑張ってるの、みんなも知ってるよね。」
千晶はもう一度画面の前で頷く。
「GAPを続けながら個人のやりたいことを頑張ることもできます・・・ただ・・・・たくさん話し合った結果、新しいステージに、それぞれ一人一人で挑戦していこうという結論になりました。」
次に来る言葉を千晶は予想ができた。予想ができたからこそ怖くて、映像を一時停止した。
卵焼きの二口目がすすまない。
だめだ、聞いたら終わってしまう。終わってしまうのだ。
けれど、休憩時間は限られている。
ちゃんと弁当を食べておかないと、この後やってくる問い合わせ電話のピークタイムを乗り越えられない。
映像の再生ボタンを押す前に卵焼きと、残りのおかずを無理やり口に詰めた。
口の内側を噛みそうになる勢いで咀嚼して無理やり飲み込むと、マイボトルに入ったお茶をごくっと飲む。勢いが良すぎてむせそうになった。
無理に飲み込んで、深呼吸をして再生ボタンを指で触れた。
 
「僕たちGAPは今年いっぱいで解散します。」
 
 画面の中の大二郎が少しだけ声を震わせながら、そう、言った。
数秒前に予想した言葉だった。
 頭が真っ白になるという言葉があるが、千晶はああ、こういう時に使うんだなと思った。
GAPが解散する、GAPが解散する、GAPが解散する、GAPが解散する、GAPが解散する・・・・・・その言葉で頭が埋め尽くされた。
その後もメンバーたちは画面の中で何やら話していたが、
「あと六ケ月間、全力で走り抜けます!」
という言葉と、残りたった半年しか活動期間が無いことだけは聞き取れたものの、他の言葉は耳に入ってこなかった。
千晶が推している(※贔屓に応援しているという意味のオタク用語)リョウタも何かきっと思いのこもったメッセージを話していたように思うが、何も聞こえなかった。千晶はきゅーっと音を立てて胃が小さく縮こまる音を聞いた。それでも、その後の仕事のために残りの白飯を喉を詰める勢いで口に詰め込んだ。
 
 ――――――そのあとの仕事は怒られた記憶が無いので、きっとやりこなしたのであろう。今日、得意先の「株式会社エブリタイムバーゲン」の通販番組では新型掃除機の紹介が行われた。受電状況は120%、とんでもない数の注文が殺到する状態が続いていたが、千晶はその大変な状況をしっかりとこなしたのだ。多分。おそらく。きっと。
 頭を埋め尽くす「GAPが解散する」がすべての脳の機能を使い果たしていて、千晶は記憶が無いのだが。
「米村さん、今日はいつにも増して仕事してくれたねえ!」
 退勤時に上司に肩を叩かれ、笑顔で言われたが、そうなんですか、と他人事のように答えるしかできなかった。
とりあえずミスもなく、あの鬼受電タイムをこなせていたならそれでよかった。
 ロッカールームに置いておいたスマホを取り出して、到着していたメッセージアプリのトークを覗くと家族のグループトークがいくつが動いていた。
母からは「GAPが解散するならこれを機に婚活でも始めなさい」、オタクではない姉からは「これでやっと真人間になれるね(笑)」とのメッセージ。
千晶は何も返信せずにスマホを鞄に投げ入れ、ロッカーの戸を閉めた。
 
 Gグレイト、Aアクロバティック、Pピープル、略してGAP。読み方は「ギャップ」。それが千晶の応援し続けているアイドルグループだ。
ファンの呼称は「GAPPERS(ギャッパーズ)」。
千晶は10歳の頃、GAPと出会った。今やアイドルグループといえば5人組じゃ少ないくらい、多ければ10人越えは当たり前の世の中で、リーダーの大二郎を筆頭にユキト、トモヤ、そして千晶の推しのリョウタの4人で細々と活動していた、それがGAPだった。
極端に売れているグループではなかったが、CDを出せば一応、一位を獲ってはいた。
当時二十歳だった大二郎、十八歳のユキトとトモヤ、それから最年少の十六歳のリョウタ。自分と一番歳が近く、目鼻立ちの美しいリョウタに、少女の千晶は一目惚れした。
初めて目にした時は特別歌が上手くもなければ、ダンスも苦手なようだった。それでもデビューしてから二年も経った頃にはグループで一番ダンスが上手いと評価されるほどまで努力した。演技が下手だとネットに書かれれば有名俳優の演技塾にプライベートで参加するほどの真面目なメンバーだった。そんな馬鹿みたいにまっすぐにしか生きられないリョウタの姿が千晶の原動力だった。
 中学時代までは同級生たちも一緒になってかっこいい!と騒いでいたが、高校進学あたりになるとアイドルなんてダサいと皆が“卒業”していった。
それでも千晶にはリョウタがすべてだった。GAPが元気の源だった。思春期の青い悩みも、就職活動が上手くいかなかった時も、職場でストレスが溜まった時も彼らに救われた。
 世間からすればたかがファン、だ。十代の少女たちがアイドルを追っかけていることはかわいらしく見えても、三十歳にもなる人間が同じそれを行っていることは時に滑稽かもしれない。いつまでそんなことやってんの?と笑われたことなんて数えきれないほどある。それでも千晶にとってGAPは、リョウタは、もはや人生だった。
その存在が自分の活力であったし、希望だった。自分の体に湧き出るその愛情は間違いなく美しかったし、煌めいていたし、それは幸福の色をしていた。
 
 1時間ほど残業をして、千晶は会社を出た。空になった弁当箱と、家族からの返信したくないグループメールを宿したスマホを鞄に抱えてぼんやりと駅までの道程を歩く。
何かを考えているようで多分何も考えていなかった。GAPのことしか考えたくなくて、そしてGAPのことだけは考えたくなかった。
ピコン。
千晶のスマホに新着メッセージが届いた。千晶がGAPのファンを続けていることを揶揄してきた旧友からの冷やかしだったら嫌だなと、少し画面から顔を離し気味にしてスマホのロックを外した。


へ続く

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