マウント女子と当たり屋

マウント女子ってセンセーショナルでいいよね

ここ数年、マウント女子なんて言葉がよく出てきますね
SNSを見ていると職場のうざいマウント女子をギャフンと言わせる漫画の広告、
テレビをつければモノ申す系の女性タレントが「こんな女がイラつく」と話す番組

そういうコンテンツは・・
正直なところ、おもしろい

私は神でも聖人でもないので
人に対してそんなこと言っちゃいけないよ!なんて言えない
マウント女はムカつくし
こういう女ダルいよなあなんてこと、いくらでも考えてる
それを女性タレントが話していれば共感するし、わかるわかるーと騒ぐ
ええ、そんなもんです

マウント当たり屋

なんかね、だけどね

最近、マウント当たり屋多くね?って
勝手に思う
マウント当たり屋ってなんやねんって?
そんな言葉、実際無いんですよね、ええ

マウント当たり屋というのは私が一年前くらいから勝手に心の中で使いだした言葉で
「実はマウントなんぞとられてないのに人の発言を勝手にマウントだと決めつけてしまう人」
を表している


私たちは人に評価されながら生きているように思う
本当は自由に生きていたいし
自分の価値観の中で納得していればそれでいいじゃんって
そういう生き方、多分みんなしたい


でもさ
思春期あたりから、誰には恋人がいる自分にはいないとか
大人になれば結婚した、していない
正社員、契約社員、派遣社員、フリーター
自分がそれで良くったって「それでいいの?」って誰かに言われて
結婚したらしたで、子供はまだ?
子供を産めば二人目は?
あの子は戸建てを建てたんだって?うちは賃貸のままだなあ
転職ばかりしている私、みんなはちゃんと続けてるのに
ずっと同じ環境から抜け出せない私、みんなは成長しているのに

みんながみんな強くない
社会人でも主婦でもママでも家事手伝いでも
誰かにとっては「うらやましい」になったりするんだよねえと

自分が結婚について焦っている時に
先に結婚した友達が旦那さんの話をしてきたら「マウント」と捉えてしまうかもしれない

正規雇用で働いていないことを気にしている時に
正社員の友達がボーナスの話をしていたら「マウント」と捉えてしまうかもしれない

不妊治療で悩んでいる時に
子育てで悩んでいる友達が相談してきたら「マウント」と捉えてしまうかもしれない

でも自分がマウントと捉えた発言が
相手にとっては日常会話であり、相手にとっては深刻な悩みなのかもしれない

ここ一年くらい、そう感じることが増えた

あなたには子供がいないからわからないだろうけど

きっかけは数年前、赤ちゃんを産んだ友人に出産祝いを選んでいた時だった
共通の友達(ここではA子と呼ぶ)から「一緒にお祝い渡す?」と相談が来たのだ
ちなみにA子にはすでにお子さんがいた

私はプレゼントのセンスが絶望的にないので(というか考えすぎてしまう)
出産祝いはいつも現金や商品券+ママ(友達)へのちょっとしたプレゼントにしていた
私はA子にその旨を伝えると、A子は
「憧子は親になったことがないからわかんないと思うけど、ママになると自分のことなんてどうでもいいの。自分に何かもらったって嬉しくないよ」
と言った
それから「商品券なんてもらっても心がこもっていなくて寂しい」とも言った

ええ、もう、その時はもうこいつと縁切ったろかと思うほど腹が立った
私には子供がいないし、その頃は体調面の理由で子供が作れなかったし、それをA子にも話していたし、ええ

結局、別々で渡そうということになって話は落ち着いたのだが
しばらく気持ちが落ち着かなかった
実際にA子と、出産した友人と三人で会った時も私の持って行った手土産のお菓子を見て「授乳中はそういうお菓子食べれないよ~私のは手作りの砂糖不使用の蒸しパンだから食べれると思う〜」とか言われて
どうしても私には入れない話をバンバンされたりと
かなりメンタルけちょんけちょんにやられた

(文章に怨念がこもっててすんません笑)

出産した友人は気を遣ってくれて、後ほどLINEで
「憧子が持ってきてくれた手土産おいしかったよ~!
私の為にくれたプレゼントもすっごい嬉しかった。
私がこの色好きだって覚えててくれたの嬉しいよ^^
ちょうど○○円(あげた商品券の額)のベビーゲート買う予定だったら有難かったよ!!」
と連絡をくれた。
彼女の言葉に本当に救われたが、私はしばらく
(授乳中は甘い物ダメなんだ・・・私子供産んでないから知らない・・・・ああ、情けない・・・つらい・・・)
と、かなり落ち込んだ
ムカつきもしたが、何より「子供を産んでいないから知らないこと」があるせいで気を遣えなかったことが悲しかった


それからしばらくは、A子ほどわかりやすくマウントとってくる女いねーよななどと
思っていた・・・

私もマウントとってたのかも

そこから数年経ち、ある時ふと私が発言した何の気もない日常会話を
他人から「マウント」だと捉えられることがあった
正直「え?こんな発言が?!」という発言が、だ

そしてその時、気づいたのだ

 誰かのただの日常が、誰かのコンプレックスを逆撫ですることがあるのだと
 誰かのただの日常が、誰かにとってはマウントになることがあるのだと

それから私は過去を色々と思い起こした

A子と私は4歳からの付き合いだが、私もA子も自分に自信のないタイプだった
それは今でも変わらない
お互いがお互いに、自分の価値に自信がない

A子と前述の友人と私は中学からよく3人でつるんでいるが
私が一番結婚が遅かったので、二人が結婚生活の話をしている時
私は仕事の話をしていた
その当時、私は死ぬほど、比喩ではなく本当に命の危機を感じるほど仕事が激務で
みんなで遊んでいても仕事の電話を出ているほどだった
その頃、私が話す内容は「仕事が忙しすぎてしぬ。毎晩終電。帰ったらアメトーク終わってる、つらい」だった
それは私にとってはただの愚痴で、もちろん誰かに対するマウントなんかじゃなかった


A子は結婚してから今までの10年、ずっと専業主婦だ
もしかすると私の激務愚痴がコンプレックスを刺激していたのかもしれない
場合によっては「私は社会貢献しているのよ」くらいの言葉に聞こえたのかもしれない


じつのところ、これは私自身が結婚してフルタイムで働けなくなってから
バリバリ働いている友人に時々感じてしまう感情である
私が療養中であることや転勤族で大幅な引越が時折あることなど、
現在の私は「バリバリ働く」は難しい
ブラック企業出身のせいか(?笑)私にとってはこの現状がものすごいコンプレックスになっている


昔なら大共感していた友人たちの「仕事が忙しい」「明日仕事だ~」「推しの為に稼ぐわ」
そんな言葉がすべて、私へのマウント?と感じてしまうことも・・・・正直いまでもある
でも過去の自分を振り返ると、それはたぶん、いやマジで間違いなくただの愚痴以外の何者でもないのだとわかる
けれどコンプレックスに自分が絡まっていると、相手の言葉を勝手にマウントと捉えて
勝手に傷ついて、勝手につらくなる

自分が持ってるモン大事にするしかないよなあ


A子がどこまで考えていて、どこまで考えていないかはわからない

あの日のA子の言葉はマウントでもなんでもなく、ただ彼女の考えを述べてくれただけなのかもしれない

私は一人、考え直した

誰かにマウントとってしまったかもと思ったとき
こいつめちゃくちゃマウントとってくんな~と思うとき
ちょっと立ち止まれるといいかもね


自分の持ってるもの、ちゃんと笑顔で守れたらそれでいいじゃんってね


誰かがとってきた「マウントまがい」
もしかして自分が勝手にマウントだって捉えちゃってて
もしかして自分が「マウント当たり屋」なのかもなって

ちょっと考えてみてもいいかもね

もしかしてコンプレックスにさいなまれて
全部の言葉がマウントに思えちゃったなら
一回、自分の大切なもの振り返って抱きしめてみてもいいかもね


…そんなことを思ったりしたのだった


でもまあ、そんな簡単に
神にも聖人にもなれないけどね



藤井風の新曲「まつり」の歌詞にこんなフレーズがあった

で、一体何がほしいわけ
誰に勝ちたいわけ
なかなか気づけんよね
何もかも既に持ってるのにね

何もかも既に持ってるのにね、かあ

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