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EXECUTIVEFIGHT武士道⭐︎安彦考真さんと野寄聖統

EXECUTIVEFIGHT武士道。
観戦してきました。
安彦考真選手の応援です♪
安彦さんは最年長でデビューしたJリーガーからの転身✨
今回格闘家デビュー2戦目‼️🔥🔥
見事なKOと大会MVP
選手皆さんの魂を込めた戦いと、選手もセコンドも全員が対戦相手をリスペクトしている姿に本当に胸が熱くなりました。
ありがとうございます😊

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勝利インタビューも世界中の人に聞いて欲しい位の志に感動しかありません。

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このような体験させていただいて感謝です。
少しでも応援できたらと野寄は僭越ながら法螺貝を吹かせていただきました。
ありがとうございます。

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安彦考真さん紹介以下引用

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%BD%A6%E8%80%83%E7%9C%9F

幼少期からサッカーに親しみ、麻布大学附属渕野辺高等学校(現・麻布大学附属高等学校)のセレクションには合格したものの推薦入学が叶わず、弱小高の神奈川県立新磯高等学校に進学[3]。どうしてもプロになりたかったため、新聞配達で渡航費を貯めて3年生の時にブラジルに留学、劣悪な環境の中でもブラジル人のサッカーで食っていくんだという気合いを実感する[4]。一旦復学し卒業後に再度ブラジルに渡り、グレミオ・マリンガとの契約を果たす。しかし、リーグ戦開幕直前に前十字靱帯を断裂して帰国[5]。専門学校を経てエドゥーの元で選手兼コーチ兼通訳として活動するも、清水エスパルスとサガン鳥栖の入団テストに不合格になったこと(ブラジル仕込みの技術を披露するつもりが、テスト生の高校生に簡単にボールを奪われるなどレベルの高さに萎縮してしまい、その時は「古傷のせいで実力が発揮できなかった」と嘘をついてしまったという[6][5][7])、エドゥーが日本代表スタッフに入ったことを契機に一旦は引退する[5]。

引退後は指導者に転身し、グレミオなどのコーチなどを務めた。また、2003年から2004年まで大宮アルディージャの通訳を務めた。大宮を離れた後は、北澤豪が立ち上げたサッカースクール「FOOT」の運営や、北澤の個人事務所のマネジメントなども行っていたという[8]。

その後、中央高等学院の総監督兼講師をしながら、アマチュアのブレッサ相模原や南FC(双方とも神奈川県リーグ)でプレー。そんなとき、中央高等学院の生徒の一人がクラウドファンディングで目標を達成したこと[6]、さらには通っていたジムのトレーナーに「素晴らしい筋肉を持っていますね」といわれたリップサービスを真に受けたこと[7]をきっかけに、2017年に再びプロ選手(Jリーガー)として活動する道を決断[7]。それまでの全ての仕事を辞め、プロを目指す遠征やトレーニングのための資金をクラウドファンディングで募る傍ら関東1部のエリース東京FCへ入団[9]。同年10月の第53回全国社会人サッカー選手権大会にも出場した[10]。

そして2018年1月から水戸ホーリーホックに練習生として参加。2018年3月31日に正式契約の発表が行われた[1]。給料は「月1円」の10ヶ月契約という異例の契約でもあった[11]。しかし公式戦の出場は天皇杯も含め1試合も無く、シーズン終了後に契約満了による退団が発表された[12]。

2019年、Y.S.C.C.横浜へ完全移籍[13]。2019年3月10日に行われた開幕節・ガイナーレ鳥取戦(ニッパツ三ツ沢球技場)に後半37分から出場、ジーコの持っていたJリーグ最年長初出場記録(40歳2ヶ月13日)を上回る41歳1ヶ月9日でのJリーグデビューとなった[14]。2020年も同チームに残留したが、契約は「年俸120円」[11]。なお契約延長の際に、2020年限りで現役を退くことも合わせて明らかにしている[15]。12月20日、最終節の藤枝MYFC戦でJ初先発を飾った。

サッカー選手引退後は格闘家へ転身[16]。2021年4月に格闘家デビューし、デビュー戦をKO勝利で飾った[17]。

引用終わり

2戦目もKO勝利って加筆しないと♪




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