空想の現実化
私は、10年間空想をひたすら追究してきました。
様々な本や論文を読んで、自分を実験台にして、
そこから導き出した結論を持論として築き上げてきました。
今日はそんな私の持論を経験交えてお話ししていきたいと思います。
*心とスピリチュアルが混じったようなお話になっています。あくまで、個人の現時点の見解です。
1.やりたかったことができなかった
私がいた中高は勉強に厳しく、規則を重んじる学校でした。当時、人間関係と勉強でストレスに耐えきれず、私は空想に縋るように生きていました。
消えたいと何度も思い、限界になった私は、色々あって、学校を辞め、通信制の学校で過ごすようになりました。
その時、私は精神科医やカウンセラーさんから休養するように言われ、何をしたらいいか分からず、だけど、何かしたい。でも、そもそも何をするにも気力が分からない。そんな虚無な時間を過ごすようになっていました。
そんな時間の中で、自分は何をしたいのかを探すようになったことが始まりです。
2.自己分析からの空想に対する考え
まず、私は自分の心の状態をなんとかするため、生き方を探すために、メンタルヘルスやポジティブ心理学、自己啓発、女性向けライトエッセイなどを読み漁りました。
そして、なりたい自分ややりたいことをリストアップし、そうしているうちにその理想が空想に近いことがわかりました。それから、「空想は理想」だと考えるようになりました。
私は空想、理想を現実化するため、最初は無気力な状態から思い込みや演じることなどで叶うと言われている『引き寄せの法則』や実際に計画を立てて実行する『シンデレラノート』を活用し、ひたすらやってきました。自分の空想の姿を理想と気づいたら私は、容姿や声、性格や夢などをこと細かに調べて少しでも近づくよう努力してみました。
母からはこの時期がとても輝いていたと言われました。いわば、自分磨きの時代です。
3.空想は内なる心
大学生になり、私はある程度、理想像に近くなり、さらに追い求めていた理想通りの夢を叶えるべく、興味を持っていた心理学の勉強をしました。
その途中、私はピンと来た人に出会います。今はもう元彼なのですが、当時、私は直感で「この人は私の空想に登場する人。主人公が愛し、失恋する、師であり、色々なことを教えてくれる人だ」と思いました。そして、本当にその通りにほとんど現実として起こりました。
それだけではありません。私が直感で浮かび上がった空想で描いた象徴はどれも人生そのものを指すものでした。中高生に描いたマリオネットは縛られた自分。大学時代に描いた海は愛に溺れる。その頃に予想した未来の私は、緑。自然体の私。私が実際に感じてきた人生の流れかもしれないと思うようになりました。ここまで来たら、重症です。
だけど、私が描いた3シリーズの願望も自身の心を意味しました。認められたい思い。叶えたい思い。愛に対する思い。全てはそこに現れているのです。
つまりは、空想には、自分が心の奥底に感じる心、求める心、まさに私の『内なる心』が詰まっていたのです。
「直感的に行っている空想は理想だけじゃない。私の人生を表す何かしらのメッセージ。私の『内なる心』からの導きのメッセージ」
私はこの答えに辿り着きました。
4.既に無意識的に選んでる
それだけではありません。私は、『内なる心』と現実の関係に興味を持つようになりました。そして、本を読んだり、情報を集めているうちに「自分の理想はもう既に自分がなっている」ということを書かれた内容を見つけました。確かに人が理想について既に努力しているのなら、もうなっている可能性は高いなと納得しました。
そうでないと言うのなら、自分の中にしかない考えに縛られている。引き出しが足りていないのではないかという考えにも至りました。
そのため、自分の内面的な成長はずっと目指すべきものだとも個人的に考えるようになりました。
勿論、私にも未熟なところはあり、肩書きのある専門家でもないので、100%そうとは限りません。
あくまで現時点での私の見解です。
それから、ある時自分が選択したものの意味を考えた時、自分の描く空想や現実の状況と関係することに気付きました。
先ほどのいくつかの例のこともあって余興として、ちょっとしたヒントにならないかな感覚で人生で出会うあらゆるものの意味を考えるようになりました。
実際に、「出会うものはその時その場で出会うべきもの。いわゆる神様からのメッセージ」というような言葉に覚えがあります。
また、タロット占いの仕組みもそのようなものに近いのもお聞きしました。
とはいえ、確信もないので、外れることも勿論あると考えています。その時は直感が鈍ってるな〜と思いながら、新たな答えを試行錯誤して導き出します。
5.最後に
以上で、私が様々な本や情報、経験をもとに導き出した持論です。10年とはいえど、これらは見えないものであり、確信のあるものではなく、私の現時点での見解です。私も余興として、ちょっとした人生においてのスパイスとして楽しんでいます。
頭の中がメルヘンな私ですが、面白いと個性として受け取ってもらえたら嬉しいです。
ありがとうございました。
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