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現実との接続が切れた、夜の熱海。(熱海旅行に 17)

夕飯の時間に間に合うようにロイヤルウイングに戻り、夕飯の会場へ向かった。
一日目は和食だ。
会場には、私達より一回り以上年上のお客さん達しかいなかった。

若い人達が消えた世界。バブルを知っている人がいまだ見続けている夢。
熱海に対するそんなイメージがさらに強まった。

飲み慣れない日本酒も、ご飯もおいしくて、豪華な和食のコース料理を食べる機会なんてめったにないから、しかもそれが杉くんと一緒に、熱海で。
現実味がだんだん失われていくのはお酒のせいだけじゃない気がした。
誰かの見ている夢に優しく包まれているような、そんな時間だった。

「この先生きてて少しでも楽しいと思えることがあるとは思えない。あったとしてもそれが今じゃないのならもう無理だよ。生まれてきたくなかった。」
荒んで光のない心で、1時間目から6時間目まで机に突っ伏し続けていた頃。こんな時間が未来に待っていると思えなかった。
やっとここまで辿り着いた、まさか辿り着けると思ってなかった場所まで。

美味しかったね、美味しかったね、とお互い興奮気味にひたすら夕飯を讃える言葉を並べながら、私達はラウンジへ向かった。
広い、半面ガラス張りのホールのようなところにテーブルと椅子が並んでいて、数段降りた階段の下から、バーテンダーのような出で立ちのホテルのスタッフさんが席まで案内してくれた。フロアには1人しかスタッフの人がいなくて、お客さんの案内もお酒を作るのも1人でこなしていた。
お客さんは3〜4組くらいしかいない。

端っこの席に案内される。窓ガラスを通して外の寒さを感じた。

小さな薔薇が添えられた、甘いカクテルを頼んだ。
テーブル越しに杉くんを見ると、こちらを向いて柔らかく微笑んでいて、場末といえばそうなのかもしれないこの空間が、私にとっては最高のロマンチックだった。

隣のテーブルででずっと読書に勤しんでいた青年がふと立ち上がった。
スタッフの人と二言、三言言葉を交わして、奥のピアノへ向かった。
ポスターには、毎晩ピアノ演奏がある、と書かれていた。その奏者が彼だったようだ。
ピアノはここからだと柱の影になっていて弾いてるところはよく見えないけど、その分耳を澄ませた。

ピアノで奏でられる異国の曲を聴きながら、聴いたことのないお酒を飲んでいる私は、自分じゃない人みたいだった。
今、杉くんと一緒にいることだけが私を私たらしめていると思った。

部屋に帰り着替えて一息ついた後、二つのベッドにそれぞれ倒れこんだ。疲れと酔いが気怠く甘く身体を包む。
なんとなく付けたテレビを眺めているうちに、杉くんの寝息が聞こえてきた。
それを聞いてテレビと電気を消して布団にくるまって眼を閉じると、あっという間に私も眠りへと落ちていった。


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