6月11日~6月18日 ガーデンさんシャドウを辞める

「おはようございます。シャドウやっぱりクビになってしまいました、すみません。秋葉原行くの今日ですねー楽しみです♡」
とガーデンさんから笑顔の絵文字を挟みつつ来た返信に反射的に
「あら!了解です!ではまた後ほど―(*^◯^*)」
と返した三秒後、
あ、連載どう続けたらいいんだろう…。
と固まった。


観察日記をアップロードした先週木曜の夜。真夜中にふと眼が覚めてiPhoneを見ると、ガーデンさんからの引用リプライの通知が来ていた。
「向き合わないといけないとはおもってないよ。まかないのラーメンに気を取られて適当なこと言っちゃったかな」
みたいなことが確か書いてあって、ちょっと胸がひりひりしながら通知欄を開くと、忽然とそのリプライは消えていた。
「あれ、リプ消えちゃいましたか?わたしが上手く会話を受けきれてなかったのかも…
記憶ベースでかつわたしの印象ベースで書いているものだから、今後もこういうことが起こってしまう気がするんですが、もし本位じゃないことがあれば書き直すのでおっしゃってください。」
とDMを送り、DM欄を閉じると、ガーデンさんから引用リプされ直していた。
「最初エッ?!て思ったけど、何回も読んでたら的を射ているような気がしてきた????」
その直後にDMの返信も来た。
「あ、なんか考えたらその通りかも?って思いました!自覚がなかっただけで!だいじょうぶです!感じたことに修正があったら作品の中でやっていきましょー」
返信を読み、私はちょっとほっとして再び眠りに落ちた。

月曜日。まだなんとなく胸がずきずきしながら、上手く喋れるかな、と少し不安に包まれながらいつものようにシャドウに行くと、そこにガーデンさんの姿はなく、まりさんが一人でカウンターの中にいた。ガーデンさんが急遽お休みになった旨を伝えられた。飲んで行くか迷ったけれど、「また改めます。」と言ってお店を出た。
その日の夜、再びガーデンさんからLINEが来た。急遽シャドウをお休みしたことのお詫びと、観察日記を書くにあたってもし別の方法でコミュニケーションがとれるならぜひ協力させて欲しい、ということだったので、お言葉に甘えて「前シャドウでガーデンさんと話してる時に話題に出た秋葉原の幻橙館に行ってみませんか?」とお誘いすると二つ返事で快諾してもらえたので、木曜日のお互いの終業後に待ち合わせて行ってみることにした。


そして木曜の朝、ガーデンさんに
「今日よろしくお願いします!仕事終わったらまた連絡しますね」と連絡を入れた返信に
「おはようございます。シャドウやっぱりクビになってしまいました、すみません。秋葉原行くの今日ですねー楽しみです♡」
と書いてあったのだった。

末広町駅の改札前で待ち合わせた。私は電車が通過するたびに轟音で掻き消される宇多田ヒカルを聴きながら待っていた。
ガーデンさんが現れたのを見て、新宿やゴールデン街やシャドウをまとっていないガーデンさんと会ったのが初めてだったから、不思議な気持ちだった。
働いてない状態の、しかも今眠いらしいガーデンさんはいつもよりふわっとしていた。グーグルマップをチェックしながら幻橙館を目指した。下りると、女中姿の女の子がシステムを説明をしてくれた後、席に着いた。大正ロマンをコンセプトにしたメイド酒場、幻橙館。場所と内装に私は既視感があったのは、ここが以前私が数回足を運んでいた喫茶店「月夜のサアカス」の跡地だからだった。

ガーデンさんが、お客さん達の感じがシャドウのお客さんっぽいと言っていて、確かに。とおもった。別に特定の女の子に激しくがっつく様子もなくそれぞれのテンションで静かめに店内に佇んでいるところが。
私はカレーと飲み物をオーダーし、ガーデンさんは抹茶とお菓子のセットと飲み物をそれぞれオーダーした。
オーダーが済むと、私はこの一週間ずっと聞きたかったことを切り出した
「先週の観察日記、最初見た時、何が『違う』っておもいましたか?」
そう聞いた瞬間、そこまでふわっとオフモードだったガーデンさんにすっといつもの精悍さが宿った気がした。
「読まないとちゃんと思いだせないや。」
ガーデンさんのスマホは地下だからかwebに繋がらなかったので、私のiPhoneを貸した。

ガーデンさんが読んでいる間、私は店内の棚にあったメイドカフェとバーのレビュー本をぱらぱらとめくっていた。ふとガーデンさんが顔を上げてちょっと笑って言った。
「LINE@、ほんとに読んでますよ。」
観察日記書いてそれを本人に読まれると、何を見て何を思ってるか骨の髄までばればれになるからちょっと恥ずかしい。
ライブやコンカフェの日記書いてた時には、他人や他人の表現について書いて、そのたびにその相手と会って、その書いてあることについてお互い確認し合うなんてことこれまでやったことがない。
私とガーデンさんがやっていることって何だろう、と時々考える。例えば、友達と会うのは楽しい時間を共有するため、もしくは相手に会うということ自体が目的だからそれを達成するため。でもガーデンさんと私の場合は、自分と相手のちょうど間にそれがあるような気がする。
それは何かと言ったら、観察日記なのかもしれないけど。でも少なくともわたしは観察日記を面白くするために話をしたり話を聴いたりしてるわけじゃない。何かを正しく見ようとしたり形作ろうとしているかんじがする。それは何だろう。


観察日記を読み直したガーデンさんが言った。
「『人と向き合う』って言葉に違和感があった。私は『ちゃんと接する』って言葉を使っていたはず。人と向き合う必要は別になくない?っておもう。でもちゃんと接しないと、とはおもう。」
「ちゃんと接する」と「向き合う」って言葉の違いって何だろう、と考えた。「向き合う」って言葉には具体性がないから、使いながら自分でも「人と向き合う」ってどういうことだろう、と考えていて、それに対して、「ちゃんと接する」はその図が明確にイメージできると思った。相手の話をしっかり聞き、相手や自分に対して誠実に言葉を発する、みたいなこと。
「逆に、その後呟きなおした時は、何が「その通りかもしれない」と思い直したんですか?」
「『向き合う』を『ちゃんと接する』に言葉を変えたら、確かにそうだな、一緒のことかな、とおもって。」

この日初めて知ったのは、ガーデンさんはアニメが好きだということだった。この日ガーデンさんが着ていたTシャツも、ガーデンさんが好きな昔のアニメのキャラクターが描かれたものだと紹介してもらった。可愛いTシャツだった。
「気持ちが沈んだ時は、音楽や映画の世界にどっぷり浸かるって人の話聞いて、私にはそういうのないなあと思ってたけど、でもよく考えたらアニメはずっとそうだなと思って。アニメには心開いてる。」
それからハンターハンターの念能力の話を、以前自分で書いたという図解を交えて教えてくれた。
「私は具現化系で、ありまさんは放出系だとおもうんだよね。」
放出系という言葉の意味があんまりピンと来なかったので、帰ってから調べてみた。
感情の質量を言葉にして人に刺しに行こうとしているところは確かにそうかも…とおもった。

シャドウでもたびたびガーデンさんから体調を心配されることが多かったけれど、この日もガーデンさんに「だるそう」と言われた。そういえば確かに私は昔からだるそうとか眠そうとか言われることが多いので、なんでいつもだるそうなのかを自分で考えながら、思いついたことを都度ガーデンさんに話した。仕事終わりだからではないか、本心を見透かされることが怖くて、いつのまにかだるそうフィルターで本音を守る癖がついてしまったのではないか、だるくいることによって、会話の間が持つ気がしているのではないか、もしくは単純に感情と身体表現の接続が切れてるのではないか。
私が仮説を思いついてそれを口にするたび、ガーデンさんは肯定も否定もせずただ、うんうんと頷きながら聞いていてくれた。

その話をしていて思ったのは、私とガーデンさんの大きな違いについてだった。
ガーデンさんは自分の状態やその時々の居方や表情や語り口、それが相手や空間に対してどう作用するかについてかなり自覚的だ。シャドウで働くガーデンさんは、いるお客さんによって変わる場の空気を汲んだりそれに対して自分はそこにどう作用すべきかみたいな考えて調整する役割を果たしていた。それは自分が場に対してどう作用するかってことに対して自覚的じゃないと出来ないことだ。
それに対して私はそれが全く出来ない。PCに向かって文章を書いている時は、その単語や言い回しがどのように受け取られ得るか、どんな印象で受け取ってもらえたら一番本位かということに対してかなり自覚的に精微に神経を巡らすことが出来るけれど、生身の人間を前にして、自分の存在や表情、話し方が、場や人にどんな風に受け取られたりどう影響をもたらすかということについては全く自覚的になれない。というかそもそも、生身の自分の存在や自分の言葉が空間に影響をもたらす、もたらし得るという実感が全然持てていない。だから「だるそう」と言われなければ自分の状態が「だるそう」であるとも気付けない。
演劇でいうと、ガーデンさんは演者的で、私はスタッフ的な在り方だなとおもった。

観察日記を今後どうするか、という話をしていく中で、今後ガーデンさんがやりたいことの話も聞いた。人前に出るってことやその中でやりたいことはもうシャドウでやり尽くせて満足だから人前に出たい欲は今はもうあんまりなくて、悩み相談とか一人と面と向かって話をするとか、とにかく「一対一」のことに興味がある、みたいなことを言っていた。
それから、ガーデンさんガチ勢的な子っていうのはみんな女の子で、シャドウみたいな場じゃなくて、本当にガーデンさんと一対一で話すことを望んでいる子が多い、と聞いた。それはなんだかわかる気がした。

先のことはわからないので、とりあえず来週の観察日記をどうするかだけ話しあって決めた。
そろそろ出るタイミングかな、とおもったところで
「せっかくなので、よかったらどっかもう一店舗行ってみませんか?」
とガーデンさんが言ってくれたので、もう一店舗二人で行ってみることにした。

時間も遅かったので行ける店舗も限られてて、いっそサイゼでも…とおもったけれど、メイド喫茶のHoney Honeyに行くことにした。
ハニハニはイベント日で、AKBリスペクトな衣装やメニューだった。
案内してくれた子とガーデンさんの波長がことごとく合ってない感じがして、初見のガーデンさんに向かってその子がメニューの説明をする様子を横目で見て私は内心やたらひやひやしてしまっていた。
「そのシャツ、なんのアニメですか?」
とその子(名札に「好きなもの:アニメ」と書かれていた)に聞かれて、ガーデンさんがタイトルを答えても全くピンと来てない様子で、彼女がいなくなってからガーデンさんが
「旬じゃないアニメのTシャツを秋葉原に着て来るなんて大失敗だった…。」
と言っていた。

ガーデンさんとの話しをまとめるのは毎回すごく悩むってところから、それはガーデンさんとの会話は圧倒的に情報量が多いからだと思う、と伝えた。
ご帰宅日記の時は帰ってすぐだったり、なんならその場で日記書いたりできてたけど、観察日記はそれができない。
コンカフェで情報量がある瞬間てかなり局地的だから、まとめやすい。
普段人と喋る時って、もっと会話することそれ自体が目的の、中身のない話をするけど、ガーデンさんの話にはそういう「会話することそれ自体が目的の、中身のない話」っていうのがほとんどないからだと思う、と言ったらガーデンさんは、
そういうことはすごく苦手だからあんまり出来ない、と言っていた。

ガーデンさんが、カウンターの中で会計などの仕事をしている男の人を指して「あのひとが今この店内で一番アイドル的」と言った。一瞬「??」ってなったけど次の瞬間すごく納得した。
「なんかキャラが立ってるし、店内の中心で一番目立つ場所に立ってるし、確かに…。」
「あと、あの人が一番一生懸命仕事してるから。」

ガーデンさんはベッド・インというユニットが好きだという話をしていて、それは彼女達が圧倒的に性的強者だからだと言っていた。
一度舞台裏で一緒になった時、ベッド・インに挨拶する男性の関係者がみんな恥ずかしそうにしていて、あんなに激しく露出してるのに、男性から全く搾取されていなかった。
と教えてくれたエピソードが好きだった。それを聴いて私までベッド・イン、好きになった。

「適度にほっといてくれるから一緒に居る人との会話を普通に楽しめるし、会話がなくても場の空気を楽しめるし、楽しいけど、でもこの温度に漬かり切ってはいけない、という感じがするね。」
とお店に対して言っていた。そのお店に初めて来た人と一緒に居ると、その人の眼にはどんな風にお店が映っているのかを一緒に見れる気がしておもしろい。
『この温度に漬かり切ってはいけない、という感じがするね。』って言葉をわたしはこの先たびたび思いだすことになる気がした。

そろそろお会計をしようとお財布を取り出したけれど、数分が過ぎても誰も気づいてくれないので、ガーデンさんが千円札を、さっき話題にしていたカウンターの中にいるお兄さんに向って掲げた。お兄さんはちょっとびっくりした様子でこっちを振り向いたので、「お願いします」のつもりで会釈すると、「わかりました」と答えるようににこっと笑ってくれた。その瞬間のときめきがアイドルからレスをもらった時の高鳴りとあまりにも酷似していたので、なるほど、確かにアイドルだ…とおもったのだった。

お会計にきてくれた子が、今日話した女の子達の中で初めてガーデンさんのTシャツに描かれているキャラクターのアニメを知っていた。その子はこの数秒でものすごくガーデンさんが刺さったらしく、私の存在は一切そっちのけで、ガーデンさんの髪型や鞄に至るまで激しく褒め称え、帰りのお見送りの挨拶までずーーっとガーデンさんに向かってアプローチを続けていて、ガーデンさんのアイドル性をそこで垣間見たのだった。誰かの存在が一瞬で誰かに刺さる瞬間を生で見てしまった。誰かとはもう最初の一秒から全く波長が合わないのに、違う誰かには一瞬で存在が刺さるって、超アイドルだ。

駅へと向かう帰り道、特に誰にも言うつもりはなかった最近ちょっとショックだったことを、私はふとガーデンさんに話した。夜の秋葉原の街明かりや、その中にいるガーデンさんの存在の柔らかさに心が緩んで、話してみたくなったのだった。ガーデンさんが悩み相談に乗るのが得意って話、すごく分かる気がした。きっと何を話しても引くことなく、何にも捻じ曲げることなくポジショントークに利用することなく、ただ話したことそのままに受け止めてくれるだろう、という信頼感がこんなに人を安心させるものだと知らなかった。

会社に所属してること、ということへの気持ちもその時とりとめなく話した。法や税や、色んな事をちゃんと分かってなくても、ただ日々粛々と働いているだけで暮らせてしまう。その楽さ。もし会社が誰かとトラブっても、偉い人達の間で内々に処理されて、末端の私には解決後にその結果だけが伝えられる。それってどれだけ社会から守られて暮らしているんだろう、と。そのことに慣れきってしまうことへの漫然とした不安。
それに対してガーデンさんは、「シャドウで働いてて、もし売上と伝票に誤差が出たら自分で身銭切って払うとか、だから食い逃げとかされても自己責任になってしまうから、お金なさそうな人を寄せ付けないようにするとか、営業中に起こったトラブルは自分で解決するとか、そういう力が培われて良かった」ということを言っていて、自分に足りてないものが漫然とあるけど、それが具体的に何なのかわからない、ということの正体をそこではっきりと言葉にしてもらってなんだかすっきりしたのだった。
そしてその話を聞いて、ガーデンさんはすでにすごく社会に出ている、とおもった。
私はどうだろう。

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