マウントの螺旋

身長180センチぐらいの課長と立ち話をしていた時、同じフロアの女性にジッと見られているのに気づいた。彼女は自席に戻った私にシュババと近づいてきて「身長いくつ?」と尋ねてきた。私と彼女は業務上で接点がなかったので、それはほとんど初めての会話だった。

「え、急ですね。〇センチです」(平均より高い)
「フーン道理で…そんなにあったなんて今までちっとも気づかなかったの。今課長と並んでるの見て、あら、随分背が高いんだなぁって、初めて思って。ノッポって感じじゃないのね。バランス…なのかな…それで大きいって分からなかったのかなぁ…フーン…」
「(???)どうも……(?)」

身長のことはそれまでもよく言われてきたが、この時の彼女からのコメントは何か斬新だった。ブツブツ言いながら私の全身を鑑定するような目つきでジロジロと見ていたし。不気味だった。

それから少し経ったある日の朝。出勤途中、職場まであと少しの場所で、背後から誰かが急ぎ足で追いついてきた。彼女だった。

「おはよう~私も一緒に行くわ~」

とピッタリ隣につかれた。妙だった。彼女と唯一まとめて会話したことといえば先日の身長の件ぐらいだった。お互いが相手を見つけた時、わざわざ足を速めて追いついてまでお喋りするような間柄ではなかった。

「お家どの辺なの?」

真っ先にそう聞かれた。

大勢ワンサカいる職場の人々の一人でしかない相手に家とか知られたくない派だ。なのでのらりくらりとかわそうとしたが、しつこく聞かれて結局最寄り駅を突き止められた。

「〇〇駅かーいいとこだ。あそこもほら。ねぇ。立派な一軒家がたくさん立ち並んでいて」
「あっそうですよね。素敵な住宅街あります」
「ねぇ。駅から出てすぐがもう、そうじゃない?高級住宅街。ね。で少し歩くと方々に坂道が広がってて。その坂の上がまたみんな、お屋敷街っていうか」
「そうですねぇ。(自宅特定進められたくなさ過ぎて、ここから猛烈に適当に喋り始めた)あっ道も複雑ですよねちょっとブラブラしてたらいつの間にかほぼ私有地みたいな場所に辿り着いちゃうんですよ何かいかにも長年住んでそうなお家ばかりのところで隣組意識が強そうというかそんなとこ手ぶらでウロウロしてたらいかにもよそ者が迷い込んだ感じになるから何気なく散歩するだけでも迂闊に知らない道に入れないんですよね~私散歩が趣味なんですけどぉだからいつも決まったルートになっちゃってて最近ちょっと飽きてるっていうかぁアハハッハハッは」
「ねぇ~。名家っていうか。いいとこの人がたくさん住んでるよね~」
「いいとこ…はい…ね~(脂汗)」

彼女は私が何と返そうとも、「立派な家」「高級住宅」「お屋敷」「名家」「いいとこ」というキーワードを奇妙な文脈で繰り出し続けた。

それで気が付いた。

彼女はどうやら「テメーまさかあの高級住宅街に連なる高級な住宅のひとつの住人なんじゃあるまいな」というメッセージを言外に発していた。

あの会話がどうやって終わったかは覚えていない。ただ執拗な詮索を何とかかわそうと最後までアブアブしたことだけ記憶している。

彼女が自分の家の立地とか旦那の職業とか子供の進学先とかについて、ともするとご自身についての諸々以上に誇りを持っているらしいことは、以前から察していた。職場内のあちこちで大きな声で、よくそういう話をしていたしね。

だからその誇りを傷つけかねない存在が怖かったのかもしれない。それで私が自分のよりも高級な住宅(...)に住んでたらヤバいと思って、確かめたかったのかもしれない。

やられる前にやろうとマウントしに来たんだろうな。

私はそう解釈した。

仮にこの解釈が当たっていたとして、箸にも棒にもかからない平な凡の私に対しなぜそんな心配を抱いたのかは、分からなかったけど。もしかして目につく職員全員の家の立地を調べ回る活動をしていたのかもしれない。知らんけど。

ところで、あちら側の言動の裏にある思惑についてすぐに(あ!マウント!)と見当をつけるのは、他ならぬ私自身が人にマウント行為をする人間だからなのだった。

私は彼女から向けられたマウント言動が訳が分からず、薄気味悪く思った。それも本音だけど。一方で、(彼女は私に対して身長やスタイルで劣等感を抱いて、それで目をつけてきたようだな?はははんウケる)とも思っていたし。

執拗に棲み処を探られたことも。キモくて不快だった一方で、(少なくとも彼女の目からは私が彼女よりいい家に住んでるかもしれない人間に見えたのかもしれないな。それってふふふん何かちょっと気分いい)とも思っていた。

一見マウントされるのを嫌がっているだけに見えた自分の心の動きをもう少しつぶさに観察すると、私はこんなにも細かくめちゃくちゃマウントしていた。

私は彼女のように「磯野〜マウントしようぜ!」ぐらいの分かりやすさで、人にマウント対戦よろしくお願いしたりはしない。

(私という人間は周りの人々に上下をつけたりしないんですよ)という顔を結構上手に作りながら、心の中でこっそり人を品定めしている。

私のこの、人を見下したり、見上げてへつらう醜悪に、誰も気づいてはいけませんよ、と念じながら。それをしている。

自分のこの性質については大変よろしくない激物として、内奥で厳重に管理しているつもりだ。

そのようにして私が日ごろ気を使って念入りに奥深く収納しているその激物を、彼女は平気で日の元でズルズルひきずっているようなものだった。見て見てと言わんばかりに。そういう意味でも、相手をするのが億劫に感じた出来事だった。

早く早く、辻風黄平ばりに、マウントの螺旋からお先に失礼したいものだと思う。

辻風黄平ばりに、それでもそれに追われるし、追ってしまうのかもしれないけど。(バガボンド)

螺旋から降りられる日。いつ訪れるだろう。

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