蜘蛛と仕事帰りの人がぶつかるのを見ていた

夜道を歩いていたら街灯から蜘蛛がプラリとぶら下がっていた。大人の人差し指と親指でマルを作ったぐらいの大きさの蜘蛛だった。糸を巻いたり伸ばしたりしているらしく、空中で微妙に上昇したり下降したりしていた。黄色と黒の体が白い街灯に煌々と照らされていた。そいつは狭い歩道で私の進路の真正面にいたから、私は、サ、と横にズレつつそいつのいる箇所を通過した。直後、向かいから仕事帰りらしきスーツ姿の男性が歩いて来た。スマホを見ながら歩くその人と私と、狭い道を譲り合ってすれ違った。その人に声をかけるか迷い、私は足を止めた。彼はひと時もスマホから目を離さなさそうで、そのまま進むとあの蜘蛛に間違いなくぶつかるな、と思ったから。だけど困った。何と言いえばいいのだろう、と。「すみません、クモがいますよ」って、いきなり言う?いやぁ夜道で知らない人に急にそんなん言われるの私なら怖い…でもあのサイズの蜘蛛と正面衝突は気の毒じゃない?でも…じゃあ…でも…。声かけ後の展開をいくつかシミュレーションし、逡巡し、無理。と結論付けた。それでも気になったから、振り返って、蜘蛛と彼がどうなるか見ていた。果たして両者は正面衝突をした。が、それは私が思っていた衝突とは違った。私は、人間にぶつかられたら、あの蜘蛛の糸はプツリと切れると思っていた。それであの蜘蛛は男性の体に着地するだろうと想像していた。でも実際は、蜘蛛の糸は本当に丈夫でよくしなる、切れなかった。男性にぶつかられた蜘蛛は、ユラーッ…と糸ごと男性の動きに持っていかれ、しばし男性の体に密着していた。男性は変わらずスマホを見つめていて蜘蛛との取り組みが始まっているなどとはつゆほども気づかないまま、寄り切りのようにして尚前に進んで行った。蜘蛛は糸の長さの限界まで男性が進み切った後、また、ユラーッと元の位置に戻っていった。

お相撲の取り組みに例えたけど、ぶつかってきた相手がグングン進む力を全て利用し切って安全なまま元の場所に戻っていったという点では、蜘蛛が合気道の達人のようにも思えた。

自分があのサイズの蜘蛛と密着していたこと、それを寄り切りながら進んでいたことを、あの彼はまっったく知らないのだなということを思うと、しみじみと、あらまぁ、という気持ちになった。

それで、蜘蛛の糸のすごさとか、そのサイズの蜘蛛と密着していてもスマホを凝視して何も感じない人の鈍さとかふてぶてしさとかを、熱く語りたく、このことを家族に話した。

だけどなぜだか、「蜘蛛がいるよって教えてあげたかったけど恥ずかしくて言えなかったよー」という点をメインに語ってしまった。そして慰めのようなことを言ってもらった。

どうやら私は話しているうちに、「見知らぬ人に蜘蛛とぶつかることの注意喚起をしてあげたくなる優しい私」「でも恥ずかしくて言えない私」をアピールしたくなってしまっていた。かわい子ぶっちゃった。蜘蛛とぶつかっても尚スマホに夢中な人よりも尚、ふてぶてしい。



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