天気缶

罐詰にしておきたいような天気だ

富士日記 武田百合子

とは昭和四十年十月二十九日(金)の記述で、赤坂のアパート近辺で"おかみさん"(著者の知り合いなのかたまたま見かけたおかみさん然とした女性のことなのかは分からないけど多分後者)が言っていたとのこと。
素晴らしい秋晴の日だったのだって。


いいなぁ。

その缶詰を開けたいと思った。
約六十年前の素晴らしい秋晴れの十月二十九日への憧れ。

昨日と今日の気温のダブルスコアなんて見たくなかったよと言いながらこの度の気候の乱高下に翻弄されているうちの一人だから、この憧れは切実だ。暑くもなく寒くもないんだろうな。湿度は高すぎず低すぎないんだろうな。強すぎず弱すぎない、爽やかな風が吹いて。日差しが心地いいんだろうな。


そんな日があったら私も缶詰を作りたい。


そういえば今年の数少ない気候のよかったある日に「今日の天気がサブスクにあったら結構課金する」といった感じのつぶやきがバズってるのを見かけた。


人は思うのみならず実行してきた。
エアコン扇風機空気清浄機加湿器除湿器原子力発電等々で缶詰をたくさん作っては開け、作っては開けして。

開けるのが追い付かなかった缶が腐って、結果今みたいなお天気になっていないか?

なんて。自然の成すことだから結局理解及ばないことかもしれないのに原因を決めつけたがること自体が、そもそも、と思ったり。人間も自然の一部だしなと思ったり。干渉された結果の自然もまた自然と思ったり。そんなものを自然と捉えもする罪を思ったりしながら。

素晴らしいものに出会ったら、邂逅の瞬間から失うことも考えてケチケチ惜しんでしまうのはいつの世でも同じみたいだ。罐詰を作りたくなったりサブスク登録したくなったり。

土曜日のお休みが始まると月曜日のお仕事への憂鬱さが増すやつもそれだ。何なら木曜日から、来る楽しみと憂鬱の落差が、憂鬱。


今日は寒い寒い火曜日。素晴らしい秋晴れの天気缶が手元にあったら、寒い火曜日の寒い火曜日なりの憂鬱さを吹き飛ばすために今開封するか、四日後のお休みまで取っておくか、ずっと考えているうちに、水曜日になっているだろう。


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