なんだ偽物か

毎年この時期は「年末年始=身内イベント!」「年末年始=大忙し!」という世の風潮、同調圧力めいたあれこれ、そして身内からの圧力にきつさを感じてしまい、絶不調になる。
身内とは関係が悪いし、大勢の人間が一斉に年末とか正月とかクリスマスとか大掃除とかご挨拶とか得体の知れない決まり事に向かってドヨドヨし始めるのに、居心地の悪さを感じる。
人間界の誰が決めたんだか知らんそういう伝統的スケジュールを別としても。気候も。
寒くなるし、日の出も遅けりゃ日の入りは早いし、明るい時間が少なくて体も冷えやすいときている。
それで今時分は、真っ暗な部屋で起きた瞬間に「うわ今季節これ…」とダメージを食らったりする。

ここ数日、自分の住んでいる地域はこの時期としては高い気温が続いている。明日あたりまでそれが続くという予報だ。

今朝、起きてカーテンを開けると、夜のうちに降った雨が家の前の木々をしっとりと濡らしていた。少し遠くに見える低い山の辺りに朝もやが漂っていた。雨はあがっていたがまだ曇っていて、だけど陽光が強いのか曇っていつつも明るかった。

今が年末にほど近い季節だとは到底思えない空模様だった。

なんか四月とか五月みたいな感じ。感じっていうか、起き抜けで頭はぼんやりしていて、体は完全に四月五月と錯覚してたように思う。

そんな空を眺めながら、憂鬱も不安も、暗いものは何も自分の中にないなと思った。

少し置いて、思い出したように、いやいや11月か…あれもこれもあって嫌だな…と暗い気持ちになった。

というか、「忘れるな。これからはあんなこともこんなこともあるんだぞ。嫌だろう辛かろう泣きたかろう。でもお前は笑って頑張ることだろう…ヒヒヒ…」って感じに自分に語りかけて、暗い気持ちに自ら浸りにいっていた。

それをやってまた少し置いて、あ、なんだ、憂鬱も不安も私が好きで作ってるだけか、と自覚した。

たとえばお天気が爽やかなら。
桜が咲いて散っても新緑が芽吹いて、希望を想起しやすいイベントが自然界で多発している時期なら。
同じ質で同じ量の出来事を、あっさり受け止めて乗り越えられるのかもしれなくて。

お天気によってそれができたりできなかったりする、そんなぐらいのことなのかもしれない。

そんな明るくもない暗くもないちょうど真ん中にある感覚もまた、一瞬の安寧で偽物だろうか。

それだから、今確固たる苦悩だと思っているものもみんな、私がそういう風に作り上げているに過ぎない苦悩風の何か。贋作。偽物。



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