信じるのが悪いのか信じさせるのが悪いのか
ありんごです
最近周りで「信じるとは?」と言う話題が出ることが多くなり、書きたくなりました
「信じた自分が馬鹿だった」と言う趣旨の話を別々の知人が近いタイミングでしていたので、私なりに考えてみたくなったからです
信じるとは、なんなのでしょう
こうしてくれるはずと思い込むことでしょうか
何があったって一緒にいると誓うことでしょうか
相手がどんな選択をしても尊重することでしょうか
信じるの定義って人それぞれなんですよね
だからある意味、「信じても無駄」というのも真理だし「信じるのは自由」というのも真理だなと思います
何かを絶対的に信じた瞬間、とても強くなれると言っていた人がいました
一方で、絶対なんてないのだから、何かを信じたいと願うことは弱さだと言っていた人もいました
信じるってなんだと思いますか
私はわからないですが、人それぞれ定義が違うってことはわかります
だからその人を大切にしたいなら、というより、自分のことも含めて大切にしたいなら、互いに定義を持ち寄るって大切だなと思います
話し合うって簡単に言うけど、たしかに口に出さなきゃ始まらないけど、
「それはどういう意味かな?」「私は信じるってこういう意味だと思ってるけど、あなたはどういう意味で使ってる?」とカジュアルに聞けたならより良い関係が待っている気がします
揚げ足取りにならないように思いやりは必要だけど、違うんだってことを知ることはコミュニケーションの第一歩だと改めて感じました
ただ、「私はこう思う」って相手に伝えるには、労力と表現力が必要だと思っていて、それはまた別の機会に書こうと思っています
あと、伝え合おうと思っていても相性もあると思っていて、そのあたりも書きたいなと思っています
相性があることで切なくなったり怒りが湧いたりするかもしれないけど、相性があるってこと自体はそんなに悪いことばかりでもないんだよなあ、なんて思うこともあります
書きたいことがたくさん!
ありんご
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