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ひき逃げ事件と息子の障害とつぐない続ける犯人の話

私は、今から4年ほど前に事故にあいました。
このことについて何回か触れてきたことはありましたが、きちんと語るのは初めてかと思います。
今回は、私の身に降りかかった交通事故と、それから4年の歳月を経て、大きく変わった我が家と私の心境について書きたいと思います。


事故の日

その日は休日で、息子と夫と3人でお出かけして、家に帰る途中でした。
家族3人、縦になって歩いていたら、私は突然後ろからきた車にはねられました。

私をはねた車は減速もせずに走り去り、自分の妻が目の前ではねられたのを見た夫は咄嗟に走り出し、大声で叫びながら車を追いかけました。

母親が目の前ではねられ、地面に倒れ込むのを見た1歳の息子はしゃがみこみ、道路に倒れた私に手をついて、ただなすすべなくワンワン泣いていました。

ひき逃げです。

事故の瞬間、息子はたまたま夫が抱っこしていました。

それは本当に奇跡的な偶然でした。
いつもなら息子はベビーカーに乗っており、そのベビーカーは、事故の瞬間私が押していたのです。

事故後、そのベビーカーはゾッとするほど遠くに飛ばされているのが見つかりました。

夫と息子は無傷でしたが、車にはねられた私は大怪我をし、病院に運ばれました。


壊れた日常

それから、私たちの毎日は一変しました。

私はそれから入院、手術をし、2ヶ月もの間、歩けませんでした。
1歳の息子はしばらく私の実家で、突然両親と離れて祖父母と暮らしました。

私は何日も体のあちこちが痛く、そして逃げた犯人への怒りで眠れない日々を過ごしました。

時々母が、息子をつれてお見舞いにきてくれましたが、息子は私を見ると事故の事を思い出すのか、私から目を背け、さかんに病室から出ようとしました。

1歳8か月でようやく歩けるようになった息子、せっかく歩けるようになってまだ2か月ほどでした。
事故の日も、事故にあう少し前まで歩いていたのです。
ですが皮肉にも、息子は事故の瞬間、歩いていなかったから助かったのです。
本人がどこまで自覚していたかはわかりませんが、息子は外をあまり歩きたがらなくなりました。

私はその後、何か月もリハビリを続け、2回の手術を経て今に至ります。

目撃者もいて防犯カメラもあったのに、犯人はつかまりませんでした。

最初は私も、早く捕まえてほしいと焦る気持ちでいっぱいでした。
でも毎月、警察からの何の進展もない報告を聞くたびに、徐々に諦めに近い気持ちに変わっていきました。
それでも警察からの電話を受けては期待し、落ち込むという、どん底の闇を出たり入ったりして長い時間を過ごしておりました。

犯人逮捕

事故から2年以上の歳月が過ぎたある日、突然、「犯人逮捕」の知らせが入りました。

そして犯人が逮捕されたことで、事件の真相が色々とわかってきました。

飲酒運転です。

犯人は、飲酒運転がばれるのが怖くて逃げたそうです。

さらにその後、私との事故から逮捕されるまでの間に懲りずにもう一度、飲酒運転で物損事故を起こしていました。

裁判

逮捕からほどなく、犯人は起訴され、裁判が始まりました。
犯人の呼び方は、被告人に変わりました。

被告人は、中高年の男性でした。

私は裁判で、本人から当時の気持ちや状況を語られるのを待っていました。
ですが、裁判でその人が話した言葉はあまりにちぐはぐで、私は悔しさと憤りを隠せませんでした。

公判の様子、空気感を言葉で説明するのは難しいですが、言いようのない違和感を感じて裁判は終わりました。

裁判のことなので、具体的に細かく説明することはできません。

何の根拠もないのでそれ以上は言えません。でも、帰りのエレベーターで弁護士さんと、あの人は何か色々と、これまでずっと生きづらさを抱えてきた人かもしれないという話をして帰りました。

その人

ここからは、犯人でも被告人でもなく、事故を起こした人の事を「その人」と書きます。

事故を起こした日、その人は知人と居酒屋に行っていたそうです。

でも、話を聞く限り、その知人とその人の関係性は、あまりにいびつに感じました。
なんというか、ただ一方的に利用されているだけのような…。

たとえ運転前の飲酒にその知人が関わっていようと、事故の責任を負って罪を償うのはその人だけなので、知人は今回の事件には関係ありません。

ですが、その人のこれまでの生き方や、周りの人からの印象、人となり、事件の経緯を知るにつれ、なんだか私がずっとずる賢い極悪人だと思っていたその人は、判断能力が弱く、人に利用されてしまいやすい社会的弱者のようにも思えてきたのです。

そんなの偏見だ、思い込みだと言われてしまえばそれまでです。
裁判の事なので、個人情報にあたりますし具体的な細かい事は書けず、うまく伝わらないかもしれません。
ですが、私が見た裁判の様子、理解できないその人の思考回路や判断能力、そんな中で私が事故を受け止めるためにはそのように考えるしか、納得できる方法がありませんでした。

その人はこれまで、もしかしたら何かしら生き辛さを抱えた、辛い人生だったのかもしれません。
もう年齢的にも両親はいませんし、幼少期の事など、知りようもないのですが。

しかし、その人にどんな背景があったとしても、私は大きな怪我をしました。
一歩間違えば息子はここにいなかったかもしれません。
これは、私達家族の命を危険にさらす大きな事故でした。
今も後遺症はゼロではありません。

私は自分も、生きづらさを抱える障害児の母であるため、その人のことを考えると、息子に重ねたり重ねなかったり、色々な思いが巡ってきて、なんとも複雑な気持ちになってしまいました。

罪と償い

裁判からしばらくたちました。

その人は、お金がなくて慰謝料を一括では払えないから、分割で払うと言っていました。

当初、全く信用できない人だと思っていたので、慰謝料はきっと払われないだろうと思っていました。

でもそんな周囲の予想に反し、その人は毎月確実に、決まった額を払ってくれています。

その人の稼ぐ額からしたらかなりの負担だと思います。
それでも毎月必ず、払い続けて罪を償っています。

弁護士さんによると、こういうパターンはまれなそうです。

お金が無い人に分割で慰謝料を請求した場合、どんなに高額の慰謝料を請求し、裁判や和解で決着がついても、踏み倒されて逃げられて、被害者は泣き寝入りしてしまうことが多いようです。

でも、その人は毎月必ず、慰謝料を払い続けてくれています。

私は何よりも、裁判からこれまでのこの年月、その人が地道に毎月振り込み続けているということに、ちゃんと罪を償おうとしているという誠意を感じました。

その人は、ずる賢い極悪人ではなかったのだと、自分の犯した罪を反省し、愚直に償い続ける事ができる人だったと、ようやく思うことができました。

だから今、私はようやくその人を許すことができたような気がします。

息子

今度は、私の息子の話になります。

事故が起きた当時、息子はまだ障害の診断を受けていませんでした。

1歳10ヶ月です。
自閉症の疑いはあるとはいえ、発達がゆっくりなだけで障害とまでは思いませんでしたし、あっても軽度だと思っていました。

でも、全く喋らない息子。

そんな中、事故が起き、息子は大きな精神的ショックを受けたと思います。

私含め家族はみんな、息子がしゃべらないのはあの事故のせいだと思うようになりました。

タイミングが良すぎたのです。

事故の前に「ママ」と言っていた時期がありましたが、一切言わなくなっていました。

実際、息子は精神的に不安定になり、事故のことを思い出さないようにするかのように、私と顔を合わせなかったり避けたりするようになりました。
目が合わないのはそのせいかとも思いましたし、事故のショックで失語症のようになってしまっ
たのだと思いました。

実際、そのように指摘した言語の専門家もいました。

だから私は愕然とし、その人のことを憎み続け、心を病むほどに苦しみました。
本当に許せなくて、当時書いていたブログでも、事故の事を悲痛で闇深い、ドロドロとした長い叫びのような記事にして書いていました。


でも、ようやく私は気づきました。

私は、息子が話さない不安をすべて事故のせいにして、全ての責任を、事故を起こしたあの人に被せていたのだと。

自閉症や知的障害を認めたくないあまり、タイミングよく発生した事故に、息子がこうなった原因の全てを押し付けていたのだと。

私は息子の障害から目をそらせるために、あの事故を利用したのだと。
自分でも知らず知らずのうちに…。

事故がおきてから、裁判を経て今に至るまでの4年間、息子や私をとりまく環境は大きく変わりました。

息子も4歳歳をとりました。

その間、発達検査を受けたり、何人もの専門家の人に息子を見てもらったりしました。

息子は障害者である。

事故ではなく、先天性の障害である、自閉症である。
しかも重度である。

逃げようのないこれらの事実が、私をだんだんと納得させて行きました。

息子のことが事故のせいではないと思ったことで、私は事故に対しても、ようやく冷静に向かい合えるようになったのかもしれません。

これから

なんで今、こんな事を記事にしたのか。
それは先日、この事件の最後の締めくくり、総括のようなもので、弁護士さんと会ってきたからです。

これで本当に、全てが終わりました。

私は弁護士さんの前で、
「息子は、特別支援学校の入学が決まりました。
息子は、生まれながらの自閉症で、重度の知的障害でした」と話し、なぜだか目からはボロボロと涙が溢れていました。


これから私はようやく、4年前の事故を乗り越えて、前に進んでいける気がします。


この記事では、あえて何か特定のメッセージは残していません。

ここに登場する様々な人の中で、だれの立場に立つかによって、思うことは変わってくるのかなと思ったからです。

そして、私も何が伝えるべきメッセージなのか、正解がよくわからずにいます。

どうか、この記事を読んだみなさんが、それぞれ何かしらの自分にとってのメッセージを感じて持ち帰ってもらえたら、幸いです。

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