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【シャニマス6thライブ】アリーナB2ブロック前方より【Come and Unite! Brilliant Blooms Day1】

 本記事は『アイドルマスターシャイニーカラーズ』のライブイベント、『THE IDOLM@STER SHINY COLORS 6thLIVE TOUR Come and Unite! Brilliant Blooms』についてのレポートです。記事中では敬称略。

概要

 シャニマス6th大阪では、ライブ参加を兼ねて大阪見物を楽しんだオタクたちが多いようだ。TwitterのTLには三者三様の旅情があり、それぞれの帰途についたようである。
 noteにも各々の旅の記録が載せられつつある。
 私たちの文化を楽しんでいった彼らの様子を見ていると、何をしたわけでもないのだが、迎える側としても迎える側の満足が感じられる。
 

 また、TwitterのTLにはライブについて思い思いの投稿がある。
 短文やイラストなどを通してライブについて語るものや、告知情報に触れるもの、演者に注目するものだったりがある。
 なかには、舞台に近い席やあるいは遠い席、はたまた見切れ席でしか見えないことについて語るものがある。
 その人でしか気付かなかったようなものもあるようで、そういう感想などは特に嬉しいものだと思う。意図されないで生まれてきて、知られないまま忘れられていくアチーブメントなどは、誰かが形にして初めて世に残るものだ。
 そういうわけで、せっかくだからあまり多くの人には知る機会が少なかったような、僕がライブで見つけたものを書こうと思う。

 Day1の『平行線の美学』の間奏からラスサビにかけての短い瞬間における、斑鳩ルカ/川口莉奈についての話だ。

僕のいた場所、ライブコンセプト

 Day1は運が良く、席はアリーナB2ブロック3列目だった。
 ステージの見え方で言えば、客席中央のセンターステージからスタンド席の中線上、前から3列目だった。
 メインステージこそ見えにくかったものの、センターステージ、特に横に広がった演者さんが正面に来るとても良い席だった。
 具体的な話をすれば、オープニングの『Spread the Wings!!(Come and Unite ver.)』ではSHHisの山根綺の正面で、衣装から覗く肌が、自分のものと同じ肌として見える距離である。

お腹が眩しかった

 いつもは離れたところから演者さんの姿を見ていたので、ライブでこんなに人間の存在を感じるのは初めてだった。
 見える光景だけでなく体験したことについても新鮮で、いわゆるファンサービスがあったり、コールをしたりするのも楽しかった。
 とりわけアンコールはそうで、太陽キッスで「ダッシュ!」をした峯田茉優さんのパンチに関して言えば、僕に着弾したといっておよそ誤りではないだろう。
 周年ライブツアーである「Come and Unite!」の、明るく楽しい祭が始まったことを実感させて余りあるものだった。
 
 どうしてこんなに明るいものになったのか、理由について考えてみると、セトリはもちろん、衣装も良かったように思う。
 行進曲とその明るいコンセプトを示すイルミネの「ワンツーマーチングパレード」にはじまり、CANVAS02の心象を反映する騎士装束「アンカードルモンクーペ」、これからの祭りを否応なく予感させる「ドンシャンマツリバヤシ」に、氷結した空気のなかに暖かく膨らんだ「ウーリーメイラースクレ」、どこまでも露わな「スケルトンオーヴァドライブ」、透明に色付いていく「クリアベルトサーフェス」、今にも融け合ってしまいそうな「フォービドゥンシンシアリ」……色とりどりの衣装たちだ。
 衣装から浮かぶそれぞれの情景が舞台を鮮やかな花で満たしていた。

 「コメティックノート」──これを除いては。

なんと色気に欠けた衣装だろう

 さあ、ユニット「コメティック」の楽曲である『平行線の美学』のパフォーマンスについて話したい。

セットリスト

 「Brilliant Blooms! Day1」では、イルミネーションスターズの『星が流れて』が作り出した静寂の後、ノクチルの『アスファルトを鳴らして』での合唱を終えた束の間、心地よい疲労とともに広がった穏やかな空気を、コメティックが鮮烈に切り裂く。

『平行線の美学』

 楽曲『平行線の美学』の激しいビート、舞台の閃光が瞬間のうちに聴衆を緊張させた。
 突如としてセンターステージに現れた彗星は私たちをほしいままに戦慄させると、二度目の爆発の最中、そのまま沸き立った人の群れの中心を進み、それから、私の目の前で立ち止まった。
 終わりに差し掛かる曲のなかで光の明滅が止み、音楽が澄み、ようやく真っ直ぐな光がその人を照らす。

 彼は背を向けていた。
 見上げた目に映るのは、華奢であるはずの肩と、そして、黒く覆われた背中から伸びた脚ばかりである。
 素晴らしい衣装だ。
 何も伝えないその衣装は、私にさえ何も物語らなかった。上腕のアイソレーションは、彼自身の肉体に遮られ、私は、不動の背をただ眺めていたのである。
 そして、そこには何の不足もなかった。
 向こうを向いた彼の表情は、その顔よりもむしろ姿にこそ現れていた。外れないピッチ、定まったアーティキュレーション……物語ることのない無表情がそこにはある。
 彼の視界には、しかし何の結像もなく、彼の耳には音楽のみが響いているに違いない。

 ……しかし、そのうちに発見した。
 片脚にのみ履かれたオーバーソックスが、その頂点でめくれているのを。
 静かに終わりへと加速するパッセージが歌われる。

 「あぁ、また嫌な感じだ」

 それは、挙げた腕にあわせて左右に捩られた上体と下半身との滑らかな連動、そして美しい膝の屈曲を契機に、隠蔽した肉体の曲線が生む陶冶された力の所在を暗示していた。
 屈曲と伸展に関わる多数の筋群の発達と運動によって、前面のみを残し乱れ切った接線の遺骸には、アフリカの荒野に引かれた国境が蛮族の血に犯されていくのが思われる。

 「『こんなはずじゃなかった』だなんて」

 空間の右方から慟哭が聞かれた。
 ──おかしなことではないか。誰かが思い描いた姿とは違っただけの私、そしてそんな勘違いをした誰かが言っただけの言葉に、関わり合わない私がどうして叫ぶ理由があるのだろう。
 しかし、見上げた目の前の花は、造花への擬態を通してその答えを語っている。
 花はその花弁を固く閉じ、虫を誘うこともなく、しかし、烈しい色彩を秘めていた。一瞬前に私を酩酊させたのは、開こうとしないこの一輪が匂いやかに咲く姿と香りの予感である。

 最後の爆発を迎えて曲は終わった。

ライブ

 科学の徒の末席にいる者としては苦々しいことだが、偶然よりもむしろ運命の作為を感じる事象は往々にしてあり、今回の『平行線の美学』における衣装の歪で自然なほころび、歌唱での感情に任せたアドリブ、そしてその場に僕のような観客がいたことなどは、どうにも不自然な一致に思われる。
 それらの間には必ずしも脈絡のない物事が折り重なっている。そうであれば神から人への艶やかな移行を実現させたのは運命以外の何だというのだろう。
 あるいはより多くの見捨てられた偶然がそこに生まれていたのだろうか。いずれにしろ恐ろしく、そして美しいことだと思う。
 私たちは、彗星の軌跡を予測することはできても、その輝きの一つ一つの断片や見つめる一人について洞察することはかなわない。そういう意味で、ライブには当分終わりがないように思う。

まとめ

 この記事では『平行線の美学』のラスサビにおける斑鳩ルカ/川口莉奈に注目し、そのパフォーマンスが実現したものについて書いた。
 厳密に言えば、これは僕の主観で僕の見た世界はそうであったというに過ぎないし、制作者が意図するようなものにも思われないのだが、それはそれとして魅力的であった。
 取り上げたもの以外にもこういった思いを抱いたパフォーマンスは多く、一つ一つを語り尽くせないのは歯がゆいのだが、語り尽くせてしまうのであればライブ自体が必要ないだろう。
 気が向いたらあなたも見た景色について書いてほしいものだ。