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「エシカル」という言葉は何のためにあるのか


2019年1月から Little Life Lab 本格始動しました。

さっそく、いろんな実験や議論が生まれていてとてもたのしいです。

もはや鎌田は置いてけぼりで、メンバー同士でどんどんいろんなことが進んでいくのを見てたのしんでいる(そしてたまに混ぜてもらう)という状況。

わたしもどんどんメンバーにおもしろいことを提案していきたいです(がんばる)。


ラボには「種の部屋」というのがあって、それぞれが興味のあること、疑問に思っていることを投げかけて、あーでもないこーでもないと話をしています。

先日、あるメンバーが「“エシカル”を消費していないか?」というトピックを立ててくれました。

簡潔にまとめると「エシカル消費や、エシカルファッションという言葉がめずらしくなくなってきた中で、エシカルをファッション的に消費してしまうようになっていないか?」というような問いかけです。

うんうん、たしかに。

“エシカル”や“サステナブル”といった言葉を耳にする機会は増えました。 SDGsをはじめとする国際的な潮流もあいまって、ファッション誌なんかでも特集が組まれたり、誰もが名を知る大企業もそうしたキーワードに紐づいた活動を行っていたりします。

とてもいい流れです。


だけど「PR目的だ!」「一過性の流行りで終わってしまう!」といった声も聞こえてきます。

わたし自身も、当然、「エシカルな時代がきた〜」と手放しに喜んでいるわけではありません。むしろ、ざわざわする気持ちがあるのも正直なところ。

何年も“エシカルファッション”という考え方を広めようと、色々取り組んできたくせに、いざ言葉が少しでも広がり始めるとなんだかなぁ、と思うという矛盾に満ちた状況です。


さて、どういうことなのか。

“エシカル”や“サステナブル”といった言葉は、考えるきっかけであって、これさえやればオッケーという「お墨付き」ではないし、これやってるからいいでしょという「免罪符」ではない、ということだと思いました。

本質的に“エシカル”や“サステナブル”であることを目指している企業は、その言葉を掲げることによって「自分たちの企業にもっとできることはないのか?」という「問い」を、自分たちに投げかけ続けているんだと思います。

言葉があることによって「より倫理的にできることないかな、そもそも自分たちにとっての倫理的ってなんだ」「より持続可能にするにはどうしたらいいかな、そもそも何をどう持続可能にするんだ」みたいな話し合いが生まれていくことに意味があるんだと思います。そしてそこに絶対的な答えがないからこそ、いろんな試行錯誤が生まれていく。


今まで出会ったかっこいい企業やブランドさんたちに共通しているのは、「ほら素晴らしいでしょ?」と胡座をかくのではなく、「本当にこれがベストなのか?」という姿勢を貫いていること。

現状自分たちが出している暫定解に誇りを持ちながらも、もっとよくできると気づいたら直ちに変更する素直さを大切にしていること。

“エシカル”や“サステナブル”を冠するブランドを揶揄する向きもありますが、それを単なる言葉として貼り付けているんじゃなくて、向かいたい方向として掲げている人たちを、わたしはとてもかっこいいと思います。

そして、そうした言葉を掲げていてもいなくても、たくさんの矛盾と向き合って、大きなリスクを背負って、それでもできる限りうつくしいものを生み出そうと挑み続けている人や企業やブランドは、ほんとうに有難い存在だと、こころからありがとうございます、と思うのです。


最後に、驚くほどかわいいトップの画像は荒牧悠さんです。

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