《ニューノーマルの記録》さようなら、ニューノーマルを謳う日記
ここで一度、《ニューノーマルの記録》に区切りをつける。
理由は4つある。
1.客観性を意識して書くと、自分の言葉で書ける部分が少なくなる
2.ニュースのリンクを記載していたが、感染者数以上の情報が得られない
3.感染者情報の拡散は、不当な差別を冗長する可能性がある
4.「ニューノーマル」という言葉と生活の実態の乖離を感じる
それぞれについて述べていこう。
1.客観性を意識して書くと、自分の言葉で書ける部分が少なくなる
・事実と所感を分けて書くように意識していたが、たとえば「隠岐への旅行」一つとっても、観光業の人とそうでない人、地元の人と本土の人、それぞれの顔が浮かんでしまい「迂闊なことは書けないな」と思うことが多かった。
2.ニュースのリンク記載していたが、感染者数以上の情報が得られない
・記事は極力リンクのみをはって、本文には書かないようにしていた。note本文には、データの整合性や情報源を確認したもの以外は載せたくなかった。
・しかしニュースだけだと感染者数のみの情報しかのっていないため、必要以上に恐れたり、また楽観視することもできる。
・記事一つ一つに解説をつけるのは持続的ではないと判断した。
3.感染者情報の拡散は、不当な差別を冗長する可能性がある
・4月頃と異なり、日本全国で感染者が確認される状況となり、感染者が不当な扱いを受けてしまう事態も残念ながら増加してきた。
・ここでの記載が個人の特定に直接つながらないにしても、検索をするきっかけになる可能性もある。
4.「ニューノーマル」という言葉と生活の実態の乖離を感じる
・4月当初は生活が大きく変わるのではと、良い意味で期待をもっていたところがあった。
・地域や組織や家庭によって程度はそれぞれだが、「ニューノーマル」として記録するような変化を身の回りではあまり感じ得ない。
(もともと、我が家が在宅ワークやオンライン業務を想定した生活をしていたというのも要因)
今後のnoteでは、「ニューノーマル」とは関係なく日々の生活や気になったことを、引き続き書いていこうと思う。
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