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英語と向き合うということ3

英会話レベル4歳の英語奮闘記です。

仕事で必要だったので、危機迫って始めた英会話カフェ、だったはずが、転職して英語を使わなくなったので、何のために英会話をやっているんだろうというこの頃です。

目的を失った英語学習

ということで英語(英会話)を学ぶ目的がなくなったのですが、でもやはり、目の前にいる海外の人とわかり合いたいと率直に思ったとき、本能的に外国語(自分の場合、英語)を話したいと思うのです。ということに気づきました。今さらですが。

サッカーのミニゲームみたいな感じかなと思うのですが、目的がプロになるわけではないもののゲームに勝たないとおもしろくないし、勝つためには自分のスキルが上がらないと楽しくない。だから、実践練習を小さくたくさんこなす。そんな感じかなと思います。(サッカーはしませんが)

そして、英会話カフェでは毎回セッションのメンバーが代わり、トークテーマもその時その時によって変わります。もはや、その一時間のセッションは一期一会で同じ時間は二度となく、しばらく印象に残っているセッションもあります。あんまりだったなあというセッションもあります。そう思うと、ちょっと刹那的で、忙しくて行けない時にふと思い出すと感慨深く感じたりもします。

休日の夜遅めの時間でメンバーが少なくて、ちょっとダラっと話したりしたセッションとかも印象的で好きですし、身の上話っぽい雰囲気も楽しかったりします。初めて行ったセッションの時のメイト(進行役のホストの人)のセッションに久しぶり行くと個人的に「ああ、初めて行ったときこんな感じだったなあ」と感慨深く感じたり。

だんだん、普通の定型的なセッションは退屈で、ただ普通に目の前にいるあなたと話がしたい、わかり合いたいという欲求だけです。日本人同士が雑談するように、生まれも育ちも違ういろんな人たちとコミュニケーションが取りたい、小さいキャッチボールでも何度か繰り返せるだけでそれはそれで嬉しいのです。多分これは本能的に。

そういうモチベーションで、英会話は続いています。ただただ本能的に。

こちらの記事でも書いたのですが、もはや目標がなくて手段だけが残った感じです。まあそれはそれで、今はいいかなと思っています。また目標が後から出てくる気もしますし、とりあえず世界は広がるので。

外国語は文化そのもの

話の中でよく出てくるのが、
好きな映画(Netflixとか、ディズニーとか)、漫画、好きな海外のごはん、音楽、日本のおすすめ観光地、場合によっては歴史や暦や習慣など。

もはや文化の総力戦だなあと思ったりします。
いつも感じていることですが、外国語を学ぶ、海外の人と接するということは文化そのものを題材にするということだなと思います。言葉自体が文化そのものでもあります。

だから、Netflixとかの映画はできるだけ見ておこうと思うし、あんまり読んでなかった漫画もチェックしておこうと思っています。日本の観光地や習慣にも敏感でありたいと思うし、おすすめの観光地やおいしいご飯についても知っておきたいと思います。そういう総合的な知識が海外コミュニケーションを円滑にするものだろうと思っています。なぜなら言葉は文化だからです。

書籍参考:言語人類学への招待(井出里咲子、砂川千穂、山口征孝 著)
「言語は人間の集団的な資産であり、文化以外の何ものでもない」
(宮岡1996)

まとめ

ぐだぐだ言っておりますが、幸いにもとりあえず英会話の訓練は続いています。英会話カフェを始めて、5ヶ月目ぐらいなのですが、緊張することは無くなりました(最初の3ヶ月ぐらいは毎回緊張していました。本気で。)

ちょっと聴き取れることが増えてきたので「答えられなかったらどうしよう」「言ってることがわからなかったらどうしよう」みたいなことが減ったからだと思います。ただ慣れただけというのと、知っている人(先生役のホスト)が増えたということで落ち着いてきたからだと思います。まだまだ4歳児レベルなので、簡単な内容であれば聞き取って話すぐらいはできると思いますが、まだまだ先は長そうです。