時の流量

 加工用のタンクに薬品を供給しているバルブの流量計が壊れた。
 デジタル表示が微動だにしていないことに気付き、慌てて中を覗くと液面は適正な位置にある。計測器が壊れただけで、供給は正常になされているようだ。
 呼び出しに応えた設備課の丸眼鏡の男によると、工場内で流量計の故障が相次いでおり、部品の在庫が底をついているので、それが届くまで三日ほどの時間がかかるということだった。
 その間は目視で液面を確認するしかない。30分に一度は確認することを取り決めて、その場は解散となった。
 持ち場に戻るため並んで歩いていた後輩が、「電池換えたら動き出すとかなら楽でいいですよね」と言い、「確かにな」と返しながら、昔の記憶が微かに動くのを感じていた。

 あのとき祖父は「時間は自分で動かすものだ」と言った。
 祖母が大事にしていた時計の針が止まっていて、それを動かすため乾電池を交換していたのだった。僕は子どもで、祖母の時計の重さが手に余った。
 そのときの僕はまだ、時間は均一に平等に、個人の思いなど無視して流れてしまうものだと思っており、祖父の言葉はにわかには受け入れがたかった。
 「そんなの嘘だ」と僕は言い、それを見つめる祖父の片眉がニヤリと動いた。
 それはもう10年以上前の出来事だが、そのときの部屋の様子や空気感まで、割とはっきり覚えていて、今でも時計の電池を入れ替えるときには、必ずその情景と、祖父の表情を思い出す。

 三日後、無事に流量計は動き出した。丸眼鏡の男は手際よく部品を交換し、動作を確認し、静かに去っていった。
 三日の間、確認するたび、液面はいつも定位置を維持していた。ポンプは問題なく薬品を送り出し続けていて、その規則性が乱れることはなかったということだ。
 タンクの液面を確認するたびに、時のバルブを開け閉めして、ニヤリと片眉を上げる祖父の顔が思い浮かんだ。
 ときには強く、ときには弱く、記憶は僕の中から漏れ出してきて、あまり上手に調整することができなかった。
 思い出してばかりいないで、祖父の顔を見に行こう。そう決めて、タンクの蓋をそっと閉めた。

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