見出し画像

『ARK9010』EP.1.3 アルマンダインレッドのコスワース「桜の木の下で」

 W201035・・・この車の車体ナンバー。メルセデスベンツがドイツツーリングカーレース必勝の秘策として、AMGではなくコスワースと共同開発した4気筒DOHC16バルブエンジンを搭載する異例の車体・・・
 カムカバーをMg合金製にすることで、エンジン上部を軽量化、理想的な重心設計を目指した。エキマニにはシームレスステンレスのタコ足を採用。NAならではのストレスフリーなスムーズな排気に、更にそれが拍車をかける。また、いたるところに電子制御を組み込んだハイテクマシーンでもあったが、その電子制御が故障しても、並列の機械式制御により、普通に走り続けることができた。
 リアには世界初のマルチリンクサスペンションを採用、車体の姿勢やタイヤの接地面積が安定し、常に最適なトラクションをキープできた。
 日本の5ナンバーサイズの小さなボディに、専用のエアロパーツをまとい、さりげなくその戦闘力を主張するとともに、とても品のあるシルエット。

 車を降りたぼくは、しばらく焦点の定まらない状態で、ブルブラのコスワースを眺めていた。ぼくの体に残る各部が動作する際の官能的な振動と、その加速感の余韻に浸っていた。
 ぼくの上着に染みついた、何とも言えないこの時代のベンツ独特の香りに背中を押され、ぼくはおもわずつぶやいた。

「あ・・・あのアルマンダインレッドのコスワース・・・買い・・・ます・・・」

「おお、そうですか!きっとそう言われると思いましたよ!ただですね・・・あの個体をこのコスワースまでリペアするには、相当な時間と費用が必要です。その費用をお客さんにご負担いただくのは、ちと心が痛みます。そこでご相談なのですが、お客さま・・・休日、閉店後、当店のピットとメカニックをお貸ししますので、ご自分で修理なさりませんか?」
「えっ!」
「もちろん、お手伝いや部品手配などのサポートはさせていただきます。少しでもお安く、かつできるだけ当時の状態に戻すため、私たちもショップを挙げてサポートさせていただきますよ。いかがでしょうか?」
「有難いですけど・・・なんだか気味が悪いなぁ・・・そうするとトータルの費用はどれくらいになりそうなんですか?」
「これくらいかと・・・幸いにも塗装は、なぜかビカビカで何も手を入れる必要はございません。」
「これなら・・・」

 多少の覚悟は必要だが、これなら普通に変えなくもない。

「それでは後日、改めて契約書を作成いたしますので、ぜひ当店まで再度おこしください。よろしくお願いいたします。」


 ところで、車を買い替えることを妻に説明する必要があったが、それは比較的容易なことであった。
「カマロがたまに止まっちゃうから・・・買い換えようかと・・・」
「あら良いんじゃないの?何にするつもりなの?」
「次も外車なんだけど・・・ベンツのセダン・・・」
「ベンツなら良いんじゃない?セダンってドアが4つ付いてる車でしょ?カマロってドアが2つしかないから大変なのよ」
「ああ・・・」
「いくらするの?」
「・・・・」
「しょうがないんじゃない?ベンツって高級車でしょ?」
「ああ・・・」
 さすがベンツ。
 大学受験で忙しい長女は、いつの頃からかカマロには全く興味を示さなくなっていた。まぁこの状態の方が、世間一般では当たり前なのだが・・・
 サッカー少年の長男は、そもそも私に興味がない。これも世間一般では当たり前か・・・


 数日後、車検を取得するまで、不動車を一緒に直すという変な契約書を取り交わした。金額はいい加減だが、自分が作業に参加することで、この魅力的なアルマンダインレッドのコスワースを、この金額で入手できるのなら安いものだった。早速、成約したその日の夜から作業をスタートした。

 はじめに燃料系の修理から手を付けた。燃料ポンプ、フィルターの交換に始まり、フューエルデスビのオーバーホール、インジェクターの清掃・・・
続いてはエンジン周り・・・ラジエターの交換、エンジン本体の水漏れオイル漏れの修理、ヘッドカバーパッキンの交換、レベポンプのシール交換、プラグケーブルとプラグの交換、デスビローターとデスビキャップの交換、オルタネーターやウォーターポンプと言った補機類の修理や交換、OVPリレー交換、タイミングベルト交換、定番のエンジンマウントとミッションマウントの交換・・・ 交換していない部品が、無いのではないかと錯覚するくらいの作業量と部品の数だった。そのおかげもあってか、エンジンは予想以上に調子よく回るようになった。
 次は足回りとドライブトレインへ・・・前後のダンパーとリアアキュムの交換、リアマルチリンクの分解整備、前後ハブベアリングの交換、パーキングブレーキシュウの交換、ブレーキパッドとディスクの交換、タイロッド、センターロッド、ドラッグリング、ロアアームボールジョイントらの交換、デフのオーバーホール、プロペラシャフトセンターベアリングの交換、ミッションのオイルパンガスケットの交換、パワステポンプのオイル漏れ修理にあわせてフィルターとオイルの交換も・・・
 そしてようやくボディ関係へ・・・ボンネットインシュレーターを張り直し、ウェザーストリップの交換、トランクの雨漏り修理、ドアミラーブーツの交換など・・・修理を初めて半年くらいが経過したころ、ようやく見た目に関わる部品の交換ができるようになってきた。
 エアコンを古いR12仕様から、HFC-134a対応にするため、コンプレッサー、サクションホース、リキッドタンクなど一連の部品を交換するなど、走り以外の快適装備を修理する余裕も出てきた。

 おおよそ修理を始めてから10か月が経過するころ、1990年製アルマンダインレッドのコスワース、190E 2.5-16は、完全ではないものの、日本に来た当時の20年ほど前の状態に、ほぼ戻りつつあった。ぼくにとっても、コイツの構造を身体で理解する良い機会となった・・・

 2012年の桜が咲くころ、彼女は久しぶりの車検に合格した。

 ぼくたちは桜並木の海岸線を走った。コーナーを小気味よくいくつも立ち上がっていく。ハンドリングのフィーリングも良い。ボディ剛性の高い車体は、固まり感を出しながら軽快に向きを変える。
 2.5L 直列4気筒のDOHC16バルブのエンジンは、想像以上によく回る。以前に乗ったブルブラのコスワースよりも、はるかによく回る個体だった。

 とにかく楽しかった。このままどこまでも行ける気がした・・・

 桜の木の下で、ぼくたちは写真を撮った。初めての写真を・・・

☜最初から読む

☞『ARK9010』EP.1.4につづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?