全裸とは何か

2023/07/14の座学にて、衣服について学びました。
メモ兼感想シートには色々と思ったことや聞いていて覚えておきたいなと感じたことを書いたのですが、写真に残しておくのを忘れてしまい、手元に何を書いたのかわかる記録がありません。
思い出しながら書いていきます。

まあ要約すると、衣服には第二の皮膚・社会的記号・モードという3つの役割があるよ、という内容でした。

ファッションは皮膚の延長、第二の皮膚。
肌に感じる素材感、服を纏っているその下の身体に触れられたときの何とも言えない不快感、皮膚に衣服が触れた時に生じる刺激、それにより、外界と私という存在が際立って輪郭になる。
衣服は身体の容れ物ではなく、恒久的な皮膚である。

みたいな話の後にも色々あったかと思いますが、それらを聞いていて思ったことがあります。

全裸ってなんだろう。

私が衣服を着ている際には、その衣服の下には何があるんだろう?
私が服を着た瞬間に、全裸というものはなくなるのか?

先生に聞いたところ、
「随分難しく考えてるな。全裸は存在しないよ。衣服を纏っているから。身体は存在するけど、全裸というはものなくなる」
という言葉が帰ってきました。

うーん、なるほど〜。
納得できるし絶対そうなんですが、考えれば考えるほどわからなくなってきました 。

おそらく、哲学的に考えるか、現実的に考えるかで大分論点や着地点が変わると思うのです。

まあそもそも、テーマ自体が哲学的でありますから、哲学的に考える他ないので、そちらの方面で考えていこうと思います。

衣服の下が全裸である可能性はやはり拭えませんからね。

身体という概念を考えた場合、衣服はあくまで物質的な外部の層であり、内面的な全裸の本質には影響を与えないのでは?と思いました。
したがって、衣服の下には依然として「全裸の存在」があると主張することもできますねえ。

まあ、一般的にというか、現実的に衣服を着用している場合は「全裸ではない」と言われることが一般的ですよね。

そもそも、先生が言っていた、【服をまとっている時点で、全裸というものにらならない。しかし、身体は存在している】が1番気持ちの良い考え方なのでしょう。

そうなってくると、裸エプロンとやらは存在せず、素肌上着衣エプロンになりますね。

だってエプロンを着ている時点で全裸では無いし。

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