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戦後に書き直された文学作品としての「君たちはどういきるか」。ジブリの映画化の前に知っておきたい。その①


岩波文庫版「君たちはどう生きるか」の巻末には、吉野源三郎自身が書いた「作品について」という後書きが付されています。

その中につぎの一文があります。

三百枚という長さを、道徳についてのお説教で埋めても、とても少年諸君には読めないだろうと考えましたので、山本先生とご相談して、一つの物語として自分の考えをつたえるように工夫しました。文学作品として最初から構想したのであったなら、また、別の書きようがあったかもしれません

「作品について」

おちゃめな書き方ですよね。
すっとぼけつつ、仄めかしています。

実は「別のかきよう」で書かれた作品が「作品について」が書かれた時点には既に存在していました。

それがこの作品↓

「星空は何を教えたか あるおじさんの話したこと」


現在確認取れている限りでは、この「星空」は1948年が最も古い版で、一方「作品について」は1967年が最も古い。「星空」→「作品」の順。

どうしてこれが「書き直された『君たちはどう生きるか』」であると言い切るのかといえば、それは実際にこの作品を読んでみればわかって頂けると思います。作品内容的に「君たちはどう生きるか」の内容と様々なところでリンクしているのが明瞭にわかるからです。

それに、「君たち」読者ならば誰でも、この作品が「君たち」の7章「石段の思い出」と同じモチーフを用いて描かれていることに容易に同意して頂けると思います。

物語は「おじさん」が「純一」君に書いた手紙の体裁をとっています。
(「君たち」の主人公コペル君の本名は「潤一」)

お話のなかには「主観をまじえず客観的にみる」という言葉とともに、ずばりコペルニクスへの言及も。

このように、「君たちはどう生きるか」(と「作品について」)には様々な仕掛けと仄めかしがあります。多くの「君たち」読者さんがこうした仕掛けに気が付き、その謎を自力で解いていってくれたら、と願ってやみません。

「星空はなにを教えたか」は「君たち」との関連性を別にしても、それ自体大変すばらしい作品ですので、ぜひ多くの人に知ってもらいたいです。

残念ながら、現在この本は古本を手に入れるか、図書館で借りるかしなければ読むことはできないと思う。ジブリによる映画化をきっかけに復刊してくれることを強く願います。

次回はこの「星空はなにを教えたか」のあらすじを書いてゆここうと想います。

この記事を書いたあと、国立国会図書館の個人向けデータ送信サービスが2022年5月19日にスタートしました。

利用登録さえしてあれば、「星空はなにを教えたのか」はネット上で閲覧が可能になりました。

以下は、ずっとあとになってからの書き足しになります。

実は、この「星空」については、池上彰さんも謎掛けの形で指摘していることに気が付きました。マガジンハウス版『君たちはどう生きるか』で、池上彰さんは「前書き」を書いておられますが、それが謎かけになっていたんですね。

『私たちはどう生きるか』という戦後に出版された本のシリーズがかつて存在していて、その第一巻に「星空は何を教えたのか」が収められています。これを指し示したかったのでしょうね。


『君たちはどう生きるか』を読む前に

"私たちはどう生きるか"   池上 彰

 私がこの本と出合ったのは、小学校の時。父親が買ってきました。親から「読め」と言われれば反発するのが子供というもの。当初は読もうとしなかったのですが、書き出しから「コペル君」が登場し、思わず引き込まれれ、気が付くと夢中になって読み進んでいました。
 いまになってみると、父が息子に読ませたくなった気持ちがわかります。人間としてどう生きればいいのか、楽しく読んでいるうちに自然に考える仕掛けが満載だからです。
 これは、子どもたちに向けた哲学書であり、道徳の書なのです。

 著者の吉野源三郎氏は1899(明治32)年に生まれ、1981(昭和56年)に82歳で没しました。児童文学者であると共に、編集者として手腕を発揮したことで知られています。
 いったん東京帝国大学経済学部に入学しますが、哲学への思いが募り、文学部哲学科に移ります。社会主義系の団体に出入りしていたことから、1931年(昭和6)年には治安維持法違反で逮捕されます。
 この経験から、第二次世界大戦後は、いわゆる戦後民主主義の立場から反戦運動にも取り組みます。
 岩波書店の雑誌『世界』の初代編集者を務め、岩波少年文庫の創設にも尽力しました。

 この本は、そもそも1937(昭和12)年7月に発行されました。「日本少国民文庫」全16巻シリーズの最後の刊行だったのです。
 この時期は、中国大陸で盧溝橋事件が起き、日本が日中戦争の泥沼に入っていくときでした。日本国内では軍国主義が進み、社会主義的な思想の持主はもちろんのこと、リベラルな考え方の人まで弾圧された時代です。
 一方、ヨーロッパでは、ドイツにヒトラーが、イタリアにはムッソリーニが登場。ヨーロッパはキナ臭くなっていきます。まもなく第二次世界大戦が始まろうとしていました。
 そんな状況だからこそ、偏狭な国粋主義ではなく、ヒューマニズムに根差し、自分の頭で考えられる子供たちに育てたい。そんな思いから、吉野氏は、この本に着手したのです。
 戦前に発行されたにもかかわらず、戦後も売れ続けます。いや、むしろ戦後になった方がよく売れるようになったと言っても過言ではありません。ヒューマニズムに根差した良い本は、時代を超えて人々の心をつかむのです。
 戦後になりますと、文部省(現在の文部科学省)が漢字やかな遣いについての新しい基準を定め、それに沿う形で1962(昭和37)年には、著者が漢字やかな遣いを修正。1967(昭和42)年にも再度修正されて、現在の作品になっています。
 一案傑作なのは、コペル君が野球の早慶戦を架空実況中継したシーンです。戦後版では、ここがプロ野球の南海対巨人戦に差し替わっているからです。戦後、戦前のように大学野球も復活しましたが、人気の面ではプロ野球に抜かれてしまったのです。とはいえ、ここに出てくる「南海」もいまや姿を消してしまいましたが。
 ただし、当時の用語がそのまま残っている箇所が多数あります。たとえば「東京市」。いまの東京都は、当時は東京市と東京府に分かれていました。東京市と東京府が合併して東京都となり、東京市は東京都の中の23区になりました。
 「省線電車」という言葉にも戸惑う人がいるかもしれません。いまのJRが民営化される前は国鉄(日本国有鉄道)でした。その前は鉄道省に属していたので、「省線」と呼ばれていたのです。
 あるいは「省線電車の停車場」。停車場とは要するに駅のことです。
 「活動写真」とは映画館のことです。
 このように現在は使われなくなった用語が多数出てきますが、本の骨格の輝きは色褪せていません。だからこそ、いまも読み継がれているのです。

 主人公のコペル君は中学2年生。ただし、この作品が書かれた当時の中学校(旧制中学校)は、いまとは異なります。文中のおじさんのノートに「同じく小学校を卒業したからといって、誰も彼もが、君たちと同じように中学校にゆけるわけではない」という言葉が出てきます。現在は中学校までが義務教育ですが、当時は尋常小学校、高等小学校を卒業してから中学校進学への道が開けました。
 中学校の数は少なく、彼らは省線電車に乗って中学校に通っています。コペル君はじめ、登場人物は、当時としてはエリート層だったのです。
 コペル君のあだ名がつくきっかけになったのは、コペルニクスによる地動説の紹介でした。あるいはニュートンのリンゴの話も登場します。リンゴは地上に落ちてくるのに、月はなぜ落下しないのか。ここからは、さりげなく物理学が学べます。
 貧しい友人の話からは、貧困とは何かを知り、それは経済学の勉強に発展します。
 ほかにもナポレオンの運命から、歴史への見方を学ぶことができます。
 こうして、人間としての教養とは何かを示した上で、あるべき人間についての問題提起が登場します。いじめへの対処です。
 コペル君は、友人たちが上級生から制裁(いじめ)を受けたら、みんなで立ち向かおうと約束しておきながら、いざというときに出ていく勇気を持てませんでした。
 これを悔やんだコペル君は、憔悴しきってついには寝込んでしまいます。
 どうすればいいのか。そこで頼りになるのは叔父さんです。叔父さんに相談すると、叔父さんはコペル君にあることを命じます。悩むコペル君。しかし、ついに決断します。その結果何が起きたかは、本文を読んで下さい。
 人がいじめられていたり、暴力を振るわれていたときに、止めようとしても体が動かない。似たような経験をした人は多いはずです。身につまされる話ではないでしょうか。本当の勇気とは何かを考えさせられます。

 この本は、そのとき自分はどうすればいいかを、まさに自分の問題として考えることになるのです。
 そして本書は読者のあなたに問いかけます。私たちはどう生きるか、と。

 2017年6月
(ジャーナリスト・名城大学教授)

マガジンハウス版『君たちはどう生きるか』

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