「君たちはどう生きるか」のカツ子さんが歌うラ・マルセイエーズ

歌詞の意味・和訳(テキスト)
http://www.worldfolksong.com/national-anthem/france.html

カツ子さんは当時流行していた偏狭な軍国主義精神のカリカチュア。

吉野源三郎がこの歌をカツ子さんに歌わせたのには、当時、「暴支膺懲」というスローガンのもとで「無法にも暴れまわる中国をこらしめてやれ!」という思想が流行していたという背景からであろう。吉野源三郎の著作にはこの「暴支膺懲」について言及がいくつかあり、その考え方の傲慢さに憤りを感じていたようだ。

この「暴支膺懲」は黒船来訪以来この国が培ってしまったルサンチマン精神の果実であるし、その精神によって形成されてしまった国家は、破滅的な崩壊に到達するまで突進を止めたりはしない。

吉野源三郎は、エミール・レーデラー氏の著作を読み(「岩波新書の50年」127ページ)、このように理解したのではなかろうか。だからこそのカツ子さんなの登場だと思うのだ。

盧溝橋事件とは、そうした思想風土を追い風として発生した出来事であっただろうと思う。


「岩波新書の50年」127ページ
「そのころ私は、ニューヨークの社会学研究所の報告で、当時日本を去ってこの研究所にいたレーデラー教授の、日本経済の分析と日本の動向についての判断とを読んで、強烈な印象を受けたことを覚えています。そこには、私たちの日本が戦争への道を辿って、やがて恐るべき破局に落ち込んでゆくという予見が、鋭い理論で語られてありました。中日事変で浮足立った新聞の記事を毎日見ながら、私は日本の行く末に暗澹たるものを感じずにはいられませんでした」(吉野源三郎)



以下、千葉準一さんの
昭和の恐慌と『商工省準則』の形成
よりの引用

レーデラーは,まず,当時の世界に類をみない異例の急成長を遂げた日本帝国の「近代化」が「西欧化」というかたちを不可避的にとらざるを得なかったのは,まさしく自分たち西欧列強の「影響力」の帰結であったことを確認する。

その意味で,こうした外圧による「西欧化」を,自分自身の歴史的展開において体験したことがなく,しかも日本に対して「西欧化としての近代化」を強要した当事者である自分たち西欧人は,少なくとも自らの体験をもって日本の「近代化」についてとやかく言う資格を有しない。

それにもかかわらず,現状での日本の「近代化」の度合いについてまで渝らぬ批評を加えている威丈高な「西欧人の尊大さ」が存在するのはいかなることなのか。

レーデラーは,こうした尊大さを,本来の西欧的自己批判精神の反対物であるとして,批判するのである。

しかしレーデラーの本心は,こうした彼自身の自己批判的な記述のみにあったわけではない。彼の関心はこうした自らの問題提起に対する日本側からの反応にあった。すなわち,日本の「近代主義」にみられるような「西欧人の尊大さ」への追随がある限り,日本の自己喪失を回避できなくする懸念があることを指摘したかったのである。

こうした認識の下でレーデラーは,当時の日本の危機を以下のように捉える(Lederer und Seidler, 1929, 水沼, 1978)。

日本人に特有な精神的態度であるといわれる「封建制」や「団体精神」は,日本の「産業化」の結果「西欧化」された様々な近代的機構や近代的組織の中に,なお連綿と生き続けている。しかし,欧米追随の「近代主義」者からは否定的な扱いしか受けないそうした「封建制」や「団体精神」は,当該集団への無限の献身と忠誠を求めうるという点で,むしろ個人主義・自由競争の原理に立脚した西欧型の「産業化」からは想像もできないほどその規模と速度の面で優れた成果を達成しえたひとつの重要な条件となっていることを指摘する。

しかし他方,こうした「封建制」や「団体精神」は,あたかも家長が家族に対して負うような,構成員に対する扶養(Nahrung)の義務を伴うことになる。すなわちそこでの構成員の貢献と忠誠は,かれらの業績の没情諠的(sachlich)な評価に基づいてではなく,家父長的な扶養の義務に裏づけられて初めてその無限の動員が保障されるものであった。

ところが集団経営が,経済不況等によって「外から」の・「上から」の合理化を余儀なくされ,こうした扶養の義務が果たせない場合には,構成員の集団に対する無限の献身と忠誠が保障されず,集団存立の「内的」要因が失われる。また当該集団がこうした情況下で「合理化」を拒否するならば,当該集団の存立理由は「外から」も失われることになる。
そしてこの矛盾は,明治維新以来最大の,日本国家と社会構造の危機を産み出すことになり,結局,国外への膨張主義を不可避的なものとし,とりわけ中国ナショナリズムとの対決がさけられないものとなるであろうというのである。

レーデラーのこうした指摘は,「昭和の恐慌」と共に,日本の中国大陸へ
の侵略と日中全面戦争というかたちで帰結していった。

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