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迷子紐

 「ペットみたい」「可哀想」「親の怠慢」

 子供用ハーネス・リード(迷子紐)に対してのこういった世間の無理解、批判、偏見に苦しむという若い世代の親の悲痛の叫びが、インターネット(主にTwitter)ではたびたびバズっている。

 幾度と無く繰り返されては「そんなことない」「必要な物なのだ」「わかっていないんだ」といった言葉で慰め合うやり取りが交わされている。

 私はこの論争(?)が巻き起こるたびに「必要かどうか」と「ペットみたいかどうか」「可哀想かそうでないか」は別じゃないかと考えてしまう。「親の怠慢」には基本的には同意しないが(怠慢のために使う親がいないとは言い切れない)。

 「使っている(必要だと思う)が犬みたいだとは思っている」「可哀想だけどそれが可愛くて良い」といった声が無く、インターネットで見られる情報というのはやはり偏りがあり、その点をくれぐれも注意しなければいけないと改めて感じる。

 わざわざ口に出すのはデリカシーが無いというなら、それはそう。そういう気持ちを持つのが間違っていると言うなら、それはちょっと踏み込みすぎだ。

 例えば、もし私の子が多動傾向に生まれついてハーネスをつけなければいけなくなったら。外で散歩していた時に「犬みたい」と言われれば「確かに犬みたいですよね…」と答えてしまうだろうし、「可哀想」と言われれば「可哀想なのが可愛いんですよ」と答えてしまうと思う。ハーネスの必要性とこれらの気持ちは両立するので。

 全ての生き物は、ハーネスで繋がれていたら可愛さが何割か増すような気がする。

 可哀想は可愛い。可愛いは可哀想。

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