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挑戦できない環境をできる環境へ

過去の話。
僕はサッカー少年だった。
物心のついたときからサッカーを始めた。

大学サッカーの途中で引退したサッカーという
スポーツに惚れ込み15年間という
長い時間を投資した。ただ、15年で辞めた。

辞めた理由は明確である。プロにはれなかったから。
一応海外のチームから話は来たけど、ダメだった。

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未知との戦い

正直、悔しかった。それ以上に怖かった。
戦争に丸裸で挑みに行くような感覚だった。

サッカーを辞めたときにはじめて気づいた
社会に通用する経験や知識、スキル、実績が
一つもないことに。

これから人生どうすればいいだろう?
この喪失感は何で埋めればいいんだろう?

たくさん考えたけど、サッカーしか脳のない
僕には何も答えが出てこなかった。

目標のない人生を過ごすのも嫌。
だったら今ネガティブに考えていても仕方ない。
無理やりそう言い聞かせてとりあえず行動に移した。

友達に相談したり
SNSで出会ったアクティブな学生
社会人の方が参加するイベントetc...

活路を見つけるためにがむしゃらにもがいた。

一つの活路

起業という選択肢。
正直、一切興味はなかった。

今は起業しているけど、起業家に
なりたくてなったわけじゃなかった。

ただ、起業している大人は信念があって
キラキラしていた。自分の人生の目標を
掲げて挑戦していた。

何も知識はなかったけど、漠然と憧れを抱いた。

「自分も人生かけてなにかに挑戦していきたい」

そこである疑問が生まれた?
なんで、自分は挑戦できていないんだろう?
挑戦している人とできていない人の差はなんだろう?

環境という魔物

個人的には、環境で運命が決まると思っている。

サッカーで全国大会に出るためには
環境(設備、指導者、仲間など)が必須。
いい高校生活、大学生活を送るには環境が必要。

すべての事象には環境の良し悪しが影響している。
でも、環境って外的要因で選べない。残酷だ。

生まれたところも選べない。
親も選べない。
友達も選べない。

たまたま所属していた環境がすべてを変えてしまう。

もちろん、今あるもので
戦わなければならないのはわかっている。
でも、外的要因で運命が変わるのは違う。

何かしらの形で環境を
整えていくことはできないのか?

自分が困ったように挑戦したい若者に
環境を作ることはできないのか?

理想のカタチは全然見えていないけど
この問を見つける人生は悪くない。

そう決断できたのが、大学3年生の5月。
ちょうど6年前。

「挑戦できない環境をできる環境へ」

この理念が生まれた瞬間の話。

まとめ

そこからブレずに走り続けた結果
今では株式会社Armoryを創業
起業が授業の起業家育成高等学院の学院長

6年前では一切想像できなかった今の自分。

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なぜ、こうなったのだろう?
そのヒストリーや大事にしている
フィロソフィーをこのnoteを通して書いていきます。

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嬉しいです。よろしくお願い致します!

株式会社Armory 福永祐作



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